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自分史3(teens' music festival'89〜)

高校2年生(続き)

地元に寺内タケシさんが公演に来る事を知り観に行った。やはり寺内さんがこだわるように音も素晴らしく「これが本物なのか…。」と感じた。寺内さんのMCでこの地元に8才で訪れた事があると仰っており勝手に親近感が湧いた(笑)。この頃、矢島賢さんのギター通信教育を始めた。このテキストで課題となっていたラリーカールトンやポリス、アランパーソンズプロジェクト等、今まで知らなかったお洒落な音楽に興味を持ち始める。この頃から洋楽しか聞かなくなった。そうそう、この頃だったか、NHKでベストサウンドと言う松岡直也さん、和田アキラさんが講師のバンドセミナー番組があり良く観ていた。その他、毎週土曜日に地元でTV放送されていた音楽紹介番組でホワイトスネイクのhere i go againのプロモを観てハードロックに興味が湧く。この頃、一個上の進学校のバンドがこの曲を含むサーペンスアルバスの曲をコピーしていて、感銘を受けた。

teens' music festival 89 地元大会優勝

時代は平成になり、初めてのteensに出場。演目はワイプアウト。ジョニー・B.グッドフレーズから始まりワイプアウトに繋げて最後はギターとベースを交換してエンディングに向かうって荒技で演奏した(笑)。結果は優勝だったが、同学年進学校のバンドも優勝だった。優勝と準優勝という区分けが出来なかったらしい。とにかく次は県大会に駒を進めることになった。ちなみにこの時の私達の演奏が後日ラジオに流れたらしく、誰かがリクエストしたと聞いた。

高校3年生

吹奏楽の担当はテナーサックスになる。(2年生の所では書いて無かったが2年ではアルトサックスを担当していた。)人数が少ない為、演奏会時はテナーとバリトンを交互に吹いていた。

teens' music festival89県大会

5月くらいだっただろうか?市民文化ホールでの本番を迎えた。会場に着き1人で座っていたら他のバンドの人が何人か近づいて来て「お前は何年?」って聞かれたので「3年だよ」って答えたら「年上だった!すみません!」って逃げて行った。なんなんだ(笑)。それからリハがあり前述と同様演奏した。楽屋に帰りしばらくしたら他のバンドの人が1人でやって来た。「君たち上手いね。パンフレットを見た時点でベンチャーズを演るって書いてたから、多分上手いって思っていた。」と言われた。その彼は元々ドラマーらしく、つのだひろさんのセミナーに行った時に手首がどうこうって話をしていた(詳細は忘れた)。その彼に「君たちプロにならないの?」って聞かれ「いやいや現実は厳しいよ。なぜなら〜」と前述の演歌歌手の話をした。黙って聞いていたがそれでも「いや、俺は必ずプロになる!」って宣言された。実はこの彼、ホントになった事を後年知った(とある30万枚ヒットボーカリストになった)。知った時(仕事をしながら聞いていたラジオインタビューで知った)ビックリしたがこころからおめでとうと思った。…話がとんだが、この時の優勝はそう、この彼のバンドだった。




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