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【こういう展示の路線で考えたい】2024年12月4日 午前11時

これね。発想の始まりから、結実まで実際は3年くらいかかってるのですよ。

何を言ってるかって、




「この会場はちょっと立ち止まった場所」


だし、展示会場の扉を開けるまでの「二足歩行」まで、作品体験に含まれているのです。ステートメントに書いてあるけれど。その時はこういう感じ。


「人類が直立二足歩行を開始して以来、我々は「歩くことによる移動を前提にして数百万年、何千年、何世代もの時間を経て、地球の隅々までその生活圏を拡げた」と云えるだろう」

(中略)

ここは人類の「歩く」という事の追体験でもあり、東京という大都市の「歴史」に、呼応させるプロジェクトでもある。


その数年前、ある学生が「自分がキュレーションするなら、VRで喜多さんの展示をする」と云ったが耳に残ってたのだ。

それで、アナログ(つまり大判の紙にプリントした)のバーチャルを三面に展開。それにちょっと肝にもなる真後ろの壁(スマホのカメラを鑑賞者は背中に向けられているという)の構成。「アナログVR」というわけだ。
(表は4m×2m、3m×2m、3m×2mで、定位置に立てば視野角がかなりプリントでいっぱいになる)

それは、僕が写真を撮るまでの「歩く」事の追体験ができるという事なのだ。だから大きいプリントで狭い空間を埋めるのがぴったりなのだ。

そうやって、街を歩く写真をやっている人の動物的な感受性を再現して体験できる場であることが狙いだった。

ある意味の仮想的な四次元(会場外3次元+アナログVRで四次元:視覚や三半規管の違和感が含まれる)でもあるのだけれど、それはこの展示の意図するところが、「鑑賞者が最寄りの駅などから歩き始めた時点からこの展示はスタートしている」という、ステートメントだったからだ。

なので、実際の空間(リアル)とのつながりを重視していたんですよ。

そしてギャラリーの「扉」は、その名の通り「扉」として作用するので、肉体そのものが、ギャラリーに入って「アナログ的なバーチャル空間」に入った時に「何か」の違和感を感じるはずなんではないか?

という実験展示でもあった。

全日在廊したのだけれど、13時~19時までギャラリーの空間にいると「そこが日常の空間」のような視覚的錯覚をもたらす事に気付いたりしたのも楽しい事だった。

実体としての仮想空間としての展示ギャラリー内に長時間いると、そこの縮尺が僕の感覚の標準になっている時があるのです。そうなると、在廊した後に「扉」を開けてギャラリーを閉め、本物のリアルな街の空間にでるわけですが、展示しているギャラリー内の縮尺と現実の世界の縮尺に差分がある事に気付かざるを得ない。つまり、眩暈がしたり、三半規管が何か変になるのです。これが大変に自分にとって興味深い体験となったのです。

さて、戻って、その三面の残り一つの面。背中の後ろの壁面のメインが「スマホの筐体を等倍でスキャンして」A3+の用紙にプリントしたもの。
ですから、ギャラリーに入ってメインの三面を観るときには背後にさらりと存在する一枚。

これは、カメラを持って立ち止まるという事は、匿名の誰かしらに(複数形)に、覗き見られ、確認されているという事だよ。
だから、スマホが背中の後ろ(背後)に「匿名の眼」として、A3+のプリント用紙にこれもアナログVR空間に配置されているのだ。
(スマホの筐体自体をデジタルスキャンして等倍でプリントしたもの)

ご覧いただいた方は、350名ほど。
ですから、表の三面はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。ただ、この背後の面の使い方について問いを発してくださったのは、ニコンサロンの人ひとりくらい。

で、近所のギャラリーでは「自宅をバーチャリゼーションで表現する」展覧会を開催していた方がいて、それ(Mr.DENの展示)を見たら話の筋が見えるよ。と話したらギャラリーから踵を返して出て行った。

Mr.DENの展示は「外側から実際の個人の部屋を俯瞰できるように設計されたものだった」
「僕の展示は云わば内側から似たような空間を構成する展示」だったのだから、両方を見たら体験的にも面白いと思う。これはかなりの偶然で、僕とDENが共謀したものではない。

当日、近所のギャラリーにいた、Mr.DENに聞いたら、その時間にこっちに来たよ。と云ってた。それ以来、ニコンからは睨まれる感じがしてあまり気分が良くない。(笑)

【長考の結果】(2023年~24年12月)

そして、「長考」した結果、当初は個人的な体験から積み上げて、どこかで社会の価値と交錯する場面の見出していく作業であったものが、社会の寿命を仮に逆算して、現実の諸相、特に人間が如何に自然のヒトとほぼ同義であるか、産業構造や社会構造に疑義を提示する方向性に舵を切るようになりそうだ。
そこにある計画は、骨子がしっかりしているだけで、肉付けは東京23区を歩いて回った写真モチーフで当初はアプローチすることになりそうな予感がする。

そして、最も大切な要件のひとつのヒントは「人類は日本人だけで構成されていない」ということ。文化的にも普遍性の枠組みを捉えなおしながら、アプローチをしなきゃならないというのは大前提だ。

※2022.5.3 (Tue) – 5.28 (Sat) 13:00 – 19:00 四谷四丁目にて開催した展示
※冒頭は、4×2mのプリント(入口正面)

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