れっくちゃん総合研究所
誰かの創造のヒントになれば、と考えてます。
食べることに関するエッセイ集です。
640×480ぐらいの頃は眼鏡を外して色味でリアリティをチェックしてたけど、4k、8kみたいになってくると眼鏡かけないとディテール見えないという。 大学の頃まで自分で目が悪いの気づいてなくって世界はボヤッとしてたけど、大人になって眼鏡かけたら何でもよく見える、見たくないものも見える、歳とってまた見えなくなってくると、またフワッてしてきて、少し優しくなれた気がする今日この頃。 4k60Pのレンダリング画像なんて眼悪いとリアルと変わんないので、やはりこの世がシミュレーション
チーム開発ではメンバーの特性をリーダーが理解しておく必要がある。どのパートもプロがやるからといって、単に機能を分けただけでは「機能」しないのだ。ある程度進んでからでないと進捗を共有したくないタイプには、ほっとく時間も必要だし、毎日確認しないと方向がズレてくようなタイプには朝から確認を入れる。いずれも結果はきちんと出すスタッフが前提なので、それ以前にクオリティ出せない個々のスタッフを引き上げる話は、また別で。
プレイステーションから、あっという間の四半世紀という感じで、改めて首捻れるぐらい振り返った。 ティラノサウルス走ってるポリゴンデモってジュラシックパークあったからだろうし、ポリゴンなんて単語もちょっとスターフォックスで聞いたことある、ぐらいの専門用語だったし、もっとゲーム機もいっぱいあったなぁ。 ゲームを作る仕事って当時の世間的にはまだ微妙な感じだったけど、中の人はモリモリ楽しかった、と思う。だってよく分からないけど、作ったり遊んだりすると時間がどんどん過ぎていたから、
チームでもの作るのも探り探りだし、そもそも大半のチーム員がどうなると完成するのか分かってないし、普通の人生の悩みとかもあるのに、なんか毎日謎のオブジェクト作って動かして飲み行って、ゲームの話でケンカして、管理職も変なひとしかいない頃。 最強に面白かった… ルールを作る過程がなんでも1番面白い説に1票入れたい。 現在も新しいことをやってる人に巻き込まれている人は、後になって幸せが分かると思うので、馬鹿だなぁ、みたいなことを一生懸命やってほしいよね。
コント「目覚まし」 コント「あと1個なら大丈夫です!」 コント「居眠りしすぎた男」 コント「振り返らない女」 コント「交換できません」 コント「この場所だけは譲れない」 コント「なんか匂わない?」 コント「最後の譲り合い」 コント「昨日から変えてみた」 コント「雨の日にだけ咲く花を贈られた」 コント「見えない壁」 コント「何年ぶり?」
ゲームは1人でやるものと、オンラインとかでみんなでやるものとは何かが違うと感じる。1人でやるゲームって、たとえ敵がいても、目的は自分に勝つためって気がするけど、後者は言わずもがな他人を負かす、もしくはみんなで勝つみたいなところがあるかな。 勝つ、というワードでゲームの本質はほとんど表現されてると考えるけど、誰に?は大きな違いではないか? 負けゲーみたいな概念を上手くゲームに出来たら勝ち!みたいな気がするけど、繰り返しやりたくなる、というもう1つのゲームの本質を充たせるか
コロナ以降、いろいろ変わったような、変わってないものが逆に目立ってわかるようになったような。
こんな感じの文章は、よく見るしまたこういうタイトルを付けたほうがよく読まれるみたいだけど、書いてる人はその失敗を通じて得られたものを解説している。失敗しないマニュアル読んで先に進んでも、次の問題クリアにまたマニュアル探すことになって、気付くと問題解決力は付いてない、みたいなこともあるから、一回失敗してみるのも良いかも。
色んなものを取り込んで自分の表現に活かしてるつもりが、なんか行き詰まるとき、あぁ、あれに似てるなと考えた。 オートファジー。ずーっと食べ続けると内臓が休めなくて、身体に無駄なものがいっぱい付いちゃうので、一定時間の断食をすると自食して、細胞や身体にあるものから必要な栄養作り出したりするモードに入るやつ。 色々取り込みすぎなのよね。この世にコンテンツがいっぱいあって面白いけど、表現したい人は、取り込みを止める時間もいるのかも。