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自閉スペクトラム症の私(新卒社員の頃)

26歳でやっと卒業できましたが、出来る限り入社したくなかったプラスチックフイルムの製造会社だったので、そんなに長く持ちませんでした。

先ずば理科大卒どころか首都圏の大学を卒業したのは、院卒を含んで岩手大または郡大卒の出身4名だけで、高卒は地元の総和高校(茨城県古河市)なと地元の生徒が20名ほどおり、女性以外は皆現場配属となった。

そんな状況なので、私が配属された開発部門と製造部門は仲が悪く、明らかな職場差別があって我々を羨んでいた。

特にフイルムシートを作っている部署は大きな高熱ロールを3つ回して製造し、3直土曜日ありで働いているので、現場でのパワハラどころか暴力まで頻繁にあった。

開発部門に所属していた時に現場に行くと、部長以外は誰からも無視され、試作なんか入れようものなら怒鳴られる始末であり、心身共に耐えられなかった。

また大卒は工場内の入寮が原則必須であったので、古い寮に塩化ビニルが焼ける臭いを嗅ぎながら生活していた。

また、高卒の現場所属の人間には意地の悪いのがいて、共同浴場の風呂の栓を抜くなど嫌がらせも横行していた。

そんなストレスが溜まりに溜まって8月の夏休み中に急性胃腸炎を患い、2週間津田沼の某病院に入院してしまった。

会社はやっと私が開発部門にいるのは心身の負担に影響があると判断し、10月から機能性プラスチック製造部門に転属したが、直ぐに客先で自動車の窓枠に使う光輝テープで不具合が起こると相談があり、当時の開発の先輩(とはいえ3つ年下の若者)と共に富山県南砺市にある客先に調査と製造を行い、現地に行った。

しかし会社は毎日の宿泊料と日当を支払ってはくれるが、定宿が土日に埋まっている事があり、毎週末は毎回違う場所で泊まる羽目になった。

翌年1997年、富山へ行って間がなく父方の祖父が亡くなり、実家へすぐに戻り、3日間忌引休暇を経て富山へ戻ったが、完全にやる気のない状態から抜け切れず、他業種に転職するのを外見の理由に1月末をもって退職した。

本当にブラックな会社に入ってしまい、あらゆる人達を警戒するようになってしまった。

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