約束の地にて〜その1〜
『重ねまして日本航空よりご案内致します』
出発ロビーにアナウンスが響き渡る。
初めての海外旅行でしかも一人旅という事もあり、母は出発寸前まで心配をしていた。
大学生になり学生生活も初めてのバイトもそれなりに慣れてきて時間に余裕が出来た為、父が出張で行ったというキプロス共和国へと旅行をする事にしたのだ。
日本からの直行便は無く、ヨーロッパ経由で乗り継ぎをしながらの旅となる。
『何、大した事はないさ。人生に冒険はつきものだ』と父は笑っていたが、一度も日本から出たことの無い母にとっては心配でしかなかっただろう。
僕は搭乗手続きを済ませて、キャリーケースを預ける。
生まれて初めて海外に出る僕は、まさか飛行機に乗る為にこんなに時間が掛かるなんて思ってもみなかった。
どうにか出国審査を終えた僕は、搭乗口に向かって歩き出した。
アフロディーテの伝説が息づく国...。
かつて父が言っていた事を思い出しす。
御守り代わりに持ってきた一枚の金貨をポケットの中に確認すると、僕は搭乗予定の旅客機に乗り込んだ。
乗客は皆、忙しなく荷棚に荷物を押し込んでいる。
不意に現実味が薄れて、日本が遠ざかるのを感じた。
飛行機なんて、高校の頃に修学旅行で北海道に行ったきり乗っていない。
些か緊張はしたが、離陸してしまえば後は寝ている位しかやる事が思いつかなかった。
不意にいつか見た夢を思い出す。
星を眺め、月の光に満たされる夢。
その中で交わした二人の誓い。
気が付くと僕は泣いていた。
自分の涙の理由も分からないまま、流れる涙を止める事もせず、ただただ僕は涙を流した。
ドーハから乗り継いでラルナカ国際空港に着いた頃には、体力は既に限界に達していた。
時間の感覚も狂い、これが時差ボケかなんて思いながら、どうにかホテルに着いた頃には自分が何処に居るのかさえも分からなくなりそうだった。
極度の緊張と疲労のせいで、そのあと10時間も寝てしまった僕は、目が覚めてもまだ夢の中にいる様な感覚に囚われていた。
夢の中で何度も聞いた声。
『私、貴方に出会えて幸せよ?』
遠い昔に聞いた事がある気がして、心臓が激しく脈打った。
「腹、減ったなぁ」
僕はわざとらしく言うとベッドから起き上がり、スマホで周辺を調べる。
海が近いこのホテルは父が予約をしてくれた。
なんでも、出張で訪れた時に泊まったホテルなんだとか。
どの店が良いのか皆目検討も付かなかったので、とりあえず海に向かってみることにした。
今思えば、あの時海に向かっていなければ、二度と会う事はなかったのだと思う。
僕は生まれてから今まで、ずっと海の見える街で暮らしてきた。
しかし、キプロスの海は僕の見てきた海とはまるで異質である様に感じた。
そよぐ風が髪を撫で、潮騒が心を騒つかせる。
これを人はデジャヴュと呼ぶのだろうか。
いつか来たことのある様な既視感が僕を包み込んだ。
その瞬間、時計の針はその動きを止め、空を飛ぶ鳥たちは空気中に固定されたかの様に動かなくなる。
先程までの波の音も遠ざかっていく。
『キプロスの金貨を探そう』
誰かの声が聞こえた。
『えぇ、貴方となら何処へでも探しに行けるわ』
その声に応える様に、また誰かが言う。
ふと我に帰ると、辺りは先程の賑やかさを取り戻していた。
「何だったんだ?今の...」
僕は旅の疲れからか、その場にへたり込んでしまった。
慌てて周りを見渡してたけど、他の人は至って普通だった。
ただ一人を除いては。
「日本人...だよな?」
僕は砂を払いながら呟いた。
同じ様に座り込んでいたのは、日本人の女の子だった。
「あの?えーと、大丈夫...ですか?」
僕は恐る恐る話しかけてみる。
その子は一瞬驚いた様な表情を見せ、此方を見た。
「あ、あの...すみません。少し貧血を起こしてしまったみたいで...」
弱々しく彼女はそう言った。
年齢は同じか少し上位だろうか、艶やかな長い黒髪に瞳はまるで銀河のように輝いて見えた。
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