見出し画像

留守番の少女をヒグマが襲撃|北海道・下富良野|明治37年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

事件マップ(下富良野付近) 参考:『北海タイムス』1904[明治37]年7月21日
  • 事件発生年:1904(明治37)年7月20日

  • 現場:北海道下富良野村(現・南富良野町幾寅)

  • 死者数:1人

空腹のクマが農家に侵入
留守番の少女に襲いかかる

1904(明治37)年7月20日、北海道下富良野村(現・南富良野町幾寅)の農家に突然の悲劇が襲った。道央に位置する下富良野村は、現在も自然を色濃く残す地。大雪山や十勝岳など深い山々が周囲を囲み、空知川をはじめとした清流が随所に流れる大地である。

事件当日、下富良野村幾寅いくとら士別南2線西405番地に居を構えるAの娘B(11歳)が、1人留守番をしていた。

A夫婦は、いつものように早朝から畑仕事に出ていた。畑は自宅から400mほど離れた、さほど遠くない場所にあった。

事態は、両親が畑仕事に出ている間に発生する。

普段と変わりなく家で1人過ごしていたBに1頭のヒグマが突然襲いかかって来た。あっという間に家の中に侵入して来たものと推察される。

ヒグマは家の中にいた娘をくわえ、林の中へと消えて行った。

事件発生時、周囲に人はおらず、詳細な状況はわかっていない。だが、その後の周辺状況から事の次第が少しずつ判明していく。

必死の捜索の末に
藪の中で着物が発見される

夕刻、畑仕事から自宅へと帰ったA夫婦に不安が襲った。いつもいるはずのBが家のどこを探してもいなかった。さらには、家屋の内外がただならぬ雰囲気を醸し出していた。

A夫婦は即座に近所の者に状況を知らせ、応援者とともにBの捜索を始めた。しばらくすると、家から50mほど離れた場所に点在する血痕を見つけた。

血痕をたどると、さらに50mほど進んだ場所で布切れを発見した。イバラの小枝に引っかかった布切れをよく見ると、それはBの着物の一部であった。

不安は増すばかりであったが、さらに捜索の範囲を広げ、Bの行方を懸命に探し続けた。着物が引っかかっていたイバラから、さらに600mほど先の林の中へ入ると愕然とした。

笹藪の中に遺体が発見された。臀部と両足の肉がほとんど食い尽くされていた。

周囲には内臓が飛び散っており、全身に無数の爪痕が残されていた。無残極まりない、変わり果てた姿だった。

その後、少女を襲ったヒグマの捜索が続けられたが、ついに捕獲されることはなかった。

なお、少女とその家族を襲ったこの一連の悲劇は、「下富良野少女ヒグマ襲撃事件」として、当時の新聞『北海タイムス』が報じている。

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?