Vyomの歴史
今回は私がVyomという名を頂き、
自分を生きると決心するまでの歴史をつづります。
【癒しの道へ】
大学在学中にリフレクソロジーと出会う。
『足裏をさわることで、体だけでなく心も癒せる』
という概念に感銘を受けて
西洋式リフレクソロジー養成学院半年コース修了。
就活中にあるパチンコ屋からの新卒募集のメールに、
『マッサージ店も経営している』
と書いてあるのが目に留まり、会社説明会に潜入。
「すみません!パチンコではなく、マッサージ屋さんの方が気になっているのですが…」と質問タイムに社長に投げかけてみる。
何回かの面接を経て、新卒正社員として雇ってもらう。
ボディケア、アロマトリートメントなど手技を、働きながら取得。
社員としての仕事より、もっと技術を追求したいと思い、
某リゾートホテルスパのセラピストに転職。
せっかく雇ってくれた社長、ごめん!
新たな職場では、様々な生き方をしている人たちに出会い、
色んな人生の選択肢があることを知る。
一人暮らしもして、ペーパードライバーも脱出。
ただ冬は凍る場所だったので、スリップして何度か死にそうになるし、
友達も殺しかけたことがあった。
サロンではフェイシャルやホットストーンなど技術は増えたが、
もともとアトピーもちで、手荒れがひどくなり退職。
オイルを使わない手法を習うため、東京に戻り、
アルバイトをしながら、整体スクールに通う。
スクールの座学はとても身になったのだが、
実技でどうしてもついていきたい技術の先生がおらず、
途中で断念。。。
同時に『この仕事は人生経験がものをいう』ことを実感し、
思い切ってリラクの業界を脱することにする。
【日本点々そして…3.11海外生活の始まり】
やってみたかった事務仕事、雪山のリゾバ、
そして島の民宿など職を転々としてみる。
先輩に初のヨーロッパアフリカ旅のお供をさせてもらったりもした。
そんな生活の中で、英語が話せたらな…という出来事が重なっていく。
モロッコで出会った人と日本で再会したとき、
フィリピン留学の話を聞き、興味を持つ。
英語アレルギーだったけれど、日本でやることないしな…と思って、
即学校を決めて、フィリピンに飛ぶ。
2011年3月11日 フィリピン着。
が、マニラの空港でカウンタースタッフのせいで国内線に乗れず、
日本語で怒鳴りまくって、初めてクレーマーと化す。
電話も通じず、空港から学校までの車が煙を吹いたりして、
散々な目に合うな…と思っていたが、
日本はもっと大変なことになっていたことを夜知り、
大震災を間一髪のところで免れた。
4か月フィリピンで英語を特訓。
韓国人台湾人フィリピン人に囲まれ、異文化を理解していく。
海外でどこまでやれるか挑戦してみたくなり、
ワーキングホリデービザを取得し、ギリホリ、オーストラリアへ。
フィリピン留学が功を奏し、英語の電話面接に合格。
すぐにエアーズロックのホテルで仕事が決まり、
前半6か月、後半6か月、トータル1年間、
地球のへそにて引きこもる。
WWOOFでキウイを取ったり、牛の世話などの田舎経験、
the blue mountainsの奥地でのホテルの仕事など、
オーストラリアで2年過ごした。
日本に帰りたくないので、おすすめされた台湾のワーホリビザを取得し、
日本語教師を目指して、台湾へ飛ぶ。
日本語教師はワーホリではやりにくいと知り、早々あきらめ、
台北と台南のゲストハウスで過ごす。
カナダとデンマークのワーホリビザも取っていたが、
カンボジアでのインターンの仕事が決まる。
【雲水さんと行く】
カンボジアに渡航直前に、台湾を旅して五日目の雲水と出会う。
二週間同じ宿で過ごし、それぞれの道へ。
日本語も英語も話せないカンボジア人の女の子三人と、
いきなりオープン日からスパを任される。
ひっちゃかめっちゃかドタバタな3か月の契約を終えるところに、
台湾を旅していた雲水がカンボジアへとやってくる。
共にカンボジアとタイを旅して、
お互いに台湾への愛があることに気づき、台湾で家を探す。
台湾の超ど田舎、昔日本軍が壊滅させた村の一軒家を借りることに。
家に引きこもって、雲水のLINEスタンプなどの制作。
台湾友人主催の音楽フェスでボディケアの出店をすると、
予約があふれるくらいの反響をもらうことも。
台湾を離れ、日本や他国をめぐり、めぐってインドにご縁を頂き、
ケララ州に半年間家を借りて、アーユルベーダの病院に通う。
病院以外の用事はほぼないので、ペンタブを使い、
インドで起こったネタでマンガブログを描き始める。
友人のブロガーが読者を募り、我らのインドの家を訪れることになる。
10人規模の一週間程度の旅をコーディネート。
それがきっかけとなり、インドを離れたあと、台湾での行脚も行う。
【new journey】
日本に数か月、ご縁をめぐる海外半年以上の生活を続けるも、
2018年アトピーが悪化し、ついに日本の実家に半年間引きこもる。
家族の協力もあり、なんとか外に出られるまでになり、
リハビリも兼ねてもう一度国外に出るが、
何かを感じて、日本に戻る。
感じた何かがわからないまま突っ走り、
エクタさん主催の『ヒーリング×瞑想マスター講座』にたどり着く。
そこで旅中に迷走した『瞑想』の概念を覆される。
半年間、自分を見つめ、瞑想とヒーリング修了。
修了時、『生を十全に生きる』ことを決意し、
Ma Anand Vyom
『至福の空』という意味のサニヤスネームを授かる。
2020年新型コロナウイルスが世界で大流行している中、
再びボディーワーク、そして新たにエネルギーワークの世界へ…