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『休む勇気』という言葉の謎

まだまだ猛威を振るうウイルスとの戦い。
そのなかで、最近になってよく聞くのが『休む勇気』という言葉です。
これまで健康に育ててくれた両親のおかげもあり、学校や仕事を休むこと自体あまりなかったのですが、この休む勇気という言葉には違和感しかありませんでした。

違和感の正体を考える

休まないことを美徳とする』この考えが私にとっては大きな謎なのです。

確かに学校で授業を受けていた時には「休むと授業についていけなくなるかもしれない。」と考えて体調を崩さないように努力しました。働いている時も「休むと他の人に迷惑をかけてしまう。」と考えていました。

学校を休む理由と会社(仕事)を休む理由、それはイコールではないのかもしれません。
“個人的な事情”と”組織の中での役割を考えた上で休むことができない”。
ここだけみても違いは明らかのように見えます。

ですが私は思うのです。
休みたいのに休めない』この根本は同じなのではないでしょうか。

休みたいのに休めない

体調が悪い時、人間は休みたいと思うのは至って当然なのではないでしょうか。
その時に無理をすること、そのこと自体を否定するつもりは一切ありません。
ですが、無理をすることが本当の意味で周りのため、自分のためになるのでしょうか。

自分が勉強についていけなくなるからといって、無理に学校に行ったとしても勉強に集中できず逆に寝てしまって先生からの評価を下げてしまうかもしれません。
仕事の場面でも非効率的な業務になることが果たして望まれることなのでしょうか?

このことは何も体調が悪い時に限った話では無いと思います。
好きなアーティストのCD販売日、大切な人と過ごす予定の時間、他にも仕事が手につけられない事情は人それぞれたくさんあると思います。
その全てを優先することが出来るとは思っていませんし、優先するべきかどうかを判断するのは上司の考え次第であるとは思います。

休むことで効率的なら休めばいい

私は集中できないなら休むことも大切だと考えています。

学生時代、アルバイトリーダーを務めていた私は休憩時間を少し削ってでも細かな作業を進めておいた時期もありました。
ですが、どんなに準備をしていても、予定通り業務が終わる日ばかりではないこと、さらには予定通り進む日の方が稀であることに気づきました。
そして、しっかりと休息を取り、頭をリフレッシュさせた方がはるかに効率的に仕事ができることにも気づかせてくれました。
(そのことに気づかせてくれた店長には感謝しかありません)

確かに仕事の中にはその人にしかできない仕事があることもわかります。
ですが、通常より注意散漫の状態で仕事をして、大きなミスが起きてしまいその対応にもかかる時間までを考えると1日あるいは1時間でも休むことは効率的ではないかと私は思います。

休まないことが美徳ではない社会もあり

『皆勤賞』
これに憧れていた学生時代を過ごしたこともあります。

ですが今思うのは、
休んでしまった時に全ての人々に不利益が生じないようなバランスを構築することも必要不可欠だと思います。
例えば、家からオンラインで授業を受けられるようにすることや1人にしかできない仕事をほかの労働者で賄えるような作業体制構築も必要ではないかと考えます。

昨今の状態で、感染拡大防止の観点から、感染したかもしれないというときに、出社あるいは登校を見合わせて、感染拡大を防ぐ観点からも重要なのが『休む勇気』なのかもしれません。

ですが、今後の社会で柔軟に休みを取れるような状況にするために、『その人しかできない仕事を他にもできる人を育成する』、『個々人の理想の働き方とは何なのかを考え直す時間にする』、『リモートワークとの併用で働き方を柔軟にする』ということは必要ではないかと考えます。

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