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リーマンショックで学生最後の大会が無くなった時の事

この記事は、昨今いろいろな学生スポーツ大会が中止になる中で、かつて自分が学生時代に出場を目指していた大会(鳥人間コンテスト)が突然中止になった、という今の状況に近い経験を振り返って書くことで、なんかの役に立てればなぁ、と思って書きました。
自分は上から目線でああしろこうしろ言えるほど偉い人間ではないので、これはあくまで経験談を綴るだけにします。
誰かの役に立ちたいとか強い気持ちで書いているわけではなく、たぶん読んでもなんの役にも立たないかもしれないですが、ご容赦ください。

・前置き

こういう世の中になって、人が集まるイベント事が続々と中止になる中で、学生スポーツの大会もどんどん中止にならざるを得ない状況。
選抜高校野球やインターハイなんかはニュースでもよく取り上げられてましたが(2020.05.20追記:夏の高校野球選手権大会も中止になってしまいました)、先日自分がよく知る大会もその波に飲みこまれていきました。

それは、

鳥人間コンテスト

厳密に言えば鳥人間コンテストは社会人でもエントリーできる大会なので、学生スポーツに括るのはおかしいんですが、個人的に自分の大学時代はこの大会なしには語れないほど打ち込んだものですし、数多くの高校や大学に夏の琵琶湖を目指して飛行機を作るサークルが設立されていますので、ここではそういう括りの中で話をさせてください。

大会自体は毎年7月末の土日、琵琶湖の松原水泳場(彦根市)で行われるのでまだ3ヶ月近く先の話ではあるのですが、外出自粛や学校の休校で多くのチームで機体製作が滞っていること、今後活動が再開できたとしても機体製作のスケジュールがタイトになり機体の安全性が損なわれる危険性があることなどが早期に中止を決めた理由のようです。

この大会自体は屋外の大会ということもあって天候に左右されやすく、天候不良による中止はたまにあるんですが、天候とは関係なく開催前に中止を決めたケースが今年以外にも過去に1度だけありまして、それが、

2009年(第32回と第33回大会の間)

所謂リーマンショックというやつで番組制作費を用意できずに中止となってしまった年であり、自分がサークル幹部代でもあった年。
そんな理不尽な目にあった当時のことを少し振り返ってみようかな、というのが今回の目的です。

前置きが長くてすみません。

自分には学生当時から続けてる(最近は更新してないけど)ブログがあるんですが、最初そっちに書こうと思って当時のブログを掘り返してたら、思ってた以上にイキりまくっている自分がいてなんか恥ずかしくなったので、掘り返すだけ掘り返してこっちに書くことにしました。


・本題(当時を振り返る)

2009年大会の中止が決まったのは年明けすぐくらいでした。
例年、鳥人間コンテストは事前に出場を希望するチームが設計図や機体コンセプトなどの書類を提出、大会側で書類審査の後、3月末~4月に出場チームが決まる、という流れになっています。
ですが、この年はおそらく番組に対する予算がつかないことが決まり書類審査をすることも出来なくなったため、早い段階での中止発表になったんだと思います。

リーマンショック自体はこの前年から起きていましたが、まさか自分がこんな形で不況の影響を受けるとは思っていなかったし、大会が開催されないなんて考えたこともなかったので、事実を受け止めるまでには少し時間がかかりました。
ただ、受け止めたと言ってもそれは脆いもので、サークル外の人から「大会中止になったんだって?」とか訊かれると簡単に崩れてしまうようなもの。

しばらくは鳥人間関係者以外の人に会いたくなかったです。

しかし、受け止めるとか受け止めないとか考える前に、考えないといけないこともあって、

これからの活動はどうするのか

大会がなくなった以上、今の幹部代がそのまま活動を続ける必要はないし、だからといってここまでやってきたのに中途半端に活動を終わらせてしまうのは確実に悔いが残る。

ですが、幸い(?)にも自分たちのサークルは弱小で、書類審査で落とされることも普通にあり、

大会に出場できなければ試験飛行をして代替わりをする

という流れが確立されていたので、その時と同じような流れで後輩へ代替わりをするということで早々に話はまとまりました。

もう一つ弱小チームだったことが幸い(?)したのが、上記の流れが確立されていたことにより、試験飛行に向けての機体製作のモチベーションがある程度は保てたということ。
これが毎年の出場がほぼ確実な強豪チームだったら、飛ばすとはいえ大会ではなく試験飛行であるという現実が重すぎて、作業に対するモチベーションが大きく低下していたかもしれません。
そもそも、しっかりと「飛ばす」試験飛行をするチームが当時はあまりいなかったように記憶しています(今はわかりませんが)。
今思うと、この時ちょうどしばらく続けていたバイトを辞めて、他にすることがなくなったというのも、鳥人間に対するモチベーションを維持できた理由の一つかもしれませんが。

そんなこんなで、夏までかけて機体を製作して、試験飛行をして引退をしました。

というのが自分の経験談になります。


・当時を振り返って

今でも、大会に出場したかったな、と思うことはあります。
自分はパイロットという重責も担っていたので、もし自分があのプラットフォームから飛び立つことが出来たら、自分の人生は変わっていたかもしれない、と思うこともあります。

実際自分の人生はこの後、大学院進学から中退、ブラックな企業への就職、2度の転職からの派遣社員と、おおよそ普通の人生とは程遠い遠回り人生を歩んでいくことになります。
それがこの大会中止の影響だったのかどうかは自分でもよくわかりません。
もしかしたら、普通に大会に出場したとしても、同じ人生を歩んでいたかもしれません。
ですが、大会に出場することは出来なくともそこに向かって活動してきた経験も今の人生に確実に活かされています。
また、この遠回り人生で得られた経験も、当然ながら今の人生に活かされています。
それに、もし普通の真っ直ぐな人生を歩むことが出来たとしても、途中で何か違う挫折が待ち受けていたかもしれない。

今の自分は、過去の自分が積み重なってできたものなので、忘れたいと思うようなことは数多あれど、消してしまおうと思ったことはありません。

だから、イキりまくった恥ずかしい過去のブログも消してません。
恥ずかしいからこの記事内にリンクは貼りませんが。

時が経つにつれて、大会に出られなかったことを人に話す時、

書類審査に落ちて出場できませんでした。

と言うよりも、

リーマンショックで大会がありませんでした。

と言えるのがなんかカッコいいな、と思えるようになってからは、変に気落ちすることもなくなりましたかね。

更に言うと、この翌年・翌々年と後輩たちが出場してくれたおかげで、お手伝いということではありましたが、プラットフォームに立つこと自体は成し遂げることが出来ました。
なので、出場してくれた後輩たちや、翌年以降毎年スポンサーになっていただいている岩谷産業さんにはホントに感謝しています。
いつかキャンプをする時はIwataniのカセットコンロを買おうと思いつつ、残念なことに今日に至るまで必要になる機会に恵まれておりません。


以上になりますが、たぶんホントになんの役にも立たなかったことでしょう。

まぁでも、こんな記事を真面目に最後まで読んだあなたはきっと、自分なんかよりずっとマシな人生を歩めるから安心してください。

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