第2回 赤木しげるという人物と、彼の思う『成功では得られないモノ』【考察】
始めに(注意書き)
はじめましての方ははじめまして。そうではない方はお世話になっております。吹井賢です。
コラム『吹井賢の斜に構えて』第2回は、福本先生の生み出した大人気キャラクター『赤木しげる(アカギ)』と、彼の思う『成功では得られないモノ』についてです。
最初にお断りをば。
※今回のコラムには『アカギ』『天 天和通りの快男児』等関連作のネタバレが含まれます。
※また、下記の内容は吹井賢の考察に過ぎません。ご了承ください。
それでは始めます。
読者の皆様への問題、今回の主題
ところで、今回は赤木しげるという人物と『成功では得られないモノ』について論じるつもりなのですが、以下の台詞の引用元が分かる方はいらっしゃるでしょうか?
ねえっ…! あってもあんたの「成功」じゃ得られねぇっ…!
今回の主題は、この「あんたの『成功』じゃ得られないモノ」についてです。
アカギと『成功』
”アカギ”こと『赤木しげる』(以下「アカギ」)がどんなキャラクターかなんて、この記事をご覧の皆様に説明するのは野暮というものでしょう。
そして、アカギの話題で、『成功』というキーワードを聞けば、この台詞が聞こえてくる人も多いのではないでしょうか。
いいじゃないか…! 三流で…! 熱い三流なら 上等よ…!(『天』18巻)
名台詞過ぎて、「『天』を読んだことないけど、この言葉だけは知っている」という人さえいそうです。というか、かつての吹井賢がそうでした。
『成功』については、上記の台詞の前に出てきます。
分かるか…? 成功を目指すな…… と言ってるんじゃない……! その成否に囚われ……… 思い煩い……… 止まってしまうこと……… 熱を失ってしまうこと……… これがまずい………! こっちの方が問題だ………!(同作・同巻)
そうしてアカギは「いいじゃないか……!」とひろゆき(以下「ひろゆき」)に声を掛け、最初に述べた「熱い三流なら上等よ……!」に続くわけです。
僕も長く創作をやっているので分かるのですが、このアカギの言葉に励まされた方も多いのではないでしょうか。
アカギにはもう一つ、『成功』に関する台詞として、趣深いものがあります。
そうです、原田克美(以下「原田」)に掛けた言葉です。
お前は「成功」という名の 棺の中にいる…! 動けない…! もう満足に… お前は動けない…! 死に体みてえな人生さ…!(同作・同巻)
滅茶苦茶に良いやり取りなので、何処を引用するか迷うのですが、結論であるここにしておきます。
アカギは言います。
「成功を目指すことは生きていく上で必要だが、あまりに成功を積み上げすぎると、いつの間にか『成功』そのものが人生を乗っ取りに来る」と。「『成功』が成功し続ける人生を要求してくるんだ」と。
続けて、「何だそれ」「まるで分からねぇ」とし、「ありのままの自分がどこにもねぇじゃねぇか」「そんなもん俺は羨ましくねぇ、みすぼらしい人生だ」とまで言い切ります。
こちらも本当に素晴らしい台詞だと思います。直後の原田の葛藤を含めると、余計にそう思います。
さて、そんなアカギの語る『成功』ですが、実は若い頃、『アカギ』の頃のアカギも『成功』について触れています。
若き日のアカギと、鷲巣巌の『成功』
先の問題の答えですが、『アカギ』8巻からです。
鷲巣巌(以下「ワシズ様」)の元へ向かう電車の中で、まだ見ぬ強敵・ワシズ様を思い、アカギはあのように心の内で吐き捨てました。
飽いている……! その成功の突端…… 頂きで…… ただひとり 絶望的に……(『アカギ』8巻)
あんたの成功し続ける人生…… それが…… もう賞味期限切れ…… ゲームオーバー…… もうおまえはそこから 「酔い」を得られない(同作・同巻)
アカギは、ワシズ様を「生きながら焼かれる大蛇」と表現し、「まだ何か”あるはず”……!」と苦しむワシズ様(※アカギのイメージ)に対し、「ねぇっ…!」と断言しています。
しかし、吹井賢は少しばかり思うのです。「一連の言葉の中で、『あってもあんたの成功じゃ得られない』という部分はアカギらしくないな」と。
同じ場面でアカギは、
死ねっ……! 死ねっ 死ねっ……! 死ねっ…! 死ぬことが至福だっ……!(同作・同巻)
死ねっ…! 異端者っ……! それが唯一 救われる道…(同作・同巻)
という風にワシズ様に投げ掛けているのですが、「いくらなんでも、死ね死ね言い過ぎじゃねえ?」という感想は脇に置いておくとして、この言い回しは酷くアカギらしく感じます。
また、少し後のシーンではこうも独白しています。
ククク…… 死ぬさ 鷲巣…… どんな王も死ぬんだ…! その真実から目を切った数十年が お前の不覚……(同作・同巻)
こちらも、凄く「らしい」台詞です。
ですが、最初に述べた「あってもあんたの『成功』じゃ得られねぇっ…!」という一言だけが、少しばかり、浮いているように感じるのです。
……じゃあ、「ワシズ様の『成功』じゃ得られないモノって、なに?」というのが、今回の主題です。
吹井賢はこの『成功では得られないモノ』について、二つの回答を考えました。
『成功では得られないモノ』とは、『狂気』
一つ目の回答は『狂気』です。
より正しくは、『命をやり取りするような鉄火場でしか得られない、生きる実感』ですね。
「狂気の沙汰ほど面白い」とはアカギの名言の中でもトップクラスに有名なものですが(最初に言った市川がちょっと可哀想)、社会的な成功を積み上げるだけでは、死に直面して感じる生きる実感というのは、感じにくいのではないでしょうか。
それこそ、先述した原田に対しても、「お前、自分を生きてねぇだろ」的な批判を行っています。
しかし、これも少し違う気がします。
『成功では得られないモノ』とは……
二つ目の回答は、吹井賢程度の人間が口にすると薄っぺらくなってしまうのですが、『人との繋がり』みたいなものです。
「ええ? アカギが、『人との繋がり』……?」という声が聞こえてきそうですが、ここで時系列を『天』に戻します。
天貴史(以下「天」)は、自ら命を絶とうとするアカギに対し、こう言います。
だって… 赤木さん……! あんたには… やり残した事があるでしょうが…!(『天』18巻)
この言葉に対し、アカギは「あ…?」と珍しく、真意を読み取りかねているような声を漏らします。
それもそのはず、天が言っているのは『家族』についてだから。作中で天が言うように、アカギとは無縁の概念についてだからです。
「大抵の人間は家族を得て死んでいくのに、アカギともあろう男に家族がいないのはおかしい」と天は言うわけです。それが、「やり残したこと」であると。
続けて、天は『赤木しげる』という博徒の本質を突きます。
だいいち そもそもあんたが 誰かとつるんだり……… 話し込んだりなんて姿を…… 思い出せねぇ……………!(同作・同巻)
いつも距離を置いていた 親しさに限度があった…! 他人と深くつながろうとしなかった……!(同作・同巻)
これはアカギのメンタリティー、強さにも関係すること。
天は尚も言います。
今にして思えば あんた… 避けていたんだ………! 弱くなっちまうもんな… 死んでもいいって人間が… 死ねなくなったら…!(同作・同巻)
そう、アカギの「死にたがり」とも言うべき精神性、その死を恐れぬ生き様は凄まじいものでしたが、それは孤独であってはじめて得られる強さだった。天の言うようにです。
天は「でも、こうなっちゃ赤木しげるも引退だ」と言い、「今から家族を築きましょう」「俺んとこへ来てください」と涙ながらに説得します。
……ここから先の展開は、今日の本題から逸れ、また、一人で静かに、じっくりと浸るべき名場面だと思うので、語らないでおきましょう。
『成功では得られないモノ』と、アカギ
そういったわけで、「あんたの『成功』じゃ得られないモノ」とは、『人との繋がり』だったんじゃないか、というのが、吹井賢の結論です。
何故、『家族』ではなく、『人との繋がり』という表現を使ったかは、『天』を最後まで読まれた皆様なら分かるでしょう。
確かに、赤木しげるに家族はいなかったかもしれない。
しかし、家族はいずとも、友はいたのだから。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
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最後に宣伝!
……吹井賢はまだ、「無念を愛していた」と言えるほどの境地には至っていません。もしかしたら、ずっと成功を目指し続けるばかりかも……。
でも、「生きたいように生きる」ことはできずとも、「書きたいように書く」ことはしていきたいと思っています。
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