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「楽しむ」のプライオリティ

久しぶりすぎてログインの仕方を忘れるというありさま。

さて、先日子どもたちの運動会が行われた。感染症のアレで学年ごと入れ替え制、観覧は保護者のみで兄弟も不可、という状況でやっと実施されたような状態だった。

予定されていた日が雨天で翌日に延期され、妻は仕事のため見に行けなくなってしまった。そのため僕が一人で観覧。6年生が朝一番で、その後1年生から5年生までが順に実施される。5年生は12時過ぎからなのだけれど昼休みは挟まず、弁当なしで一気に終わる。観客も児童も学年ごとに入れ替え。

1年生の次男と一緒に登校し、1年生が終わったあといったん帰宅して一休みし、今度は1年生の次男を留守番させておいて4年生の長男と出かける。そんな具合に運動会を見てきた。

1年生は初めての運動会で、みんな顔が明るい。初めてだし特別な感じがする。体育の授業で練習したものを保護者が見に来ていて、よくわからないけれど「本番」の緊張感とワクワク感がある。そんな感じだった。初々しいし、ワクワクが顔に現れている。

対して4年生。2年生までは盛大にお弁当持参で丸一日かけて全学年混在でやる運動会だった。それが昨年から学年別の超短縮版になり、今年はその二回目。しかも運動会というイベント自体が既に、「なんかめんどくせえ」ものと化している。

我らの小学校は体操と称して「勇気100%」に合わせて体を動かすおゆうぎ的なものを全学年共通で行う。1年生から6年生まで、まったく同じ内容の演目。1年生はニコニコだったが、4年生はもはや顔が死んでいる。「正直だりい」「10歳にもなって忍たま乱太郎の歌で踊るとかありえない」「体操とか言ってるけどこんなもん意味あんのか」「親見に来るとか別にいいし」

うむ。冷めておる。お年頃もあるけれど、コロナ自粛による「どうせつまらん」感もあるような気がする。

そんな中、うちのせがれはぶっちぎりで楽しそうであった。デタラメだし協調性はないのだが、「勇気100%」体操はノリノリだし、決めポーズはオリジナルで勝手に人と全然違うことをやり、満面の笑みでケツを叩きながら周囲をおちょくり、ふにゃふにゃな動きで体を動かしながらめちゃめちゃ楽しそうであった。

短距離走はへらへらしながらふらふらと最後尾を走ってゴールでぴょんぴょん跳びはねて見せ、大玉を使った面白競技ではアンカーを務めて大いに活躍し、事前に「バッチリかっこよく踊れる」と言っていたヨサコイではヘナチョコなポージングだけれど超楽しそうであった。

帰宅して夜、夕食を食べながら「おまえはダントツ楽しそうであったな」という話をしたところ、長男は「運動会は年に一度しかないからね。とにかく楽しむことが最優先」と言っていた。

宿題として「運動会の思い出」という作文課題が出され、長男は「運動したり人前でふざけたりする運動会が大好きだ」と書いていて、いろいろ間違っているような気もしたが、イベントを楽しもうとする精神は素晴らしいような気がした。

「楽しむ」が最優先。勝ち負けはどうでもよく、楽しいかどうかが最優先。ふざけたポーズで走ってビリであっても楽しい。もちろん勝つことに喜びを感じる楽しみ方もあって、それも素晴らしい。「だりい」になってしまう人が多い中、全力で楽しみに行く姿勢は見習うべきもののような気がした。願わくばもう少し協調性は持ってほしいところでもあるが、日ごろからとにかく「楽しむ」に重点を置いて行動している長男は、たぶん周りの人もいくらか笑顔にしているだろう。一方で鬱陶しいと思われてる部分もあるだろうが、それでも「楽しむ」が最優先の人が身近にいることは、きっと誰かを明るくしている。

誰よりも楽しそうだった長男を見ていて、「一生懸命」をどこへ向けるかで、その行きつく先の明るさが大きく異なっているのではないかという気がした。


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