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胃からシャツ、タケノコ採りでツキノワグマに襲われ死亡|秋田県・田沢湖町|昭和58年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

  • 発生年:1983(昭和58)年6月24日

  • 現場:秋田県田沢湖町(現・仙北市)

  • 死者数:1人

遺体の体にはひっかき傷
クマの胃の中にはシャツが

秋田県の十和田とわだ八幡平はちまんたい国立公園内の八幡平大深沢おおぶかさわ国有林で、タケノコ採りの女性Aが被害に遭った。

ことの始まりは6月24日午前5時頃、総勢4人で大深温泉付近の大深沢国有林に入山したこと。午前6時頃、同行の1人が小ブタほどのクマを発見したため、木に登って笛を吹き、周囲の仲間に危険を知らせた。

『秋田さきがけ新聞』1983(昭和58)年6月

その後、2人は合流したものの、A(48歳)の姿が見えずにいたところ、鋭い悲鳴が聞こえた。叫び声のする方へと駆けつけ、周囲を1時間半ほど探すものの、見つからなかった。いったん下山し、捜索隊とともに彼女を探したところ、午後2時50分頃、入山地点から500mほど離れた沢にて死亡したAを発見した。

遺体の周囲を探索したところ、十数m離れたアオモリトドマツに登り、こちらの様子を窺うクマを発見したため、射殺した。

クマを解剖したところ、胃の中から彼女が身に着けていたシャツの切れ端を発見。このとき、近くの茂みがガサガサと動く気配がしたため、一緒に行動していた子グマが逃げたと思われる。これは最初に発見した、小ブタ大のクマかと推測される。

Aは母子のクマに遭遇し、過敏に反応した母グマに襲われたとみられる。遺体は無数の引っ掻き傷が確認されたうえ、右肘が引きちぎられていた。

『秋田さきがけ新聞』1983(昭和58)年6月25日2版

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。

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