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第6回 ささやく

虫のしらせ
シックスセンス
オラクル
天の声
シンクロニシティ
誰にでも時たまあるようなないようなこうしたもの。

最近なんだか冴えている。
うっかり悪くない提案をよく思いつく。
小さい事なんだが俺が未知であろう事を言い当ててしまう。
と、言うか選んだ語彙がたまたま因縁深いものだったりする。

固執がなくなって来て自分の声を素直に聞けるようになったからか。

前にBPDには二人の子供がいる、と書いた事があるんだが実はこれには理由があって「自分中の子供を癒しましょう」というケア方法なのだ。

自分の中の子供。

ピーンと来ない方もいるだろうからもう少し説明すると、境界性パーソナリティ障害を含む複雑性PTSDとして特徴的なのは解離がある事だ。
(なので今回はBPDだけじゃなく幼少期に何らかの継続的なトラウマを持ってる方も少しは参考にして頂けるかも。)

過酷な環境での思い出を記憶の奥底に封じ込め出てこないように蓋をしている状態だ。
精神科医杉山登志郎先生は「解離は一つの記憶ごとに別々に隔離されている」とおっしゃっている。

自分の中の子供とはそうした解離された記憶から漏れ出たものの集合であるように思う。

場合によっては記憶の門番であったり、泣いたり笑ったりした特徴的な過去エピソードのかたちをとっていたり、イマジナリフレンドのかたちをとっていたり、自分の大好きなちょっと子供っぽい趣味のかたちをとっていたりもする。

ふたりのこどもの冒頭やった事はこうした自分中の子供、解離記憶を意識してもらう事だった。
まあ、あんまりやり過ぎると調子悪くなっちゃんでほどほどにしといたけど。

ちなみにけっこう新しい心理学ではパーツなんて概念もあって、俺はそれを一つ一つずつ隔離された解離記憶と似たものであると考えている。(著作権がありそうなものばかりなので「パーツ心理学」でググって下さい、案外箱庭療法の一つ一つのオブジェも「パーツなんじゃないかなー」という仮説も持っている。)

話それたね。

解離記憶が戻ってくる事によって子供の頃の「辛かったあの日」も蘇る。
きっとあなたにも意識出来る「辛かったあの日」が一つくらいあるはずだ。

正直最初は苦しい。
何度も思い出していやーな感じになる。

でもそれに「生き延びた今の自分」として何度も何度も反芻し、答えを出す事で封印された「辛かったあの日」に置き去りにされたあの時のあなたは神経の中に普段は眠っている無意識ゴーストの中に帰っていく。

俺はふと思い浮かんだイメージや言葉を「ただの思いつきや妄想だ」と切り捨てないで解離記憶から漏れ出たものや無意識自律神経に還元された癒された記憶たちだと思って大切に扱っている。

するってーと案外彼らは「正解」を口にする事が多くなる。
今までは「言っても相手にされないだろうなー」と抑圧されてでもいたのかあまり喋らなかったが、ちょくちょく様々な事を教えてくれるのだ。

今は自分の特性にいっぱいいっぱいかも知れない。
でも「子供っぽい自分だなー」と感じたらそれは不適応な性格ではなく「あの日辛かった自分」を見つけ出し自分の味方にするチャンス到来だと思って欲しい。
子供って案外鋭くて本質をついたりする。
「大人なあなたが」忘れたあなたの中の子供はあなたやあなたが大事だと思っているものの求めているものを知っているのかも。

だからふと思いついた事があったら「どうしたの?」と優しく問いかける事でヒントをくれるかも知れない。

ただ、基本的にガキンチョなのでなんでもかんでも言う事を聞かなくてもいい。
俺はそれに失敗してやたらバームクーヘンとプッチンプリンを要求されて目下体重の増量サービス中だ。

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