サブカルで学ぶ社会学⑤ 『闘争・逃走反応』 ~『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』より、その人間の本質~


はじめに(注意書き)

はじめましての方ははじめまして。そうではない方はいつもお世話になっております、吹井賢です。

さて、『サブカルで学ぶ社会学』第五回です。
今でも心理系の資格を勉強中(なんとマジ)であり、そもそもアニメに影響を受けて社会学を勉強しようと決意した吹井賢(なんとこれもマジ)が、社会学やその周辺科学、つまり、政治学・哲学・精神医学・文化人類学・生理学・等々に出てくる概念を、サブカルチャーを絡めつつ、分かりやすいが論文で引用すると怒られる程度にはふわっとした感じに、解説していこう、という記事です。

最初にお断りをば。

※あくまでも娯楽として楽しんでください。
※興味を持った概念については、この記事を読むだけではなく、信用に足る文献を読み、講義を受けることをお勧めします。
※そして僕に分かりやすく教えてください。

それでは始めます。



ところで、『アカギ』の好きな対局ってどれですか?

もう、わざわざ『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』の説明はしませんし、読んだことない方は読むべきだと思います。
アニメも良かったですよね?

まあ、原作の後半の方、信じられないくらいに長いんですけど……。

では、そんな後半のテンポ感が嘘のように長さ的にも読みやすく、綺麗に纏まっているのは何処のパートだと思いますか?

そうですね!(個人的好み)
原作では四巻~七巻に当たる、vs浦部戦ですね!


諸々の理由から、七万点のリードを許した状態(常人ならそんな勝負は投げている)で始まるも、相手の心理を読み切った戦略に、偶機の待ちを成立させる強運と、アカギの悪魔的強さが非常に分かりやすく出ていて、滅茶苦茶面白いです。

……いやまあ、実のところ、吹井賢が「アカギが何をやっていたのか?」を理解したのは、随分後になってからなんですが……。
(麻雀における基本的な打ち方やベーシックな戦略を把握してないと、そもそもアカギの凄さを理解するところまで行けない)



アカギの語る『人間の本質』と、『闘争・逃走反応』

そんなアカギですが、アレで妙に面倒見の良いところがあると言いますか、vs浦部戦においても、「どうして浦部が裸単騎に振り込むと予想できたのか?」を実に丁寧に説明してくれています。

アカギは、その対局での自分の戦略を、「てっぺんだけ話しても分かりにくいから」と、最初から説明し始めます。
「実はここが一番重要」という前置きまでして。

「麻雀に勝つには その男の根っこ」
「『潜在意識』や『イド』とすりあうようにある 人間の最も原始的な思考の流れを 見定めなきゃいけない…」

『アカギ 〜闇に降り立った天才〜』より

アカギは言います。

「人は危機に相対した時 その人間の本質が出る…」
「恐怖にかられ逃げ出すか……?」
「それとも 突っ込んでくるか…」
「あるいは」
「立ち止まってしまうか……?」

「見極めなければ 勝負処での敵の動きが見えない…」
「序盤は まずその本質を計ることが肝要」

前掲書より

vs浦部戦、アカギはまず、普通の青年・治に打たせるという、既に滅茶苦茶なことをやらかしていますが(いくら賭けられた勝負だと思ってんだよ)、これは相手の本質を探る為の策略であり、結局最後まで、アカギは情報アドバンテージという点では浦部に圧勝しています。
そして、そのアドバンテージは勝負を決する要因にもなりました。

言う通りに、「序盤は まずその本質を計ること」を行い、そして、得られた情報から「勝負処での敵の動き」を推察し、勝利を手にしました。

いやあ、カッコいいですよね……!


アカギのように戦うことは、わざわざ言うまでもなく常人には無理でしょうが、けれども、アカギが語ったこと、即ち、「人は危機と相対した時 その人間の本質が出る」という考え方は、実は、生理学や精神医学の分野では非常に近いものがあります。

それが、『闘争・逃走反応(fight-or-flight response)』と呼ばれる現象です。

英語でも日本語でも韻を踏んでて、最高にイカした専門用語ですね!


そんな『闘争・逃走反応』ですが、まあぶっちゃけ、アカギが言ったことそのままなんですけども、一応、学術的な引用もしておきたいと思います。
ただ今回、家にある学術書や辞典類を漁ったのですが、『闘争・逃走反応』が載っている書籍がなかったので(臨床心理士とか精神保健福祉士の試験には出る用語のはずなんだけどなあ)、ネットの記事になりますが、許してください。

東京未来大学の藤本昌樹氏の説明では、こんな感じです。

「心理的なストレスや感情的な状態が身体的な反応を引き起こすことがよくあります。このような反応には、自律神経系が関与しています。自律神経系は、交感神経系と副交感神経系の2つから成り立っていて、『からだ』の様々な機能を調節しています。」
(中略)
つまり、ストレス状況で人は『戦うか、逃げるか』(闘争・逃走反応)という反応を『からだ』でしているのです。」

『心と「からだ」の深い関係−野性動物はPTSDにならない?』より
(https://www.tokyomirai.ac.jp/future/fujimoto/fujimoto-761/)


『闘争・逃走反応』という字面通りに、あるいは、アカギが「人は危機と相対した時 その人間の本質が出る」と語った通りに、動物は、危機に遭遇すると、「戦う」か、「逃げる」か、あるいは「何もできなくなってしまう」ように造られている、とされています。
動物を研究する学者さんなんかは、「危機的状態で『何もできなくなる』のは、死んだフリに関係しているのではないか」とか考えているらしいですが、吹井賢は動物の心理は専門外なので詳しいことは分かりません。

しかし、それにしたって驚きですよね。
アカギの語った人間の本質が、ほぼそのまま学説として存在しているなんて。



「恐怖と相対する」ということ――自らの本質を理解し、生きる

”危機的状況”という恐怖と相対した際、人の反応は様々です。

戦うか……?
それとも、逃げるか……?
あるいは、何もできなくなったり、様子を見てしまったりするか……?

アカギは浦部のことを、「アイツは死ぬまで保留する」「本当の勝負も生涯できない」と酷評しますが、僕としては、戦うことも逃げることも、様子を見ることも、正解は場合によると思っています。
驚いて蹲っていたら、いつの間にか危機が去るかもしれませんし、勇んで戦いを挑んだ結果、大きな痛手を負うかもしれません。
あるいは、命を落とすことだってあるかもしれない。


だから、大切なのは、自分の本質を理解しておくこと。

すぐさまに戦う心持ちになってしまう人ならば、カッとなって戦いを挑んで損をしないかどうか、少しだけ考えてみる、とか。
思わず逃げてしまう人は、逃げた先がもっと酷い状況ではないか、何処に逃げれば安全かを踏まえて逃げる、とか。
何もできなくなったり、様子を見てしまったりする人は、緊急時に過度に緊張しないように心掛けてみたり、リラックスする練習をしてみる、とか。

アカギではない僕達は、自身の本質と力量を理解して、上手いこと、生きていければいいんじゃないでしょうか?
少なくとも、僕はそう思っています。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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最後に宣伝!

分からないんですけど、遅くとも年内には色々と宣伝ができると思います。
乞うご期待!


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