日常の中のわな猟 〜 なぜヒトは大物猟を目指すのか?
文|千松 信也
この日の、いつもの見回り
昨猟期、12月中旬くらいのこと。前日の夜に雨が降り、ぐっと冷え込んだ日曜日の早朝、山に仕掛けたわなの見回りに行くため、軽トラに乗り込んだ。
〈昨日はええ感じの雨やったし、ぼちぼちあのシシ掛かってへんかな〉
そんなことを思いながら軽トラを運転し、途中でコンビニに寄って缶コーヒーを買ってから猟場に到着。林道の隅に軽トラを停める。
〈…さて〉
いつものように猟用の上着に着替え、スパイク地下足袋に履き替える。腰には小ぶりの剣鉈をぶら下げ、わな用具一式の入ったリュックを背負ったら準備完了。
わなを仕掛けてあるけもの道に無駄なにおいを残したくないため、街を移動するときと山に入るときは服装を変えている。ただ、下着なんかはそのままだし、どれだけ対策をしてもイノシシに感づかれることもあるので、自己満足的なおまじないのような側面も強い。
山に入る。しばらく急斜面を登ると、ぼくが巡回ルートにしているけもの道に出る。そのけもの道はかなり歴史のある道で、ぼくが猟を始めた15年前の時点でも、動物たちにしっかりと踏み固められ、かなり使い古されていた古道だ。
そこからはそのメインルートであるけもの道を辿りながら、その枝道などに仕掛けてあるわなを順次チェックしていく。歩いて行くと、地面に足跡がうっすら見える。普段はガチガチの土質なので、そうそう足跡など残らないのだが、昨夜の雨で地面がちょっと緩んだようだ。
観察結果
〈お、これは例の子連れのシシが来てるな…〉
母親の方の足跡は分からなかったが、ドンコ(当歳子)かフルコ(1歳子)のものは確認できた。その母親の方のイノシシがこの猟場でのメインの獲物だ。猟期前の見立てでは、ハラ抜き50㎏くらい(「ハラ抜き」は内臓を抜いたときの重さ)で、ドンコを何頭か連れていると判断していた。
〈さあ、こいつが掛かってたら、この猟場はもう、わな引き上げてもええんやけどな〉
けもの道を進む。6~7年前にカシノナガキクイムシによる食害で枯死したコナラの巨木の横を通る。根元の周辺を見ると、クリタケの幼菌がチラホラ。
〈お、やっと出始めたか。来週には収穫できるかな〉
このポイントではもう3年ほどクリタケを収穫している。近くにはハタケシメジのよく出る場所もある。わな猟では、一度わなを仕掛けると毎日そのルートを見回りのために歩くので、こういった付随する楽しみもある。
手前の方に仕掛けた2つのわなには変化無し。次のわなまではちょっと距離があり、その前にヌタ場がある。
イノシシたちが泥浴びをするヌタ場は、周辺に泥跡が残りやすく、ぬかるんだ地面に足跡も残りやすいので、彼らの行動を探る絶好のポイントだ。
ヌタ場に近づくと、遠目に見ても濁っているのが分かる。まだ薄暗い森の中で遠目に見える白っぽい黄土色のヌタ打ちの跡はなんだか輝いて見える。周りの足跡を確認しつつ近づくと、やはり昨夜の跡のようだ。
慣れてくると、ヌタ場の水のにごり具合、泥の沈殿具合で何日前にイノシシが来たか判断できるようになる。
こんなことを言うとすごい技術のようだが、わな猟では毎日見回りに来るので、イノシシがヌタ場を使った日の次の日、その次の日…とちょっと丁寧にヌタ場を観察すればいいだけだ。
最近は、わなに発信機を付けて反応があったときだけ山に来るというスタイルのわな猟もあるようだが、わな猟の技術を上げるためには、じっくりと自分の足で日々見回り、山の中で何が起きているのかを自分の目で確かめるのが大切だと思う。
ヌタ場の周りには、「スリ木」などと呼ばれるイノシシたちが特に好んで泥をなすりつける木があることが多い。
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