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コンタクトが齎す予期せぬ学び

昔から、街中で突然知り合いに会う事が苦手だ。あの15秒くらいの会話をどうにか上手くなりたいと思っているけど、中々難しい。

高校生の時、目が痛くてたまたまコンタクトレンズを外したことがあった。当時僕の視力は、矯正してやっと1.2とかなので特別良いという訳ではなく、レンズを外すと遠くの顔などは全然わからなくなる。

いつものように駅の階段を上がって改札に出ていくと、何人かがこちらを観ていたような気がした。でも、僕は特に気にかけずに歩き去ってしまった。

翌日、学校に行くとクラスの女子からいきなり無視された。なんでいきなり無視したの。と言われた。

そこで気づいた、昨日の広場にいてこちらを見ていたは彼女だったのだと。

ただ、申し訳ない気持ちが沸き上がって来たと同時にあれはしょうがない部分もあるのでは?とも思った。

本当に悪気があったわけでもなく、
無視しようなんて思っていた訳でもない。

ただ、普通に歩いていて、見えなかったのだ。
(でも、ごめんなさい。)

それから彼女とは卒業までしゃべらなくなってしまった。ただ、卒業してからも思い出すのは、古文の文法ではなくこんな思い出である。

街中で突然に知り合いに会う事が苦手だということがこの出来事と相関しているのかどうか分からないが。(多分、めちゃくちゃしている。)

ここで僕は物事には一面だけではなく、今は見えない面があるということを学んだ。

今日、対峙している相手は、実際には体調が悪いのかもしれないし。直前に悲しい出来事があったのかもしれない。そして、僕もそうしてしまうことがあるのだろう。

誰しもが悪気無く、誰かを傷つけてしまうのだ。何気なくいったことばは、実は相手の大切なことだったり、あるいはどうでもいいことだったりする。

だから、偶然が起こす奇跡みたいなもの「バード・マン」とはいかないが、たまに、人生には予想もしていなかったような事が起こるようだ。

だからそこでどうしたという訳でもない。ただ何があったんだろうと推量する視点は必要なんじゃないかと。

街中で知り合いに会う度、今でも考えている。

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