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「特性は重度」と言われた話

「特性は重度」だったらしい

 私は息子の自閉症について、軽い重いは実はそんなに考えたことがなかった。知的障害だと結構「軽度」「重度」とか使うじゃないですか。うちの子は知的障害は「なし」。その上でASD。そこまでしか私の理解が深まっていなかった。
 でも心理士と何度も面談を重ねる中で、なんとなーくぼんやりと「息子の特性は重い」、そんなニュアンスを感じることが多々あった。
 年長の2月くらいには「あれ?これはおかしいぞ」と思い始めた。先生、なんかすごく重いみたいな話し方するな?と。
 そして最後の最後、小1の4月(今月ですね)の面談で心理士に尋ねた。
 「先生、うちの子って結局自閉の特性としては重度なんでしょうか?」

 先生は「うーん、重度…そうですね、ここまで特性が強いと…重度ですね」と言った。ずっと息子の特性を受け止めて寄り添って頑張ってきたつもりだったけど、人に言われて初めて「あ、そうなんだ」と、ようやく腹落ちした。

直後のわたし

 それからはしばらく、頭の中で「特性は重度…特性は重度…」という言葉がぐるぐるしていた。ショックだったような気もするし、気が楽になった気もするし。でも一番は息子への「気づいてなくてごめん」という気持ち。「今までの対応は間違っていなかったか。私が重度と気づいていなかったことで、無理を強いていたのではないか」という気持ちだった。

 でも一歩引いて、冷静に「この子は重度なんだ」という気持ちで見てみると、なんだか色々と許していいんだ、もっと楽に生きさせてあげていいんだ(変な日本語)という感情でいっぱいになった。
 もちろん人に迷惑はかけられないけど、他害なんかは今まで通りしっかりと対処していくけど…例えば支援級の同級生のように交流の授業に参加できなくても、習い事が続けられなくても、衝動性を抑えるために服薬させていても…「重度だから仕方ないよね!」「楽になる道はどんどん進んでいこう!」というようなテンションが湧き上がってきた(繰り返すけど、他害なんかは「仕方ないよね!」では済まさない。そこは絶対に何とかしていく)

その後のわたし

 その直後、初めての子ども会があった。今までの私なら「あそこに座るんだよ」と言い聞かせて、ママ達が立っているところに私も立ったと思う。でも今回は「そうだ、重度なんだった」と思って、息子に「離れると不安?ここにいようか?」と聞き、不安だと言う息子の後ろに座り、周囲のママにも「不安が強くて、離れるとわーっとなるので」と伝え、6年生がマイクを使う時はイヤーマフを渡した。そういう対応が出来た。
 だから、「重度」って絶望的な言葉に見えるけど、もうそう生まれてしまったものは仕方ないので、「重度だからよりサポートしてよい」「息子の特性をもっともっと大きく受け止めていい」と、私の心が穏やかになった。

 本当に息子は、いい子な時とやばい子な時の差が激しくて。さっきまでお利口にお勉強して褒められて子どもらしい笑顔を見せていた子が、突然騒ぎ出し、人を叩き物を投げ、いけません!と叱ると「いけないことありませーん!」と舌を出して反抗してくる。正直、このクソガキ…って思いません?私は思った。

 でもそれは息子の性格じゃなくて、特性なんだなと、前よりも受け入れることが出来た感じがする。スッキリした感じもする。障害需要が出来ているようで、変なところで出来ていなかったのかもしれない。どうしても周りと比べて、いい子な時の息子なら出来るのに、どうしてこうなるの、と思ってしまっていたと思う。

 心理士の先生には「重度」と言ってくれたこと、それ以前に1年以上根気強く話を聞いてくれたこと、この過酷な育児を労い、伴走してくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。その先生に「お母さん、ライターやってたならあーちゃんの障害についてのブログとかどうですか?絶対に励まされる人がいると思います!」と言われたので、ずっと何か書こうと思って、今回こうして、深夜のリビングでキーを叩きました。

 こんな息子がいるって、知っていただけたら嬉しいです。


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