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創り手、美術作家になったわけ

私は美術家、創り手の仕事として行なっている。種類は版画、ドローイング、水彩画、ガラス絵、私自身が興味を持てば大概行なっている。そんな私ですが、昔、学生の頃は絵を生業にしていくなんて全然思っていなかったのである。それではこのテーマのハッシュタグ #この仕事を選んだわけ を話していこうと思う。

キュレーターによる美容院で個展

高校時代に遡るが不登校(詳細は別の記事で)だったのですが、とにかく絵が好きだった自分は高校一年の頃から学校を休んで当時のカラオケボックス、いわゆる所のカラオケ屋に行き、料金を払いデッサンなどをし、学校が終わる時間帯になると街中に出て一人で写生をしていた。上手い、下手の問題ではなく、ただ楽しいからの一点だったのである。当然指導する様な先生も居ないし、ましてや美術予備校なんてものがあるのも知らなかったわけであるので、その作品は当然下手であるのだが、進路に美大が出てくるのはだいぶ先。高校3年の夏でした。

第7回上野謙介展

高校一年、二年とカラオケで絵を描き、3年の半ばまでそういう作品を描いていたのだが、高校三年の夏の親子三者面談の時に「上野はどうなりたい?」と担任に尋ねられたところ、「この先生だったら話しても良いかな?」と思い、「美大に行きたい」と話したら、詳細は別に述べるが、フルスピードで美術大学の準備が出来、足りないところは予備校ではなく、美術専門校の先生が行っているアトリエが近くにあったので、そこに通ってギリギリ合格。多分ドベの成績で合格して、短大ですが、晴れて美大生になりました。だけれど、まだまだ意識は芸術が好きな子と言うだけだったので、それでどうこうしようと思っては居なかったです。

第2回上野謙介展

美術短期大学1年、2年と進み、途中大きな事件がありましたが、無事卒業し、美術史も好きだった私はアートプランニングの専攻科に上がりました。学芸員を育てる様な科でした。上がった当時はワクワクとしていましたがやっぱり私の障害特性上、高次脳障害の失語症。小学に言われた「上野君は大学に行けない」と言う言葉通り学科がとても負担になり、挫折。中退で古巣の神奈川リハビリテーション病院の神経内科に入院。当然ここでも芸術を生涯の仕事というのはなく、この状態は、確か、言うならば闇。変な真っ暗な様な闇が広がっていました。いや全く闇でした。

上野謙介・石黒隆宗 2人展の様子

その後退院後、高校の時頼った予備校の先生のアトリエを尋ねたり、大学の版画の先生を訪ねたり、公募団体展に出したり、いろんな経験をし、28歳か29歳かの時に美大を出たからには一回は個展をしたいと思い、東京周辺を起点にいろんなところを探しました。美大で仲良い友人は自分の元をもう離れ連絡不能に、一人で探さないといけないのと「どこが良い」「どこが悪い」の情報もまるで持っていなかった自分でしたので、ともかく画廊を訪れて確かめを多分100画廊ぐらいを訪れまして、確認しました。その時には当然条件が難しい画廊もありました。そんな中で引き受けてくれたのが今もお世話になっているK's ギャラリーでした。

第1回上野謙介展

第一回の個展は大勢の人がお越し頂き、また今でも仲良くさせている方々もいました。この個展がきっかけで意識が徐々に変わり、第2回、3回と進み、4回となった時にものすごいきっかけが訪れます。韓国の国際レジデンスプログラムです。

韓国レジデンスプログラム。レジデンスを行なっているアトリエの看板。

韓国は芸術のしきたり、文化、芸術のイメージなど。集まってそれを文化を通し、帰っていく様な物でした。それは一人一人の人間。美術家のみならず、喫茶店のオーナーや韓国の美術大学生の人間、お寺の尼さん、店の人、街中の人。それぞれ話して、聞いて、さまざまなものがあってきてよかったなと思いました。ぐんと意識が深まりました。

韓国レジデンスプログラム中に行われた日韓展。ブルーの作品はレジデンスの纏めている、李先生の作品。

意識といえばこれは外せないのですが、毎月必ず行なっていたミズテツオ氏率いるブルーブルーの集まり。以前は京橋区民館で行っていました。私は終わりの方で参加をしましたが、毎月美術のみならず音楽、芸術以外の話。時にはミズ氏が講師をやり、時には外部の方がやり、美術とは関係ない話でも話が深く、これを毎月何年かと聞いて、深く頷いていました。本当に勉強になりました。その甲斐があってミズ氏との2人展を3回行いました。すごい勉強になったのは言うまでもありません。

ミズテツオ・上野謙介 2人展。ミズテツオ氏の作品。

こう言うきっかけを与えてもらったのですが、ただ、美術家になったきっかけ、訳と言ってもそうそう見つけるのは難しいのですが、段々と意識が高まってこう言う仕事に着いた。ただ何となくではなく、あるべき姿になったと言う方がいいかもしれないです。きっかけなんて何でもいいと自分が言っているのはそう言う意味もあるのかもしれないです。この仕事は厳しいですが、うまく行った時には何より心地よいものが生まれてきます。そんな自分の #この仕事を選んだわけ です。
#この仕事を選んだわけ

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