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無意識を制御するAI選挙

大学生の頃イギリスに留学して、プレミアリーグを見た時のことをふと思い出した。日本がドイツに勝った時、国が繋がったような気がした。プレミアリーグでは僕はアーセナルのファンなのだが、アーセナルファン同士で、絆や繋がりを感じた。

ところで、近代社会というのはナショナリズムが叫ばれ、上記のような共同体がどのように出来るのかという学術的研究が多く存在する。

その研究で最も有名なものの一つにベネディクトアンダーソンの『想像の共同体』がある。この本では、近現代に特徴的な国を愛するナショナリズムがどのような形で、醸成され得るのかということを供述している。

ちょうどその頃、印刷物が隆盛を迎え、一つの新聞というメディアが生まれてきた。この新聞によりナショナリズムは生まれる、もっというと新聞の中で愛国心や自分がその国の人間なのだというつながりが頭の中で想像されることにより、ナショナリズムは芽生えるのだと、アンダーソンは主張している。

しかし、このような共同体が幅広く生まれるにあたり、一つの弊害も存在する。現代ではインターネットが発達しており、当然周知のごとくSNSの交流も根強い。そのSNSの中で特に物議を醸しているのが、フィルターバブルという問題だ。フィルターバブルとはSNSなどでのおすすめや自分の趣向に合わせたコンテンツを見せられるにつれ、やがて偏った意見を持ってしまうことをいうのだが、現代ではそうったフィルターバブル同士のつながりが多く存在する。

それが結果としてポピュリズムなどの、偏った民主主義を生み出し、日本の民主主義は危機に立たされていると言われている(少し論理に飛躍があるが)。

ここで大事なのは、やはり民主主義が危機に瀕しているという耳タコを聴きたいのではない。民主主義が危機に瀕しているのであれば、民主主義の代わりになる制度は何かということを考えることが重要だと僕は思っている。

もちろん代わりを探すことは簡単ではない。しかし、僕はそのきっかけになるようなものを考えてみた時、制度そのものを変えるのではなく、人間の意識構造の変換が必要ではないのかとふと思った。

ただ意識構造と言っても僕は心理学者ではないので、投票や世論へ縋る人たちへの心理学などは無責任ながらわからない。そこで、僕は人間の無意識を操作することが今の民主主義を変える一つの方法なのではないかと思うのだ。

精神分析学者のフロイトは、確かに人間の意識を「イド・自我・超自我」といった3段階を展開したけれど、こうした無意識をもう一度考えてみたい。

人間には集合的無意識というのが備わっていると心理学者のユングは主張する。人間は生まれて間も無くは母親のそばでしがみつくなど、人間には共通の無意識レベルが備わっている。僕はこうした集合的無意識といった選挙や民主主義制度を揺るがしているもに対する意識を制御することが良い民主主義に向かうきっかけになるのではないかと思う。

こうした無意識を制御するという主張は、フィルターバブルや偏った意見のポピュリズムなどは全て無意識下で、いつの間にか自分がそこにいたという意識が強いのではないかというところから来ている。

特にオチはないけれど、こうした無意識をAIによって制御し、みんなが等しく意見に耳を傾けることなどができれば、よりまともな選挙ができるかもしれない。

こうした選挙制度に現段階では名前が思いつかないので、いったんここで筆を止めたい。

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