サブスクリプションと倫理学
「所有」から「利用」への価値観の変化は、一見すると小さな変化に見えるが、倫理的な面で見方を変えると、非常に大きな変革と言えるだろう。
今年も自分にとっての学びを振り返っているなかで、2023年の初めに書こうと思っていた本雑記は年末になってしまったのだけど、こんなニュースが当初密かに物議を醸していたのはご存知だっただろうか。
当然ネットは大荒れ、「命を甘くみるな」とか動物愛護団体への非難もみられた。そもそもサブスクリプションが出てきてから生き物そのものを扱うという問題はおそらくいずれは出て来るんだろうな、と思いながらそれが2023年の最初に出てきた。
こういうのをみた時、そもそも「愛とは何か」という大きな問があるように思う。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』のなかで愛の定義を「お互いに好意を抱いており、お互いの相手かたにとってのもろもろの善を願っているということ、そして、それのみならず、このことがそれぞれ相手かたに知られていること」(アリストテレス、P84)とした。
今回の猫サブスクでは、愛の構図として人間→猫は成り立つが、猫→人間は成り立たないというところが一番の論点であるように見える。
人間が猫の善を願った時、猫は人間の善を願えるか。こういうことを考えると埒が開かないのだけど、今僕が一番恐れているのは、この少子高齢化という時代に人間のサブスクが現れるのではないかということだ。
赤ちゃんを産めなかった親や、老夫婦が最後に使うサービスを提供します、なんて会社出て来るわけない、、、そう思いながら、2024年は倫理学を少し深掘りしてみようと思う。
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