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0104 冬の沖縄旅❹ 首里城復興への道

【旅ログ】
to 首里城の現場を知りたい方

沖縄の世界遺産といえばここ。記憶に新しい火災の悲劇から2年。現場の状況と感想を。

2019年10月31日 首里城火災

31日未明に、正殿内部から発生した火災により、正殿をはじめする9施設が焼失。火災は約11時間にわたり燃え続けた後に鎮火。火災後調査するも、火災原因の特定には至らず。
2022年の着工2026年の完成を目指す正殿の復元や、その後の北殿・南殿等の復元に向けて、関係機関と密に連携を図りながら、技術的な検討を行い、復元工事に着手。
首里城公園

まさかが起きる。普段から沖縄との接点はそれはほどなかった。それでも、当時のいたたまれない悲しい気持ちを覚えている。同年4月に起きたフランスのノートルダム大聖堂の火災にも重ねていた。
人が亡くなることは悲しい。誤解を恐れずに言うと、ある意味それ以上の広く長く深い悲しみと喪失感、無力感。そこに関わってきた何千、何万もの人々の生きた証の消失ゆえだろう。

復興を繰り返す歴史

首里城の歴史をひもとくと、100〜200年単位で、焼失と再建を繰り返していることがわかる。最初の築城は、琉球王国が成立した14-15世紀に遡る。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/amp/492179
琉球王国…1429年にが成立。首里城はその政治、外交、文化の中心。築城は14世紀半ばから後半。1879年に最後の国王である尚泰が明治政府に明け渡す。約450年間にわたり栄えた。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/amp/492179

火災は悲しい出来事であるし100%完全な姿にはもどらない。しかしこんな考えをもった。”首里城が復興することは過去の歴史が証明している”。つまり、何があっても、人類が生きている限り、何度でも復興がのぞまれる不死鳥のような朱色の城。

下記が現在のマップ。上部の斜線が復興中のエリアにあたる。

https://oki-park.jp/sp/shurijo/guide/51

よく考えると、ほんの100数十年前は、日本ではなかった琉球王国。日本にいると、”近い言語と民族で別の国”があることは不思議。世界では当たり前にあること。例えるなら、韓国や台湾、フィリピンなんかが、たまたま同一の民族で同一の言語を使っている。みたいな現象。

その歴史と、復興の未来に思いを馳せながらゆっくり回った。

威風堂々。守礼門。中国と日本の両国の文化の影響。
瑞泉門を守る味のある狛犬。
復興中の本殿。もともとあった建造物の土台に防火用の貯水槽を差し込む。ただ立て直せばいいというものではないところに歴史的建造物の難しさがある。
大龍柱の展示
首里城のスタッフの方。あの日の出来事、復興状況をいらいろと教えていただきました。遠くを見る目。
2000年世界遺産となった”琉球王国のグスク及び関連遺産群”の一つが、首里城エリア内の”園比屋武御獄石門”. “そのひゃんうたきいしもん”と読みます。知らないととおりすぎてしまうような通り沿いにひっそり佇みます。
世界遺産、もうひとつが王家の墓廟である”玉陵
こちらは、”たまうどうん”と読みます。

ここを寄らず沖縄は語れない

ビーチ、自然、アミューズメント、戦争遺産、食べ物、芸能文化。沖縄の多重な文化や観光資源レイヤー。その中で、やはり、琉球王国や琉球の祖の神様や祭事、その中心のひとつの首里城。歴史にふれる旅。今後も早期の復興をお祈り。都度訪れたい場所です。

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