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教えることに学ぶ

2012年からこの3月(2020年)まで、専門学校の講師をしていた。非常勤を2校掛け持ちで。

専門学校の講師になるまで

もともと「教える」ということに興味があった。最初は先生をやるのではなく、本を書いていた。音楽をやっていたので音楽関係の本を。

書いた本はこの辺→ http://mirage-factory.net/books-2/

その後、アニメの仕事をするようになってしばらくして、また自分の得たものを誰かに教えたい、と思うようになった。このとき具体的に、専門学校で教えたい、と思った。2010年ぐらいのことだ。

そして僕はまず、未経験でも「教える」という仕事をさせてもらえそうな、経験を得られそうな仕事を探し、パソコン教室の先生をやることにした。

このパソコン教室の先生をやって得たものもとても大きいのだけれど、それはまた次の機会にするとして、とにかく僕はパソコン教室で2年ぐらい講師をした後、業界での実務経験と講師の経験を持って専門学校のドアを叩いた。2012年の春だ。

専門学校

最初に僕が教えることになったのは、自分の母校の姉妹校にあたる学校だった。よく知った先生がいたのでそこへプレゼンして仕事をさせてもらえることになった。

最初に教えた学生は難しかった。僕が初めて教えた学生は2年制の学校の2年生で、当然ながらこの学年は2年次だけを受け持った。クセモノ揃いだったけれど優秀な人ばかりで、僕は着任一年目にして、業界就職率100%を達成した。

無論、その学科を教えたのは僕だけではないし、学生が良い結果を出したのは学生自身の力によるもので、講師の実績でもなんでもない。事実、僕はこの最初の学生たちに、教わることこそ大量にあったけれど、なにかを教えたのかすら定かではない。

しかし当然だが学校からの受けは良かった。それまでほとんど直接の業界経験者ではない先生が中心で教えていたところに、現役で仕事をしている僕が教えに来たら業界就職率が100%になった、という数字だけを見れば、それはもう学校からすれば願ったりかなったり、よくやったという話にもなろう。

くどいようだがこれは僕を含め講師の成果ではなく、卒業生自身が素晴らしかっただけだ。僕が最初に受け持ったこの学年はぶっ飛んだ奴が多く、才能に溢れていた。なにより素晴らしいのは、このとき100%業界就職をしたこの学年は、今も全員が業界に残って仕事をしているという事実。入ることよりも続けることが難しい業界で、8年という時が経過してまだ全員残っているということは本当に素晴らしい。

僕はここから始めて足かけ9年あまり、複数の専門学校でいろいろなことを教え、けっこうな人数の卒業生を送り出した。その間、指導はずっと試行錯誤の連続だった。最後の年になった2019年度でさえ、新しいことを考えて実践しては改良し、改良しては様子を見ることの繰り返しだった。まさにリサーチ・アンド・デヴェロップ。R&Dである。

片手間とはいえ9年間試行錯誤しながら続けた講師生活の中で、いくつか「これぞ」と思えたことがあるのでそれを紹介しようと思う。ここまで1300字弱。これが全部前置きだと思うと読むのを辞めようと思うかもしれないけれどそこはひとつ、もう少し読んでみてほしい。

疑問を持たせる

途中の何年か実施したのが、「質問カード」という制度だ。A4を8分割してカードを作り、それを授業開始時に配る。その日の授業終了時までに質問を1つ、「必ず」書かせて回収する。

質問は授業内容に関することではなく、日ごろ思いついた疑問を書かせた。授業に関する質問は授業中にしろ、という形にし、その他の疑問に思っていることを書け、と。

僕が教えていたのはいずれも何らかのクリエイターを目指すクラスなので、日ごろの暮らしの中で何一つ疑問に感じないような人はもともと向いていない。とはいえいきなりこの1日1つ質問を書け、というのができる人も少ない。そこで最初はもうしょうもない質問でも許可した。「先生の好きな食べ物は何ですか?」みたいな、小学生かと思うようなものもあったけれど、それも良しとした。

とにかく何か疑問はあるだろう。無いのならば君たちは世界を見ていない、という話をして、もっと目を見開いて世界を見ろ、という意味を込めてこの質問カードを書かせた。

終了時に回収すると、当然ながら人数分の質問が集まる。そこには「犬派、ネコ派どちらですか?」といったどうでもいいようなものから、「シャツが濡れると透けるのはなぜですか?」といった非常に有意義なものまでいろいろな質問があり、僕は集めたすべての質問に対する回答編を次回授業までに用意して持参し、特に良い質問については授業で解説を行った。

想像してもらうとわかると思うけれど、本来のカリキュラムなどよりもよほど有意義な、圧倒的に濃い内容が行われることになった。なにより、学生たちは疑問を持つということに慣れ、日ごろから「これはなぜだろう」と考える習慣ができた。これさえあればクリエイターは伸びていける。

そして僕は、クラス全員分の疑問を次回の授業までに「教えられるほどに」学ぶ必要があったため、たくさん勉強をした。なんのことはない、この仕組みをやったことで一番勉強になったのは僕であった。

ノートを取らせる

質問カードは面白かったし有意義ではあったけれど、如何せん僕の労力がハンパじゃないという問題があった。もとより専門学校の非常勤講師などというものは割に合わない仕事で、普通の授業準備をして授業をやるだけでも、ギャラには見合わない。それを、普通の10倍ぐらいの労力をかけてやっていたので、割に合わないだけでなく、別の仕事にも支障を来したので断念せざるを得なくなった。

次に考えたのが、ノートである。

A4の記名欄以外ほとんど何も書いていない白紙の紙を授業前に配る。そして、その日の授業の間、その紙にノートを取れ、と指示する。そして授業終了時に回収し、次回の授業で返却する。

このノートは出欠確認の意味も含めているという形で、特に書くことが無ければ白紙でもいいから、名前だけ書いて提出するように、と指示する。

これも面白かった。各学生の理解度や授業に対する興味が手に取るようにわかるのだ。申し訳程度に1ことぐらいなにかをメモるやつ、図や絵を満載して見事に仕上げるやつ、自分の言葉で理解したことを書きつけようとしているやつ、開き直って何も書かないやつ、全く関係ない絵を描いてくるやつ。

僕は回収したノートをすべてスキャンして学生ごとにOneNoteに貼り付け、見直す。学生が欲している知識とこちらが教えようとしている内容のズレも見えるし、理解度もわかる。授業のレベルが高すぎる部分、低すぎる部分、とても重要なのに興味を持ちにくい部分、などがよく見える。そしてこれをすぐ次の授業に反映して、内容を調整する。

そのうち、文通みたいにノートに情報を書いてくれる人も現れた。これは面白い効果で、僕はノートとして書いたものを回収する、と言ったのだけれど、当然回収したら目を通しているだろうと思うわけで、ならば、と「こんな映画が面白かったですよ」とか、「あのゲームのあの映像はどうやって作るんですか?」といったことを書いてくる人も出てきた。

そしてノートにも質問コーナーを設け、これは義務にはしなかったけれど、質問を書いておけば次回回答しますよ、という風にした。

労力のかかりすぎる質問カードをやめてノート回収方式にしたところ、これも質問カードほどではないものの、大いに労力がかかり、大変だった。その分僕にも得るものがあった、ということに他ならない。

ウソをつかない

前に書いたように、僕はウソをつく大人が嫌いだった。

専門学校というのは、こう言ってしまうと語弊があるけれど、ウソにまみれている。就職率はウソではないけれど数字のトリックだし、学校案内は宣伝だし、ウソとまではいかないまでも、少なくとも本当のことは言っていない。

それはフェアじゃない。だから僕は最初の授業で、本当のことを言うようにしていた。

高校までと同じ感覚でやっていたら、専門学校は元を取れない。専門学校の学費は高すぎる。学生から見れば高すぎる。しかし講師のギャラは前述のように安すぎる。じゃぁ学校がぼったくっているのかと言えばそんなことはなく、経営も決して楽ではない。つまり、そもそも成立していないのだ。

僕も似たような専門学校に、似たような金額を払って通った。カリキュラムや設備に対して高すぎる学費だ。しかし安すぎるギャラで教えに来ている先生は有能な人がいた。専門学校で学生が元を取る唯一の方法は、先生をフルに利用する、ということだ。これ以外にない。僕自身もめいっぱい利用しつくした。僕は2年生の夏から就職して仕事を始めたので2年次は半分も通っていない。それでも2年分の学費の元は取ったと思う。

僕は最初の授業でそういうことを伝え、自分は採算度外視でそれに付き合うという意思を伝えた。

業界に対する夢物語みたいなことも言わない。なにしろ辛いことも多い業界だからだ。ただ、僕は楽しくやっているし、周りにも楽しそうに仕事をしている人は大勢いる。ひどいことになることも多々あるけれど、それはあとになっていい思い出になる。こうしたことは僕が感じている事例で、他の人は知らないけれど少なくとも僕は楽しいと伝えた。それ以上言えることなどないのだ。

極端な例では、入学して最初の授業で僕がそういうことを言ったところ、いきなり進路を変えた人もいた。「思ってたより辛そうで自分はそんなことに耐えられそうにないから違う道へ行きます」と。アニメーターを目指すと言って入学してきたはずのその人は、僕の初回の授業で路線変更をし、そしてさらに狭き門のゲーム・プランナーになった。この前偶然駅であったら、「仕事楽しいですよ」と話していた。とてもほっとした。

やりがい

専門学校の講師という仕事をやってみて、この仕事の一番のやりがいだと思ったのは、誰かの世界に参加する、ということだった。良きにつけ悪しきにつけ、自分が誰かの人生の1~2年間に少し登場する、ということなのだ。あっさり忘れてしまう程度のかかわりでしか無い人もいれば、卒業後もずっとつながっていく人もいる。転職するたびに連絡をくれる人もいるし、札幌に来たよ、と言っては「食事でもいきませんか」と誘ってくれる人もいる。

冒頭で僕は「教える」のが好きだと書いた。でも実際のところは、「教える」というコミュニケーションが連れてくる、そこに付随してくるいろいろなものが好きなのだ。1を教えようとすると10ぐらい学んでいるし、「ここがわからない」という質問は巨大な発見をくれる。

2019年度いっぱいで、僕はレギュラーの非常勤講師をすべて降りた。体力的に、会社との両立が難しくなったからだ。ここに書いてきたようなやり方でやるもんだから、それはもう専業で講師だけやっていないと40を過ぎた身体にはキツイ。かといって適当にやるんではやる意味がない。僕にとっても、学生にとっても意味がなくなってしまうだろう。

だからレギュラーの非常勤講師からは退くことにした。でもスポットでの講義、セミナーなどは積極的に受けていこうと思う。なぜならいろいろな学生さんたちに会いたいし、まだまだ学びたいと思うからだ。

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