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大事なものが大変なことになって遠いところへ行きそうになった話

突然ですが僕は男性です。男性の大事なものと言えば、わかりますね。あれです、あれ。キン〇マ。僕はハタチぐらいのときに、そのキンタ〇が大ピンチになったことがある。

前兆は高校生の頃からあった。ごくまれに、奇妙な腹痛があった。「奇妙な」というのは、普通の腹痛とは痛さが違う、というイメージ。よくわからない痛みが下腹部にある。自分の感覚としては、へそより少し下が痛い、という感じ。痛み始めると立っていられないぐらい痛い。でもしばらく横になっていると治る。それが高校生の頃に、2回ぐらいあった。

その時、母が「家庭の医学」を取り出してきて調べたのです。そして見つけた。これじゃないか、と。

「精巣捻転」

精巣とはキ〇タマの正式名称ですね。それが捻転するわけだから一大事。そう言われて、下腹部の痛みがあるときにタマに触れてみたら、もう飛び上がるほど痛い。これだ。ビンゴだ、と。家庭の医学には、「本人の自覚症状としては腹痛のようになることがあり、発見が遅れるから危険」といったことが書いてあった。なるほど。

しかしその時もすぐに治ったのでそのまま忘れてしまった。

そして数年後。忘れもしない。あの日、僕は東京は町田の実家から新宿西口のヨドバシカメラに向かい、電車に乗っていたのです。ヨドバシカメラは当時のバイト先だった。

町田駅から小田急線の急行に乗ると、一つ目が新百合ヶ丘になる。間の駅は3つか4つかあるけれど全部通過する。それなりに時間がかかる。乗って走り出した直後に、それは訪れた。腹痛とかそういう次元ではない、別次元の体験。

僕は吊革につかまって窓の外を眺めていた。すると耳に聞こえているはずの電車の音や乗客の話声などが次第に遠ざかっていく。あれ、なんだろうと思ったら今度は視界が周囲から次第に白くなっていく。ふわーっとホワイトアウトしていく。ヤバいと思った。吊革を握っている手に力を込めたけれど、腕がどこから生えているかもわからない。力は入ったのだろうか。意識が遠のいていき、耳は何も聞こえず、視界はほとんど真っ白。体温がどんどん下がっていくのが自分でもわかる感じだった。

永遠かと思うほどの数分が過ぎ、電車が新百合ヶ丘駅に到着すると僕はホームへと転がり出て一番近い椅子に倒れ込んだ。

「あぁ、今僕は死ぬ。」

本当にそう思った。これが死ぬってことだ、と。世界が遠くなっていく感じだった。

しかししばらく座っていると体温が戻ってきて、視界にも色が戻ってきた。そして、痛みがやってきた。猛烈な痛さだった。〇ンタマが。もう腹痛と間違いようもない。万力でひねりつぶされているような痛さ。明らかにタマが痛い。とても立ち上がれない。ひとまずバイト先に電話をかけた。

「電車に乗っていたら意識がなくなりそうになって途中の駅で倒れています。これから救急車を呼んでもらうので行けないと思います。」

今思えばバイト先のマネージャ、たまげたろうなぁ。「大丈夫なの? 仕事のことはいいから。お大事に」と言ってくれた。

そしてホームの椅子に座ったまま自宅へ電話した。例のあれだ、と。ホームから動けないから新百合ヶ丘駅に電話して駅員に来てもらうよう言ってくれと。ついでに救急車を呼んでくれと。

駅員さんが来てくれて、駅員室で救急車を待っている間に父が駆け付けてくれた。間もなくやってきた救急隊員にキンタマ(あぁ伏字…)捻転だと伝え、北里大学病院へ行ってもらった。後で聞いたところによると、救急車の中から病院へ連絡を入れ、本人が精巣捻転と言っていてそれらしい症状がある(キンタマがパンパンに膨れ上がっていたらしい)と伝えたら、泌尿器科で精巣捻転の手術をいくつも経験しているというスペシャルな先生がその日非番だったのに、手術をするために出てきてくれるという話になった。精巣捻転は緊急最優先なのでその日予定されていた手術を延期して割り込ませる、と対応してくれた。

運ばれていく救急車の中で過呼吸になり、どんどん冷たくなっていく僕の手を握りながら、父も「もうダメかもしれない」と思ったらしい。今僕も父親になったから今ならわかるけれど、救急車の中で息子が今にも死にそうだと思うことは並外れた絶望だったことだろう。死にそうだったのは息子の息子だったわけだが。

しかし救急隊員は慣れたもので、ゲロ袋みたいな紙袋を僕の口に当て、これで息をしてください、と言った。ゲロではなく息をするのだ。もとより僕はもう自分で自分の体を動かせる状態になく、あてがわれた袋をどうすることもできずその中で息をするしかなかった。次第に酸素が薄くなって苦しくなってくる。

すると不思議なことに、体温が戻ってきた。過呼吸は酸素過多になるからこうやって酸素濃度を減らすと良いのだそうだ。

病院につくとすぐに緊急手術になり、背中に麻酔を打たれた。下半身麻酔です、痛みはありませんが引っ張られる感じはするかも、寝ます? とか聞かれ、怖いのが嫌な僕は「寝る、寝る」と答えて寝かしてもらった。

目覚めたらちょうど手術が終わったところだった。

精巣捻転を何例も手術しているという、休みなのに出てきてくれた先生が言った。

「2回転半、回ってました。もう少し時間が経ったら壊死してしまうところだったけれど、ねじれてるのを戻したら正常な色になったから、大丈夫だと思います。」

僕はたぶん無言でうなずくかなにかした。正常な色。キンタマの。何色だろう。男子は生まれたときからキンタマを持ってるけれど、それが何色をしているのか見たことがある人は少なかろう。この先生はそれを何度も見ているのだ。なんだかむやみに感動した。

このあと、僕はキンタマについて今まで知らなかったいくつかのことを教えてもらった。

キンタマは完全な球ではなく、縦長の卵型みたいな形状をしているのだそうだ。そして袋(陰嚢)の中で、管がついた状態でぶら下がっている。これが回転してしまうことはよくあるけれど、縦長であるためもとに戻りやすい。通常はひっかかったままになることは無いそうだ。

しかしまれに、タマの形状が縦長ではなく横長の人がいて、そういう人は回転したときに引っかかって戻りにくく、戻らないままさらに回転してしまい、うっ血してしまう。これが精巣捻転らしい。「だいたいい一万人に一人ぐらい、横長の人がいます」と教えてもらった。

そして僕はその横長だったのだ。さらに先生は言った。

「捻転したのは左側のみでしたが、ついでだから右側も開けて(ついでに開けちゃうのだ、陰嚢を)、回転しないように紐で止めておきました。」

はぁ、としか答えようがない。紐で止めた? キンタマを? 陰嚢の内側に?

なにそれ、見たい!

なぜだ。なぜ僕の股の下で起きたことなのに僕は見られないんだ。

「オレのタマは紐で固定されてるんだぞ。もう回転しちまうこともないんだからな!」

誰にどういうシチュエーションで自慢すればいいのかわからない。

退院するときに先生が言った。

「壊死はしてないし、見たところ正常な状態にはなったけれど、先々で性能に問題があるかもしれません。もしなかなか子どもができないといったことがあったら検査してもらってください。」

そしてそれから十年ちょっと経ち、無事、二児の父をしている。あの時先生が非番なのに出てきてくれたから、うちの子供たちはこの世に生まれることができた。

そして僕のキンタマは、今も紐で固定されているはずだ。

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