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箱庭:誰もぼくのいたみをわかってくれない。

本日カウンセリング。
ソロキャンプに行った帰りに直接寄った。
キャンプはいい。
大自然の中でそこらじゅうから聞こえる自然の音を聞きながら寝るのはEMDRと似た効果があるんじゃないかと思っている。

先月話し合った「答えを出さない勇気」と「感情を体験して行動化しない」の結果報告

その後「どうしても顧客回りをしたくなくて手足が痺れるようなダルさを感じる」という最近の懸念事項。
年上の男性に邪険にされると父親に怒られているような気分になり、女性だと母親から拒絶されているような気分になる。

それを想起した瞬間、胸が痛くなり右耳で耳鳴りし聞こえなくなった。
ずっと「仕事についての悩みはない」と封じ込めてきたせいか思ったより深刻らしい。
四半世紀だもんな。

なぜ拒絶されるのが怖いか、というところで5歳の頃2-3ヶ月百日ぜきで隔離されたのを思い出した。
家族が誰も接してくれず、一日3回くらい10分程度しか会えずずっと一人でいた事を思い出した。
母親が「甘えないように厳しくしだした」すぐ後くらいからだった気がする。

思い出し反芻して強烈な孤独感に支配された気がした。
一人でずっと和室におり、天井の木の目がおばけに見えたり。

離人症はこの隔離体験が一番大きな理由だったようだ。
離人症の感覚と天井がぐるぐる回って世界全てが意味をなくし俺すらも世界に溶けていき、宇宙全体が俺であるような内包感、そして世界の知性ある存在が俺か何者かの操り人形であるような感覚。
俺がよく「自我が溶ける」と表現するものはこうした状態だ。
そしてそのあとひどいと意識を失う。

一人で居させ続けられ、ばーちゃんや母親からも拒絶されている、と感じる。
仕方がない事とは言え強烈な体験だったのだろう。

しかしどうしても感情として体験出来ないので、隔離された体験を引っ張り出すべく箱庭を。

最初天井を仰ぎ、なるべくその頃の事を思い出す。
その後荒く息をしながら蛇や蜘蛛、とかげや動物などを猛然と置きだす。

その後真ん中に赤ん坊のようなものと箱庭出演率100%のピカチュウを。
赤ん坊は俺でピカチュウは「ラスカルの人形」なのだそうだ。
俺は幼い頃ずっと小さなラスカルの人形とともにいた。こいつが友達だった。
このピカチュウはラスカルの人形…そして俺のイマジナリーフレンド…そして…もう一つ想起した。

このラスカルは「獣」の元になったものだ。
ようやく思い出した。
ふさふさした小さなともだち。

この…墓は…なんだ?

そしてこの墓。
墓の下を思いやると思考にモヤがかかる。
だが解る。
この下にはまだ「俺」が眠っている。
そして子供や墓の前に倒れている男。

こいつは今の俺だ。
コントロールを失う事でこんな世界をまだ持っているという無意識からの示唆。

さまざまな動物や虫、爬虫類と共に線路が縦に突き刺さっている。
俺は不条理ででたらめな世界を望んでいる。
「こんなでたらめな世界壊してやれ」と何者かが言った気がした。

俺は手前のワニを父親だと表現した。
右上のフクロウは大好きだったばーちゃん。

「感情を素直に体験」するとこんな世界が俺に残っていたのか、という感慨が湧く。

だが…俺はこの世界を心の中で反芻し再体験する事を恐れている。

可能な限りこの世界を体験する事が俺の次のカウンセリングまでの課題だろう。

とりあえず離人症の根っこっぽいものが解って良かった。

不思議と頭の痛さや解離記憶が出る前兆がない。
よほど抑圧された記憶や情動があるとでも言うのだろうか。

この蛇が一番嫌な感じ。
俺はこいつを「母親」だと地蔵に言った。


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