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人はなぜ、宇宙を目指すのか

先日、驚くべき記事が目に入った。それが、以下の記事。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35174186.html

民間企業の人間が、宇宙へ行ける時代がいよいよやってきた。アポロ計画やスペースシャトルで宇宙飛行士だけが行くことができるとされてきたのだが、一般人が地球の外へ飛び出した。

振り返ってみると、戦後にかけて、アメリカとソ連が宇宙開発の競争を繰り広げていたことは、この記事を読んでいただいている読者にはご存知のことであろう。1958年、ソ連はスプートニク1号を打ち上げ、アメリカではスプートニクショックと言われるほどの激震だったという。

宇宙にはいったい何があるのだろうか。この疑問に答えることは、簡単ではない。これほどまでに宇宙を目指し、地球の外へ出たいという欲求はどこから来るのだろうか。
この雑記では、この問題について簡単に考察してみたいと思う。

宇宙はすぐそこにある

まず取り上げたいのは、バックミンスター・フラー『宇宙船地球号操作マニュアル』だ。特に建築学で大きな業績を残した、フラーのこの小論には、地球を一つの宇宙船として捉えることを推奨している。

地球が宇宙船であるということは、宇宙という概念自体もかなり近づいたように見える。つまり、宇宙というのは果てしなく頭上にあるのではなく、すぐ横にも存在し、宇宙を眺める窓も存在している。

ガリレオガリレイが天体望遠鏡を使い、宇宙を眺めたが、そうした天体望遠鏡こそ、宇宙船地球号の窓としての役割を果たす。我々が目指す宇宙というのはすぐそこにあるのだ。窓を開ければ、宇宙へと人間は足を踏み入れることが可能なのである。それぐらい、宇宙はもう我々のすぐそばにあるのだ。

人間が宇宙を目指す理由

さて、宇宙がすぐそこにあるということがわかった上で、人類が宇宙を目指す理由を考察するにあたりもう一度、フラーの論文について考えてみたい。フラーは宇宙船地球号を唱えた上で、以下のことも述べている。要約すると、

宇宙船と同じく地球も資源は有限なのである。気候変動や食糧危機といった問題から資源
を守るためには、地球を大きく俯瞰的な視点から眺めなければならない。

地球=宇宙船であるとすれば、地球という宇宙船の中で、目先の資源だけを守るだけでは、決してリスクから資源を守ることはできない。フラーは、恐らく宇宙船の中だけで、地球の全体を眺めることを推奨している。だが、私は地球を外から眺めることこそが人間が生き抜くために大事になってくるのではないかと感じている。ここで、思うのは、人間自身が地球の癌細胞になり、リスクとなるのではないかということだ。今後、100年で、人間の遺伝子がどのように進化するのか。このことは決して明らかではない。リチャードホーキングに言わせれば、人間は遺伝子という乗り物に乗っているから、その乗り物はどこにいくかは、誰の手によっても明らかにできない。

人類は、こうした100年後、1000年後の遺伝子の変異をどこかで怖がっているのかもしれない。もし、人間が今ある地球の資源では生きていけない形に変異したらどうなるか。

現在ではまだこうした変異は起こっていないが、いつどこで人間の遺伝子が突然変異するか、わからない。もしかしたら突然変異によって、人間が大量増殖し、今ある有限の資源が一瞬にして足りなくなるかもしれない。

こうした恐怖があるから、人類は月を目指すし、火星へのテラフォーミングも考える。
人間が地球を俯瞰しようと思うのは、「突然変異する遺伝子に対する恐怖」があるのではないだろか。宇宙には、恐怖へ打ち勝つヒントが隠されているかもしれない。

突然変異する恐怖に気づき始めた時、恐らく多くの人間は地球という宇宙船の窓を開けざるを得なくなってくるだろう。人間と宇宙の関係性は今まで以上に深くなっていくことは、今後の人間社会の運命的出来事なのである。

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