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大幅加筆 ここを指摘する考察がないんだよ ver2.0


相変わらず「君たちはどう生きるか」と向き合っている。
微量にネタバレするんで真っさらな気持ちで見たい方は回れ右で。
ガイドラインを知って見たい方はそのままお読み下さい。
内容にはほぼ触れてませんが似た構造の話が何であるかと根底に流れるテーマの一つの推理は書きます。
ただ、この作品は多層的かつ複数のレイヤー(層、フィルター)を行ったり来たりするので違う見え方を否定するものでもないし、そう見える事とさまざまな考察が存在し補完し合う事こそこの作品の良さだとも思ってるんであくまで俺の見え方を書いたまでに過ぎません。
そもそも考察するべきかどうかもわからなくなってるし。

こういう考察をする人がいないんで寂しいから構って欲しいだけなんだよ 笑

宮崎駿はゲド戦記が大好きで「全ての作品はゲド戦記からの影響を受けている」とゲド戦記をジブリで作る際に挨拶に行ったゲド戦記の原作者ル・グウィンに(嬉しげに)語ったほどだ。
かつてオファーして断られたためかゲド戦記を換骨奪胎して「シュナの旅」を書いた宮崎駿にしてみれば、原作者サイドからのオファーはおしっこチビるほど嬉しかったに違いない。
俺ならsanチェック失敗して、その場で小躍りしたのち脱●して気を失う。

俺もね、ゲド戦記大好きなんですよ。
ホント好き。
自分と境遇が似ていて母親との葛藤を描いており、ユングの影響を受けている。
俺はそんな宮崎駿に共感を持ち、どこかで自分の師父であるかのような感情を持っていたのだろう。
故に彼の醜悪さや傲慢さを読み取ってしまい激しい怒りを覚えた。裏切られたような感情を持ったのだろう。
ボーダー特有の認知「理想化とこきおろし」そのものだ。反省。

で。
ゲド戦記ってユング心理学の強い影響を受けている事で有名なんだな。
つまり宮崎駿のイマジネーションは少なからずユングの影響を受けていると言っても過言ではないんです。
コミック版ナウシカを最終巻まで読んでみ?
長年書いたナウシカであのラストが描かれている事が一つの証拠だと思う。

俺の「君たちはどう生きるか」の初見の感想は「ああ、宮崎駿は自分の赤の書をやりたかったんだ」だ。
ユングもまた湖のほとりに塔を建ててるしね。
大伯父とユングと宮崎駿自身を重ねて描いた可能性は十分あり、大伯父がユング言うところの男性の成熟した姿「老賢者」であることは見れば一目瞭然だろう。
つまり、宮崎駿は「今でも十分達観してるんだけど。」と観覧者に言っているのだ。
しかしそこに「だけどね?」と自分の内世界を語り始める。
塔が現れてからの物語の本質はおそらくここにあるだろう。
しかも塔の由来をご丁寧に説明してくれており「さあ、幼少期の葛藤はこんな感じで今からいよいよユングに影響を受けている私の赤の書、無意識との対決始まるザンスよー」と宣言しているのだ。
ちなみにユングも塔を建てながら書いたものが赤の書の元になっている。
彼自身も証言している「どうしてそのように描いたか私自身解っていないところもある」と。
あえてそれをした、とは取れないだろうか。
つまり彼はこの作品を通じてユング派の瞑想術である「アクティブイマジネーション」を行った、またはこの作品を作る過程そのものがジブリという「箱庭」を使った彼の箱庭療法であり描く事で行った絵画療法だったとも考えられそうだ。
事実、老松克博氏が著した「アクティブイマジネーションの理論と実践 上級編」とも「君たちはどう生きるか」は似ている。
そういやあの本でも「鳥」が重要な役割を持っていたな。
ユング派における「鳥」は黄泉の国や無意識や内世界の使者である。

赤の書、レッドブックはユングが自分の内世界に入って様々なイマジネーションの世界を巡る話なんだ。
ダンテの神曲の影響を受けている。
「君たちどう生きるか」に神曲との類似点を言う人はけっこう居るんだけどね。
それでは50点なんだな。
ベアトリーチェであるヒミには出会っているもののそれがエンディングではない。
主人公が出会ったのは最終的にフィレモンなんだ。

赤の書のクライマックスと「君たちはどう生きるか」のそれはテーマが全く同じである。

そして「魂の案内人(プシコポンポス)」と出会い、彼らの援助や示唆を受け探索を進める構造も同じである。

ここに初見の途中で気づいて、そっから話がすっと入って来てものすごく感動した。
宮崎駿の境遇やコンプレクスに自分との共通点を見出していたからだ。

さて、もう一つの視点はフロイトだ。
フロイト心理学の中心は「エディプスコンプレックス」だ。
宮崎駿は母性へのコンプレクスを抱えており、また彼の作品中彼の実際の父に似た人物が何度も登場している。
最もたるものは「風立ちぬ」という作品そのものだ。

彼は「風立ちぬ」の中で父と父の最初の妻、大恋愛の末に結婚し、一年で結核で死んでしまった最初の妻の話を自分をそれに重ね、昇華させた。
言い換えるならちゃんと「父殺し」を行えたのだ。
しかしまだ彼には殺さねばならぬ「父」のような人物が二人居る。
鈴木プロデューサーと故高畑勲監督だ。
彼らたち自身と彼らと作った「ジブリ」を殺す/昇華させ、内在的な母親の恒常化を図らねばならなかった。
また長年の盟友で風立ちぬまで宮崎駿作品の色彩設定の一切をまかされており「妙に距離感が近すぎ」でもあり、独善の塊である宮崎駿に唯一ガチの説教を食らわすことの出来た故安田道代氏(クシャナ様?銭婆?カリオストロの不二子? 広瀬すず主演のNHKドラマ《なつぞら》にも出て来てたよね)の鎮魂もしたかったのだろう。(事実、保田道代氏は登場人物として出て来ていてこの人がそうですよ、と宮崎駿はご丁寧にヒントをばら撒いている。トルメキアの旗(ナウシカ)がこっそり描かれていたりとか、あれがバーンと出てないあたりなんか後ろめたいのだろうか、という。)
これが彼の「まだ残っているテーマ」なのは宮崎駿が自身と向き合えば出てくるのは必然だ。
今まで何度も千と千尋の神隠し以降このテーマを作品の中で暗喩しているのだから。

ひょっとしたら、、、だけど庵野秀明監督がエヴァンゲリオンで「父殺し」を行い、彼のアニマ(女性性)を内在化/恒常化させたのが羨ましくなったのか。

新劇エヴァと「君たち」で描かれてるのは全く同じテーマだ。
そういえばエヴァにも綾波レイやアスカやマリなど似た構造の女性がいるよね。
で、最後は異世界に行って父性と対決してることにも大注目。
やっぱ庵野とパヤオちゃんイチャイチャしてるやん。
ただしカラー(庵野の会社)の一番すごい作画監督を7年借り受けるという鬼も裸足で逃げ出す所業をやってのけるそこに痺れる憧れるパヤオ。
それで新エヴァ作れってんだから。
エンドロール見て慄いたわ。
俺がパヤオ嫌いなとこってこういうとこもあるんです。
強迫症気味の独善ロリマザマルトリートメントジジイ。

だから俺、こういうのも含めて「シン・宮﨑駿」になるゆうたんよ 笑
映画見たあと「要はシン・宮崎駿じゃん。」
って独言を言ったんだけど、ジブリと近しい岡田斗司夫が「シン・宮崎駿」って言って嬉しくなって最初の考察?を書いた。
また彼は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」との類似点や「三人の母親」も指摘している。
ねじまき鳥クロニクルはユング心理学から大いに影響を受けている作品なのだ。
ちなみにかの作品も「鳥」が極めて重要な役割を果たしている。
俺はここに気づけなかった。
さすがオタキング。
慧眼。

ここらへんを指摘する考察が全然ないのが不満つーか、みんな気づこうよって思う。

宮崎駿は「風立ちぬ」で父とのコンプレクスの昇華が起こった。
父とは天=空であり、倫理観であり超自我だ。
そしてその逆は彼の精神風土や死生観、生命への概念、母への思いなど「大地」でありグレートマザー
つまり彼のバックグラウンドだ。
そこを描かなければ彼は「終われない」んだ。
彼自身のナラティブ/神話は完成しないんだ。
(これを「これは私の内世界であり、神話イメージを描いてますよ」というのをイザナギの冥府行をオマージュして書いてる。また彼の作品のセルフオマージュも「これは過ぎ去った日にあるかつての物語の断片/残骸であり、今は黄泉の国にあり私の中でもう終わった/昇華したものですよ」というメッセージだろう)

「君たちはどう生きるか」を紐解く鍵は深層心理学だ、と言った根拠はこのへんです。
まあ、、深層心理学を知らなくてもそのような考察を行っている人はけっこう居るんだけどね。

ただ
「君たちはどう生きるか」=「宮崎駿の赤の書」説はいまんとこ俺だけかな。

嘘だと思うなら赤の書見てみ?
訳わからなさとか構造がすっげー似てるから。

逆に言えば、宮崎駿のバックグラウンドを知ってるユンギアン/精神分析な方はすっと入ってくるから「君たちはどう生きるか」は見た方がいい。

あ、俺の推しはヒミだと思うでしょ?
違うんすよ。
うん、確かに悪くない。
でも、インコ大王です。
あのシーンは大爆笑ものだった。

あのシーンはね、日本の作り手としてこう生きて行くというシーンなんです。
千利休の「守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」なんですよ。
自分が受け取ったものはある、だけどそれをそのまま守るだけにはしない本質を忘れずに自分だけのものを得る、自分は汚れてしまった。だけどそれごと現実に再び生まれ直す、父さん母さん、皆さん今まで「守」ってくれてありがとう、という故高畑勲監督や今は居ないユングも含む尊敬する先達たちへの鎮魂の宣言であり、今までの自分に対してもそうだ、という宣言でもあり、あなたたちもそうして欲しいという後継者たちへのメッセージでもあるんです。
「それを学ぶ者は死す」と書かれたペリカンたちが突撃した門に書かれていたメッセージが伏線になっていますね。
「守」だけではダメだよ?という。
守っている事は守られている事であり、それだけをする者は(作り手としては)死だよ?、と。
つまりあのクライマックスシーンでペリカンの正体も見えるっていうギミックでもある。
ペリカンをあの門の中に入れなかったのは愛情でもあり厳しい指摘でもあるのだ。

で、そんな事もありながら

「パヤ…宮崎監督…」
と感動からの
「いやいやいやいやwwwwwwwアンタの気持ちも分かるけどもwwwwwいくらなんでもそれ言ってやんなやwwwかわいそうやろwwwww」
とパヤオ/師父に思ったとか思わないとか。
あのシーンだけかつての宮崎駿作品のコメディタッチの動かし方(仮現エフェクトをチャカチャカ動かしてシュバババババっと場面を表現している。カリオストロでルパンと次元がスパゲッティ奪い合うシーンなんかでも使われてるよね)してるから「ここウケるとこやで?これ本気であっても冗談ちゃ冗談やで?」って彼はちゃんと言ってるしな。
インコ大王、ああいう事したのは現実世界で宮崎駿への「意趣返し」の側面もあったんじゃないか、と思うし語る事で本質から離れてしまうとも思ったんだろうな。
なんつーかな
「アンタらどっこいどっこいでしかない 笑」と。
どっこいどっこいついでに言うなら、パヤオは吾朗さん初監督作品であるゲド戦記を初見した時怒りを滲ませながら「気持ちで映画を作るな」ってイライラしながらタバコ吸いに行ったんだけど今になって巨大ブーメランという。
気持ち全開でエンタメに見えない作品作ってるやんけ 笑

ゲド戦記に言及したついでにこの作品を読み解く最後の鍵も一応提示しとこう。

それは宮崎吾朗監督が作詞したゲド戦記の主題歌「テルーの唄」である。
「意味わからんわ」と思っていたが、ここに書いた考察をしたのちに聞いて泣けてさえ来た。
原作でもそうなんだけどゲドは「ハイタカ」と呼ばれている。
これ以上は皆さんが味わうために言えない。

歌詞の中に盗作疑惑もあるあの歌だが吾朗さん…あれは紛れもなくあなたしか書けない歌詞だよ、オリジナルだよ(泣
コクリコ見てなかったけどちゃんと見よっと。

ある意味「楽屋オチ」だし「内輪ネタ」でもあり、壮大なマスターベーションでもあるこの作品。
確かに評価は分かれるだろう。

だが最後に俺の心の師、日本に臨床心理学を根付かせた河合隼雄先生の言葉を意訳して締め括ろう。
確か「トポスの知」の中だったかな、忘れた。

「箱庭療法は解釈するより味わうものだ」

「君たちはどう生きるか」が「なんかいい」と思えたらそれで良いし、それぞれ見た人の中に答えがあれば良い。

俺が今回した事はそのような意味で邪道でありこの怪作/傑作の真意をこねくり回す無作法なのだ。



差分
あ、当然の事ながらゲド戦記の「影との戦い」をしたかったというのもあると思う。
鈴木プロデューサーが吾朗さんに作らせてけっこうキレてたしな 笑

俺もゲド戦記にはどギレしてた。
ル・グウィンも怒ってたし。
だから吾朗さんめっちゃ嫌いだったけど、今回いろいろ調べて「いいひと」だし、パヤオに基本放置プレイというかありゃネグレクト、されてたのを知って再評価したいと思ってる。
ゲド戦記もゲド戦記として見なければけっこういい映画なのかも知れない。

証拠としてここに残ってんだけど
俺も母性との葛藤で「塔」と魂の案内人を伴っての神曲に影響を受けた「冥府行」のイマジネーションを映画公開より半年以上前にしてるんだ。
だからピーンと来たというかスッと入ったというか。
それ故にこの映画にハマってるってのもあるんだよな。

母親との葛藤で冥府行をするのは母胎回帰の願望との対決(投稿後補足:エヴァ旧劇は母胎回帰からの一時的な脱却は出来たものの父との葛藤は残っていたし母胎そのものは残っていた、故に庵野監督は新劇として描き直したのだろう。カヲルの存在も彼の中で何者かという答えが見えたから微妙なキャラ変が起こってるし)陰のグレートマザーとの融和や対決、つまり母性やアニマとのアウフヘーベン(日本語でこの概念はないから各自ググって下さい)でありユング言うところの「個性化」とその結果起こる自我の再誕なんだよ。 

宮崎駿は「再誕」した。
彼はここからどこへ行くのだろうか。
黒沢明監督みたいに「まあだだよ」っぽく解脱しちゃうのかなー、みたいな心配?はあるんだけどさ。
やっぱラピュタみたいなボーイミーツガールの冒険活劇エンターテイメントをもう一回見たいと一羽のインコとしては思ってしまうんだよな。



差分2
ようやく山田玲司氏がこの視点で語り始めたよ 笑
インコ大王笑と母親の影響と母胎回帰と再誕の話をしていらっしゃる。
端折った部分をいっぱい話してくれてるし90%同意見なので今回の考察の補完にどうぞ。

俺の方が発表早かったもんねー()

追記
「鳥」が何者かは俺も同じ推理はしてたけど「着ぐるみバトル」は大爆笑だった。
そうだわwww確かにそうだわwwww
あの人物を鳥にするなら普通そっちだわ。
しかしかの「神様」との対比をしっかり読み込めてなかった。
気づかなかった。
感想戦、ここは大敗 笑

追記2
おおおおおお?!
ユングの塔に言及したぞ。

俺も「ムーピー」は思ってた!
インコ大王にそそのかされて偽り母を創造したために崩れたという見立ては同じだったけど、それは彼の作品論だけだと思ってた。
くっそーここをしっかり追えてなかった。

でもおれのほうg()

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