イシュタルの塔7 機織り女と老賢者
機を織る女性/女神はしばしば神話や民話に登場する。わが国では鶴女房や織姫などが有名だろう。
アマテラスやアテナ、西王母もまた「機織り」に関連のある神性である。
彼女たちは清められた場所で神の衣を織り、神々に捧げる存在であり大地の神に連なるであろうが、地母神とは性質が違う。
処女性を持った彼女たちは大地そのものである地母神ではなくシャーマンとしての権能を備えている。
禁忌に触れる事によって神話や物語から退場することからも彼女たちに巫覡の力を見る事が出来る。
(イブも含め、その禁忌に「蛇」がしばしば関連しているのも興味深い。「蛇」と初女性を持ったシャーマンは何らかの対立機構があるのだろうか。シグルトとブリュンヒルデ、ファーヴニール、ペルセウスとアンドロメダとダゴン、スサノオとクシナダとヤマタノオロチなど男性神と姫神と蛇は何らかの繋がりがあるのだろうか)
地母神が子を宿す「物質の母」の象徴であるなら機を織る処女神は神や精霊との霊的な合一や聖婚の象徴であり、地母神の対になる存在なのだろう。
天空、気候の象徴である男神との聖婚を宿命とした彼女たちの巫覡の力と祈りは何に捧げられるものなのか。
俺は自分のイマジネーションで作り出した「蛇」に乳幼児期にあったかも知れないマルトリートメントの記憶とともに飲まれそうになった。
そんな時期にまでマルトリートメントを受けていたかも知れないという絶望感と再現された感覚で自我は崩壊寸前だった。
いつもくる狂おしいまでの破壊衝動すらない。
ただ、諦め。
そして俺の世界は既に壊れていたのだ、という安寧にも似た喜び。
絶望という名の安堵を感じた。
「俺はもう壊れてもいいんだ」
という赦し。
自我が溶けていく中でそんな抱擁にも似た感覚を得た。
そんな忘我の状態で、一つの言葉、イメージが浮かび上がった。
「祈り」
それは静謐な祈りだった。
清浄な何かだった。
どんなものかははっきり覚えていないが、両手を胸の前で握り合わせ頭を垂れる年若い女性のようなものだったように思う。
その瞬間。
4本の剣が収束し1本になった。
この後の話は前回に書いてあるので割愛するが、この現れた女性を何故だか俺は
「機織り女」というものだと認識した。
回復してから戸惑った。
あれはなんだったのか。
思い当たる節があるとするなら…女性原型だ。
俺の中の女性的な側面。
母性原型は陽性の存在として大いなる慈母であるとともに、陰性の存在としては全てを飲み込み逃さぬ母でもある。
それゆえ俺が陰の母性原型に囚われ、死と再生の呪縛を受けていたが故に無意識から補われた俺自身の女性原型
そう考えれば納得出来る。
そして「剣」が合一したのも。
父性原型の本質は裁断/理性/区別
俺が母親との葛藤で境界性パーソナリティ障害を発症したなら、それを補う父性の象徴として「黒の剣」は登場し、成長、変遷を経て分身し合一した。
経験した事のない精神的かつ根源的なクライシスに対応するために俺の無意識の中の女性原型と父性原型が活性化したのがあのイマジネーションだったのだろうか。
その後「機織り女」は俺の中にしばらく留まり、批判的な若い女性として、俺のやる事なす事に2chの「私女だけど」的な感じでいちゃもんを付けたり、フェミニズム的な発言を繰り返す下位人格のようなものになった。
そして暫くし、俺の中で彼女は妙齢の女性となり、その結果「世界樹」が現れ、世界樹の女神にクラスチェンジした。
世界樹が生まれた時と同じくして、土の中から爺さんが出て来た。
とぼけたような本質を突くような発言をする爺さんだった。
印象的なのは適応的なコーピングの象徴である神剣「かむがたり」を「ありがたがるな」「ありゃただの剣じゃ」「あの剣に頼ると痛い目を見る」と言っていた事だった。
そして滅多に出てこない仰々しい神剣のイメージは彼が手に取るとただの剣になり彼はそれを「ほいほい」と言いながら気軽に雑に扱った。
「俺のオタカラになにしてくれてんねん」
という妙な苛立ちもありながら、予感?のようなものも感じた。
今はありがたがっている適応的なコーピングスタイルが「日常」になる。力を失う。
そんな気がした。
その爺さんは妙ちきりんなイマジネーションを持って来たり、本質的かつ鋭い知見ももたらした。
これが良い傾向である事は知識として知っていた。
男性原型の成熟した姿は父性原型であり老賢者だ。
このとぼけた爺さんは俺が完成した姿なのだろう、と思った。
トリックスターの要素を持った老賢者。
悪くない。威厳とか多分俺には似合わんしな。
彼が父性原型として同じ存在である「かむがたり」をこともなげに扱ったのも今では興味深い事だな、と思う。
父性を賦活させるも、それに囚われてはいけない。
あの爺さんはそう言いたかったのだろうか。
こうして暫く機織り女と老賢者は一度目の箱庭療法をするまで俺の中にいた。
ちなみに「獣」はその頃白い耳の長い大きな犬のような姿になり、小さな子供と一緒に眠っていた。
◆◆◆
前回ほんの少しだけ触れた機織り。
本当になぜあのタイミングで現れたのかはあまり解らない。
母なる者の呪縛に囚われたが故に成熟しなかったアニマが封印された記憶とともにあの瞬間解放されたんじゃないか、と心理士には言った。
そういえばその頃、カウンセリングの料金を2度続けて忘れてしまって、妻にギリギリで振り込んでもらう、という事をした。
そんな自分が嫌になってボーダーの特徴の一つであるリセット癖で逃げ出してしまおうとも思ったがなんとかカウンセリングには行った。
その時に(剣の話には触れず)この話をして「老賢者と女性原型が両輪となってどちらかに偏らず、グレートマザーにも囚われず生きたい」と言ったんだが、「(お金を忘れて)一時はどうなる事かと思いましたが今日は大成功でしたね!」と心理士が心底嬉しそうに言った。
そしてそれまでずっとラベリングにならないようにはぐらかし続けてたのに「ボーダー」という言葉を発した。(境界性パーソナリティ障害である事は最初に言っていたが彼は「診断は出来ないので」と曖昧にしていた)
嬉しすぎてうっかり口を滑らせたであろう心理士を少し好きになった。
機織り女と老賢者は他の登場人物たちと一緒に何故か「役目は終えた」と一斉に去っていってしまった。
どうしてか分からず不安になったのが箱庭療法を受けるきっかけになった。
ちなみに世界樹の女神になった機織り女は最後の箱庭にいた。「世界樹」の横に配置された女の子である。
ヒーローと獣(とそのパートナー)
女の子とその間にあるユング心理学の象徴である「錬成の壺」
今気付いたんだが、これって俺の男性原型と女性原型が調和と安定を迎え、個性化を目指そうという象徴なのかも知れない。
というわけで次回は
「最終剣グランドフィナーレ」
爺さんの予言どおり俺は「かむがたり」を手放す事になる。
差分
男性の境界性パーソナリティ障害と女性のそれは同じ症状を見せながらも違うもののような気がしている。
父性原型が成長せず地母神に囚われるのが男性のBPDであるなら、女性のBPDは母性原型=地母神が何らか原因で成熟せず「天なる父」に見捨てられ、父の元へ回帰したい、そういうものじゃないか、と俺の感性が言っている。
羽衣の天女や鶴女房、あるいは気象現象(天)の妖である雪女。
彼女たちは羽衣を隠され、助けられ、あるいは正体を見られ、後に禁忌を破ってしまう未熟な男性に一度娶られ、その後去って行く。
これがなんだか「見捨てられ」の物語であるように感じるのだ。
天に見捨てられ、父と似た者に心を許すが、懇願したはずの禁忌を破られる事によってその男性にも「見捨てられ」てしまう。しかしそれが通過儀礼になり、本来の自分が望んでいる事に気づき、やがて父性原型を自分の中に宿す。
ただ…気がするだけで検証も出来ていないし、まとまりきらず上手く挿入出来なかったのでまたいつか。
白鳥と戦乙女、羽衣の天女、機織り女、上手くは言えないがこれが女性のBPDと「繋がって」いる。
そんな着想(妄想?)を抱いている。
あ、そういやこの頃日本人の民族的無意識はきょうだいの区別が西洋人と違っている事から、男性原型と女性原型がそれぞれ2つあり
「ね」=姉
「いも」=妹
「え」=兄
「と」=弟
という原型があるんじゃないか、なんて仮説をそれぞれを幸魂、和魂、奇魂、荒魂の四魂に対応させて考えた事もある。
「妹の力」という柳田國男の著書で「いも」がかんなぐシャーマンの力である、というところから着想を得た。
こいつと四象八卦やユングの外向、内向、主要機能と劣等機能との相性がいいぞ、と思ったあたりで検証がめんどくなってやめたけど。
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