見出し画像

6月19日


1948年6月13日未明、津島修治と山崎富栄は玉川上水の土手で入水。6月19日の早朝、入水した地点から2kmほど下流の場所で男女の遺体が見つかる。2人は腰に巻かれた赤い紐で結ばれていた。男は齢38、女は28だった。


『走れメロス』、『斜陽』、『人間失格』など数々の名作を生み出した作家、太宰治。本名を津島修治。入水自殺をした男はあの太宰治だった。山崎富栄は太宰の愛人である。


太宰の墓は東京都三鷹市下連雀の禅林寺にある。斜向かいに森鴎外の墓があり、生前、太宰は短編『花吹雪』でこんなことを書いている。

この寺の裏には、森鴎外の墓がある。どういうわけで、鴎外の墓が、こんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。けれども、ここの墓地は清潔で、鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかった

青空文庫『花吹雪』より

『花吹雪』のこの文章から、親族の方が気を利かせて、禅林寺に太宰の墓を建てたのだそう。


遺体が見つかった6月19日は「桜桃忌」と呼ばれ、毎年禅林寺に多くの太宰ファンが集まる。これは太宰の短編『桜桃』に由来する。ちなみに太宰の誕生日もこの日なのは運命のいたずらだろうか。


今年は僕も行きたかったのだが、あいにく仕事は休めず。家に帰ったら『桜桃』を読み返すくらいはしようと思う。
それで週末になったらお墓参りに行こう。


太宰の初めての創作集である『晩年』は、太宰が27歳の頃に刊行された。それまで10年近くかけて書いた小説100編、原稿用紙にして5万枚以上を書き上げ、そのほとんどを破り捨て、残った600枚ほどの短編集を上梓された。その短編集のタイトルが『晩年』。この1冊にかけた。死ぬ気で、遺書のつもりで書いたから『晩年』。凄まじい。狂気すら感じる。


最近はあまり文章が書けない。
僕も太宰のように創作に向き合えたらと思う。常に「晩年」のつもりで、全意欲と全精力を注ぎ込んだ文章を書きたくて、怠慢な僕は、今日もまた浅い眠りにつく。




ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?