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親子

僕は父親

僕は母親ではなく、父親だ。
僕のことを「ママ」と子供は呼ぶ。
しかし、本当は「パパ」と呼ぶべきなのだ。
僕は母親らしいことをしてこなかった。
全部夫に任せっきりだった。
だから子供が小さい頃、どんな子供だったか記憶にない。
持病の双極性障害があるから調子の悪い時の薬が半端なく強い。
記憶が飛ぶ。

子供が1番かわいい盛りのときは乳児院と児童保護施設にいた。
歩いて10分のところにいたので、良く面会に行った。
帰宅の練習をして、家に帰ってきたのは保育園の年長の頃。
夫には懐いていた。
乳児院にいた頃、子供の足が扁平足だったので専用の靴を履き、歩行のトレーニングするために療育センターへ同行し、知的障害があることがあると診断されたときも本来僕が聞くべきところを夫が聞いてきた。
僕はどれも立ち会っていない。

家に帰ってきてからもパパっ子で、何でも夫を頼っていた。
養護学校の高等部になった今でも、寝ている部屋も一緒。
そう言えば僕もパパっ子だった。

入院してからは僕頼り

子供は中2から不登校だ。
養護学校の高等部もたまにしか登校していない。
既出だが、ある日いきなり「北朝鮮の工作員」と言って殴ってきた。
様子がおかしい。
昼夜逆転で、家からも出ない。
3年近くそんな生活で、おかしくなった。
精神科にかかり、統合失調症と診断され、入院することになった。
僕は不謹慎ながら、ホッとした。
ウザイのがいなくなったからだ。
思春期になり、反抗的な態度を取り、我が子ながら許せないことが度々あったからだ。
親子関係は最悪なものだったのだ。

精神科には思春期病棟と言う閉鎖病棟があり、全てが個室。
児童養護施設以来の1人での生活。洗濯も自分でしなければならない。
スマホの持ち込みが許されているので、LINEでやり取りをするようになった。
最初の頃は素っ気ないやり取りだけだった。
面会も必要なものを持って行くだけ。
1時間弱かけて病院まで行き、滞在時間5分という日もあった。
僕は面会が嫌になっていた。

入院から半月程経った頃だろうか。
LINEがコンスタントに来るようになった。
次に面会に来るよう催促のLINEが来るようになった。
離れて過ごすと気持ちが楽になり、次に寂しさに転じたようだ。
LINEはひっきりなしに来る。
外泊ができるようになってからは、「外泊いつ?」としきりに訊いてくる。
できる限り面会に行くようにしている。
今週も外泊がある。

僕と同じだ

僕も母親とは仲が悪かった。
嫌いで嫌いでしょうがなかった。
僕は高校から家を出て寮生になった。
母親からは毎週のように手紙がきた。
僕は返事を書かなかった。
最後まで仲が悪かったのだ。
僕はその失敗を踏まえて子供と向かい合うようにしている。

子供は僕と同じで物には定位置があり、整理整頓の仕方にこだわりがある。
こだわりの強さ、手先の器用さ、好き嫌いのはっきりしているところ。
ああ、親子だなぁと思う。
同族嫌悪に近いものがあったのだ。

ハグをする

面会から帰る時、ハグをする。
今までハグなんかしたことなかったのに。
一次接触を嫌う子供がハグをする。
今回の入院で、大分変わった。
LINEに「ママ大好き」と書いてきたときは驚いた。
その他にも「寂しい」を連発してくる。
子供の友達のママたちと、子供が入院するこあとをLINEをしていたとき、あるママが「子供は母親を求めるものです」と言ってくれた。
正にその通りになった。
僕はママではないが、子供にとってはママなのだ。
ハグをしたがるほどママ(パパ)を好きになってくれたのは嬉しい。
「外泊が楽しみ、退院が近い」と言うが、薬物療法で薬が増えた。
僕が昔飲んでいたアメルを飲んでいるらしい。
飲んでいる薬まで同じとは親子だなぁ。

退院後が心配

子供が退院したら、夜勤の間のことを心配だ。
今も「仕事頑張ってね!」
とLINEがくる。
家に帰ってきたら、1人になる時間が3時間ある。
突飛なことをしなければいいが…。
僕は退院後が本当に心配だ。
関係が良好ならいいが、また悪くなると子供の精神状態が悪くなる。
するとまた入院だ。
親子の関係は難しい。
今回の入院で、腹を痛めて産んだ子供は大事だと気づかせてくれた。
今まではディスコミュニケーションすぎた。
これからはもっと話をしよう。
思っていることを言おうと思う。
スキンシップも大切だ。
もっと子供と向き合っていきたい。

タイトルの上のイラストは僕が1番好きな動物であるナマケモノで、しかも親子。絵師さんありがとうございます。

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