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猟師とヒグマ、両者相討ち死亡で見つかる|北海道・斜里町|昭和49年

本記事は書籍『日本クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年・三才ブックス刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。


はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害ゆうがい事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

  • 発生年:1974(昭和49)年11月13日

  • 現場:北海道斜里町

  • 死者数:1人

猟師がヒグマを撃ち損じ
両者相討ちで死亡

1974(昭和49)年11月11日、その年の9月から出没情報のあった、斜里町しゃりちょう富士の幾品川沿いの丘陵地へとヒグマ撃ちに出かけたA(37歳)。

ところが、帰宅時間の午後5時を過ぎても戻らないことから、捜索願が出されていた。翌12日から、地元猟師など17人で捜索にあたり、13日午前10時40分頃、顔面を強打され、遺体となったAが発見された。

遺体のそばには銃把の折れた猟銃やかばんなどが散乱していた。

例年、ヒグマが出没する地帯であった。隣接する樹林にはクマイザサが密生し、容易に立ち寄ることはできなかったという。

ヒグマは体長1.93mで推定年齢は14~16歳。銃弾は背中から左胸に沿って貫通しており、Aを襲った後、胸腔内の出血による呼吸麻痺で息絶えたものと思われる。

(了)


本エピソードは『日本クマ事件簿』でもお読みいただけます。明治から令和にかけて死傷者を出した熊害ゆうがい事件のうち、記録が残るものほぼ全て、日本を震撼させた28のエピソードを収録しています。

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