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助けを呼ぶ声も虚しく…ヒグマ母子と造林作業員|北海道・厚沢部町|昭和48年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

  • 事件発生年:1973(昭和48)年9月17日

  • 現場:北海道厚沢部町

  • 死者数:1人

助けを呼ぶ声も虚しく
見るも無残な姿で発見

営林署作業員が、造林作業中にヒグマに襲われた事故。

1973(昭和48)年9月17日、厚沢部町の山中にて6人で造林作業をしていたところ、午前11時30分頃、作業員の一人であるA(45歳)の「おーい」という声が聞こえる。

不審に思った仲間が駆けつけたところ、Aの姿はなく、エンジンがかかったままの刈払機かりはらいきが放置されていた。

慌てて周囲を探していると、母子のヒグマが現れて襲いかかってきたので、ひとまず下山。午後3時頃、猟師を伴い再度現場を訪ねると、クマと出遭った現場から40mほど離れた雨裂うれつ(雨水の流れによって削られた、溝状の地形)で、衣服を剥がされた状態で亡くなったAを発見した。

当初、母グマは子グマを守るためにAを襲ったと考えられる。しかしその後、事故現場から離れたより安全な場所へと遺体を移動させていること、衣服のほとんどを剥ぎ取っていることなどから、最終的には食害の意思があったと思われている。

『北海道新聞』1973(昭和48)年9月18日16版

現場は国道227号の中山峠から厚沢部方面に2kmほど下った地点の、道路から約4km離れた山中だった。造林作業は8月末から行っており、作業員は10m間隔でササを刈っていたという。

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。

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