変換器との付き合い方
BSディム著
しんどいオカマのお悩み相談
ロケーション1182
完璧一歩手前の、羨望を抱いてる友人に「どうしてそんなになんでもできちゃうの?」という質問に対して
“「どんな分野にも、その道を究めた人っているじゃない? そういう人を見ると本当に感動しちゃって、アタシもその世界を見てみたいと思っちゃう。アタシはね、ただすごい人たちを参考にしているだけなのよ」”
行動して、その道を研鑽するための原動力はいくつかあると思う。
大学の頃の人間関係に悩まされた時期や入社したてで、毎日辛い思いに駆られた頃は、他人の妬みや恨みをエネルギー源にして、こういった不幸な境遇から脱する事は出来ないかと模索していた。
その為、例えば会社でフラストレーションが溜まるような出来事に遭ってしまうと、ストレスがエネルギーに変換され、体の中に蓄積する機構が出来上がった。
また、蓄積する一方だと体がウズウズして仕方がないので、それを吐き出す為にランニングという行動をとった。
(ランニングはストレスを浄化させて、体内に蔓延る倦怠感を一気に払拭するためにはとても都合が良い運動だ。)
ただ、何事もなく平穏に終わった日が続くとエネルギーが枯渇してしまい、走らなきゃという意識はあるものの、行動に移すのが難しくなる。
また、エネルギーはあったとしても体の調子が悪く、思っていた走りが出来ないとそれはそれでストレスとなる。
そのストレスがまたエネルギーになってくれれば良いが、変換器にもキャパがあるらしく、ある一定以上のストレスは処理できない。
そのため、外部からのストレスと、エネルギーが還元されて復活したストレスがダブルで変換器に供給され、キャパオーバーを起こし、挙げ句の果には緊急停止するはめになる。
今はこの変換器を稼働させる事は以前よりは少なくなったが、ストレスを原材料としたエネルギーは定量的な生産性やエネルギーとストレスとの可逆性を考えると、あまり得策ではないなとも思う。
ここ最近のエネルギーの原材料として、“他人に対する羨望”と“活躍して周りからチヤホヤされる自分の姿を妄想する事”の2つが主にある。
というか後者が圧倒的だ。
この原料の良い点として、今取り組んでいる事に対して短期的な目標を立てるとそれに応じて変換器のキャパも自動的に上がる事だ。
自分の場合、短期的な目標はその日の気分によってコロコロ変えるという事は殆どない。
もし、羨望の念が強くなり、目標が増えてしまったとしても、元々抱いていた目標と比較して優先順位をつけるに留めるだけで、その目標の数が多いほど変換器のキャパも大きくなる。
また頭の調子が悪く、変換器の調子も悪い日は大体の場合、用意される原料の量も少なくなる。
そんな日は自分がチヤホヤされる人間に生まれ変わる妄想がひたすら変換器に供給されるが、調子悪かろうが緊急停止することなく、一定に生産できるのがこの変換器の大きな特徴だ。
引用文に出てきた友人も恐らく、こういった類の変換器を持っているだろうと思う。
ただ、羨望の念が強く、変換器も高スペックで、作り出したエネルギーをどこに向ければ良いのか分かっているんだろうな、とも思う。
その道を極めた人を見ると、羨ましいな〜というレベルではなく、“感動しちゃう”というのがスゴイ。
この感受性の強さは一体どうやったら育まれるのだろう。
(以前誰かのツイートで、頭の良い人は世界を見る解像度が高い、というのを見かけたけど、それに関係するのだろうか)
そういった感動をエネルギーに変換しようという意気もまたスゴイ。
私だったら、変換器で処理しようと思った瞬間に「もし出来なかったらどうしよう」とか、「その道に入った瞬間に今までやろうと努力してきたこどを蔑ろになるのではないか」とかネガティブ兼冷静になってしまう。
こういった事を考えずに、ポジティブで情熱的な人をバイタリティに富む人と言ったりするんだろうな、と思う。
このように最初の引用文についてあーだこーだ書いたということは、その友人に対して少なからず羨望を抱いたからなのだろう。
今取り組んでいる事はランニング以外にもあるし、来年は勉強したいこと、受検したい試験がいくつかある。
それはある道を極めてそこから見える景色を見たい、とかそういったものではなく、ただ漠然とその道を歩ける自分になりたい、というのがモチベーションとなっている。
そんな自分になってどうしたいのかは分からない。
ただ、とりあえず今出来る事としては、取り組む事に対してポジティブに情熱的に、かつ計画的に行っていく事や、他人に対する羨望の念を強く抱き、それを出来るだけ多く行動するエネルギーに変換する事。
この2つだろうなと思う。
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