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心象風景 最果てからの手紙

一般的に箱庭療法において時間は左から右に流れている。
そして上と下。
上=手が届かないもの
下=手に触れられるもの

上と下は
形而上と形而下
願望と現状
精神と肉体
神と人間
社会と個人

などを表しているとされる。

つまり左半分は俺が認識している形而上と形而下の「過去」であり「物語」であり「今はないがどこかにある世界」だ。

このカラフルなビニールのサッカーボールのようなもの。
これは俺の「地球」であり世界だ。
過去の箱庭と比べてみる。

こうしてみると俺の「過去の世界」は完成し「物語」は収束したように思える。

そして「過去と物語」は霊と肉のはざまにある太陽で照らされている。
この太陽は「心象風景 その後」で書いた太陽の神性を司るものだ。

俺の過去の世界、固着、トラウマはもう光のあたる場所にあるという事だろう。

そして太陽の上に御守り。
ムフーと良い気分になったのは、、、

「この世にはどうやら意志なき意志ある極小であり極大、霊でも肉でもない主体がいる」と感じている、あるいはそう信じたい、それは俺を守ってくれている、という安心感を感じているからだろう。
ボーダーの持つ「底のない深淵と虚無感」と対比出来るものだ。

左の世界は地球の周りを太陽が回っていて、その上に「大いなる何か」がいるという天動説的な世界だ。

そして中央の女の子とインディアンと猫
これらは左右の世界の境界線であり、左右の世界が交わる場所でもあり「いま、ここ」だ。
コ難しい言葉で言うなら「イントラ・フェストゥム」だ。

女の子は「巫覡」シャーマンだ。
黒い招き猫は「don't sink feel(考えるな感じろ)」を教えてくれたウチのソーマちゃん
無意識を招き入れる福の神でもある。

インディアンは太古や前時代的なものにも叡智は隠されている、という象徴であり「錬成の壺」という間主観性やユング心理学の象徴を「冠」としている。

一方右半分は現実世界。
「ゾーン」に入る術を手に入れたものの、それを恐れている。
一歩間違うと大事故に繋がる「エネルギー球」と表現した「宝物」
動物たちや俺が驚きと恐れと共にその周りを囲み、箱庭のそこかしこに置かれたこれは何者なのか。

中央の猫とインディアンとシャーマンを境にして、過去と現在を分けているとともに、この箱庭は

左が俺の心的真実。
時間という因果は必ずしも全てに存在するわけではなく、過去も現在も未来も「今ここ」に「場」としてある。
超弦理論や量子力学の世界であり、時を超越した世界であり、魂の世界。

右半分は因果に縛られた世界。
時間が過去から現在、そして未来に流れる俺が認識している世界。

二つに切り分けられた世界は「かんなぐ」神と和合するシャーマンや無意識と繋がる猫、間主観性を接着剤として同時に矛盾なく存在し得る、と俺の無意識ゴーストは語っているのだ。

そしてそんな無意識ゴーストの想い?が届いていない、と感じているためデカいポストを倒し「ユンギアンなのに超越的な世界を受け入れられない葛藤」として地蔵(心理士)に語られたのだろう。

一方、教会。

これは「大いなる何か」を頭で理解すべし、とする頭でっかちになった論理的な俺だ。
無意識からのメッセージを拒否し、そのため頭痛が起こり無意識の示す「世界観」を見ないようにするために緊急対応で置かれたもの。
教会は左側の世界の「御守り」と「因果や過去現在未来を超えた場所に有る何か」と対比出来るものだ。
散文的な言葉で言うなら「人が造りし神」にして機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナだ。

こうした「左の世界」と「右の世界」を認める事が出来てこそ「宝物」である「エネルギー球」は意味のあるものであり、俺の意識のさまざまな場所に心を開くことによって「ゾーン」状態は起こるのだ、という無意識からの示唆なのだろう。

俺は高校生の頃、ばーちゃんが死んで「世界にひとりぼっちだ」と感じた。
だけどそんな自分を叱咤するように「あちらの世界」に居るばーちゃんが安心するように強い心を持とうとした。

それが俺の「科学教徒」たる所以だった。
ずっと押し殺していた悲しさや絶望感が蘇ってきた。
本当に悲しい事であったはずなのにどんな事があったのか断片的にしか思い出せなかったし、感情や感覚は感じる事が出来なかった。
解離した領域にこれを押し留めるため俺は右の「こちらの世界」に軸足を置いたのだろう。

左の「あちらの世界」が示すように過去現在未来を超えた場所にまだどこかにばーちゃんが居ると感じると悲しくなってしまうから。

だがそれでいい。

彼女はここにはおらず、そして世界のいたる場所に居る。
そんな事を感じると寂しく、悲しくなる。
だがそれでいいのだ。
そうやって何度も再体験する「場」にこそ彼女は居るのだから。

だから「彼女がまだ居る」証拠を「こちらの世界」で「悲しさを押し殺した世界」で探す必要ももうない。

俺の魂がそう言っている。

ようやく…会えた。

だからもう次の何かを探しに行かなくちゃならない。
今は自転車に乗った鴨のようにチグハグでどこか滑稽な姿で。
まだ「あちらの世界」を完全には受け入れる事が出来ない俺にはお似合いの姿だ。

ばあちゃん、俺少しはマシになれてるかい?
あなたにはいつでも会えるって解ったから俺はもう行くよ。
なんか探しに行かなくちゃいけない気がするんだ。

どこかにある永遠と「いま」が出会う場所を。


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