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「宇多田ヒカル」という存在

11月24日。Netflixで「First Love 初恋」の配信が開始された。この作品は、宇多田ヒカルの「First Love」「初恋」からインスパイアされ、20年間の恋愛ストーリーを描いている。
今回は、作品のレビューではなく、僕の人生にとって「宇多田ヒカル」とはどういう存在なのかを書いていこうと思う。

1 宇多田ヒカル

1998年 宇多田ヒカルは15歳という若さでCDデビュー。デビューシングルの「Automatic/time will tell」は、当時の音楽業界に衝撃を与え、その後1stアルバム「First Love」は累計売上枚数765万枚を超え、日本国内の歴代アルバムセールス1位になっている。ちなみに2位はB'zの「B'z The Best "Pleasure"」で約513.6万。その差は約250万枚。また、アルバムランキングの4位には2ndアルバムの「Distance」で約447.2万枚がランクインしており、宇多田ヒカルの凄さがわかる。
しかし、2011年から「人間活動」とし、活動を休止。2016年に復帰し、アルバム「Fantôme」を発売。
宇多田ヒカルは日本のみならず、世界でも活躍しており、まさに日本のトップアーティストといえるだろう。

1stアルバム 「First Love」

2 「宇多田ヒカル」という存在

僕の2022年Apple Musicの再生ランキングのアーティスト部門で宇多田ヒカルは2位。アルバムランキングでBADモードが1位。プレイリストランキングで2位。
また、2021年のランキングでも宇多田ヒカルは上位にきている。
僕は昔から宇多田ヒカルを聴いていた。そのきっかけは親だった。
1998年は、僕の姉が2歳だった。母親はちょうど子育ての時期。まだまだ大変だった子育て中、車のラジオで宇多田ヒカルの「Automatic」を聴いたという。初めてその曲を聴いて、思わず聴き惚れてしまった。そして宇多田ヒカルが15歳としり、衝撃だったという。それから、母は宇多田ヒカルの楽曲をよく聴いていた。そして好きという気持ちは途切れることなく、僕が成長した。
思えば、保育園に行く車の中や、病院へ行く車の中、ラジカセで聴いていた音楽はいつも宇多田ヒカルだった気がする。
当時の僕は、さほど夢中にはなっていなかっただろう。しかし、僕は次第に夢中になっていく。
小学5年生の時、初めてウォークマンを買ってもらった。当時、音楽はラジカセでしか聴けなかった僕にとって、携帯できるプレイヤーはまさに夢のような機械。耳にイヤホンをあて、ウォークマンを持って、用もないのに散歩して。そんな日々を送っていた。
ウォークマンを手に入れて、僕はとにかく家にあるCDを機械に入れまくった。僕自身、そんなに多くのCDを持っていなかったので、お父さんが好きな矢沢永吉のCDや、お姉ちゃんが持ってたAKB48のアルバム。とにかく入れた。その中に、お母さんの持っていた宇多田ヒカルのCDもあった。
中学生になって、僕の中では「宇多田ヒカル」は安定な音楽だった。とりあえず宇多田を聴く。何度も何度も聴いた曲。でも毎回、心に染みるものがあった。
また、朝ドラの「とと姉ちゃん」をたまに見てた僕は、オープニングの「花束を君に」がとにかく好きになった。町の秋祭りのカラオケ大会でも、披露した。
しかし、高校生になるまで歌詞に注目したことがなかった。ただ歌詞を覚え歌っていた。
あるとき、僕は恋愛を経験した。苦しくてどうにかしたかった。そんな時、宇多田ヒカルの曲を歌詞を見ながら聴いた。まるで初めて聴いたかのような衝撃、感動だった。歌詞の意味を知ると、こんなにも切ない苦しい曲なんだと。あの頃の僕には、少し辛かった。
今年の1月にBADモードの配信を開始し、夢中になった。
僕には好きな歌詞がある。それは「気分じゃないの」の一節。

材を片手にかけて
タバコに火をつけてる老女を
横目にスコッチを呑んで
作詞しているとそこへ
クリアファイルを抱えた人が
やってきてこう言った
「私のポエム買ってくれませんか?
今夜シェルターに泊まるためのお金が必要なんです」
ロエベの財布から出したお札で買った詩を読んだ

この歌詞は衝撃だった。でも、とても深く、とても気に入っている。

僕は今年、恋愛でとても苦しんだ。鬱になった夜、カラオケで宇多田ヒカルを熱唱した記憶がなんだか懐かしいです。

3 1998年

1998年。この年を聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?長野オリンピックやX JAPANのhideさんの訃報。タイタニック公開や、AppleのiMacが日本で発売など、数多くの出来事がありました。
そんな1998年は、CDバブル絶頂期と言われています。その理由は、後の国民的歌姫が5人もデビューしたからです。
【2月デビュー】MISIA 
【4月デビュー】浜崎あゆみ
【5月デビュー】椎名林檎
【7月デビュー】aiko.
【12月デビュー】宇多田ヒカル
このように、今では誰もが知っている歌姫のデビューは、みんな1998年でした。

MISIA
日本一の歌唱力と言われ、今でも孤高の歌姫となっている。デビューシングル「つつみ込むように」では、先行アナログ盤は即完売。デビュー後すぐにトップアーティストの仲間入りとなる。また紅白歌合戦大トリランキングでは、2位1位になりました。
浜崎あゆみ
1999年から2000年にかけてCDのヒットを多数記録。また、女子高生の憧れ的存在なファッションリーダーでもあった。
椎名林檎
独創的な歌詞、曲調が特徴で、当時の音楽界では他にはない世界観で人気に。
また、椎名林檎の所属する「東京事変」のメンバーはえげつないほどの才能が集まっている。
aiko
多くの女性から共感を集める歌詞。曲は明るいが、切ない歌詞が多く、失恋した人などに、強く刺さる曲が多い。また、歌い方も特徴あり、絶大な人気があった。

このように、音楽界では衝撃を与えたアーティストがデビューした年でした。

4 最後に

「音楽」は素晴らしい。それぞれの個性が、曲として出てくる。本当に素晴らしいと思います。
もし、宇多田ヒカルに出会っていなかったら、人生はもっと変わっていたかもしれません。母親に感謝です。


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