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バイクに乗るようになるまで

この間、バイクに興味を持った経緯とか書きました。カワサキのZ2に心奪われてました。当時は今ほど高価で売買されていなかったですが、限定解除という壁があり、大型バイクは高嶺の花でした。

親が大変厳しく、オヤジは私達兄弟が小学生の頃から「お前達がバイクに乗りたいといっても、お父さんは許さないからな。」ともう記憶に焼き付けるくらいの頻度でしょっちゅう言われてました。オヤジはガテン系の仕事をしていたので腕っぷしも強く以前書きましたが剣道の達人でもあったので、オヤジに逆らってバイク乗ると言うのは、あり得ない選択肢でした。

ラオウに歯向かって秒殺されるような感じでしたし、そもそも普段は優しいオヤジでしたが、意にそぐわないことに直面すると烈火の如く怒りだし、手がつけられない人間でもあったので、バイクに乗りたいという気持ちはあっても封印していました。

兄貴が高校生の時にクルマの免許を取ることになって、その際にオヤジと駆け引きしてバイクに乗らないと約束するから教習所の金を全額出してくれる、訳の分からない約束をして、兄貴はバイクに乗る事を諦めました。まあ、結果的に兄貴はバイクに乗らなくて正解でした。別の機会に書きますが、兄貴は数年後にクルマで相手に大怪我を負わす事故をして、数ヶ月入院することになったので、バイク乗っていたら死んでいたでしょう。。。

横道にそれましたが、兄貴が教習所の金をオヤジからゲットした事が幸いし、私も大学生の時にオヤジから教習所の費用を出してもらえることになりました。当時クルマには余り興味がなく、クルマの免許証に併記すればバイクの免許が安く取れることに気がつき、大学生4年生から教習所に通い、バイクの免許をとりました。

もちろん中免でしたが、取れた時は嬉しい反面オヤジにバレたら大変と思って隠してました。バイク買ったらバレてしまうし、事務所にあったスコップやツルハシでバイク壊されないかとビクビクしていましたが、兄貴を巻き込みバイクを買った日にオヤジの前で見せて、

バイク買ったから

と言いましたところオヤジの反応が意外で、

カッコいいなー、お父さんに座らせてくれ!

と言い出し、兄貴とバイクを弄りまわしました。オヤジは昔に免許取った人なので、クルマの免許に限定解除もついている、クルマとバイクは乗れる免許証を持っていましたので、敷地内を少し動かして悦んでました。

ツルハシで壊されると思っていた私は、拍子抜けしました。オヤジからその後聞かされた話では、オヤジも若い頃(といっても30代後半から40ごろ)にバイクに乗っていたそうです。それで立体交差で事故って怖くなり、バイクは辞めて息子が出来てからは事故で息子を死なせたくないとか、賠償とか怖いとかあって理由など隠して息子がバイクに興味を持つ前から封印してしまえとばかりに、丸で洗脳するように事あるごとにバイクは反対だと言っていたとのこと。。

泥棒や暴漢が来ても木刀があれば怖くないと言っていたオヤジも、木刀がないと意外と臆病でしたね。。。

結果として、オヤジ存命中にバイクをこの後二回買いましたが、その都度見せるとオヤジは若い時にこういうバイクあれば乗りたかったなあと話していました。オヤジ方の爺さんは乗り物に興味ゼロでしたが、オフクロ方の爺さんはバイクに乗りたかったらしく、養子に入ったあとに曽祖母に

陸王買ってくれ

といって速攻で却下されたそうです。そう考えると、意外と周りにバイクに寛容な人が多かったのかなあとも思います。オヤジも結局のところ、事故って経済的な迷惑をかけられたくないという側面も強かったようでしたので、社会人になって薄給とはいえ給与をもらえるようになると、あとは

事故に気をつけろ

くらいしかいう事がなくなっていましたね。オヤジを安心させるために、バイクで外出した帰りはオヤジの事務所にバイクで立ち寄ったりしていました。

この時に最初に購入したバイクは、カワサキのZRX400という当時新型で発表されたバイクでした。後年発売されたZRX1100のデザインの元になっているバイクでしたが、このZRX400自体がZ1000Rのデザインを踏襲してて、とてもカッコ良かったですね。

ビキニカウルとか、リアサス、スイングアームに似たものがついてて、それまで買おうと思っていたゼファーが霞んでしまいました。当時ネイキッドブームでゼファーは先駆けで人気ありました。レーサーレプリカの性能一辺倒から距離置いたバイクらしいバイクでしたが、やはり性能面では後発バイク比較すると見劣りしていた感もありました。

後年、ゼファーχが出ましたが、、、この頃は気持ちは大型にむいていましたね。

ZRX400のことやその後の事は、改めて書きます。


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