死神遣いの事件帖 -鎮魂侠曲- 配信視聴しました

この春からずーっと楽しみにしていた作品。
残念ながら世相を鑑みて上京しての観劇は諦めたのですが、
初日の配信を先ほど観ました!

めちゃくちゃ面白かったです!!!
始まってから少しの間だけ、配信開始前に自分がバタバタしてしまっていたこともあり、はあ劇場で見られればなあ…なんて思って、ちょっと集中してないところがあったんですが、そんな気持ちはすぐどっかに吹っ飛んでましたね。
まず、あの侠客たちの口調で、あの世界にぐいっと引き込まれました。馴染むまでのほんの短い時間、少し乱暴に聞こえてましたが、あっと言う間にあの世界観に引っ張られて、飛び交うべらんめえ口調が心地よかった。
そのあとはもうとにかく、明かされるそれぞれの思惑に食らいついていくのに必死で!そうしていたらいつのまにか、うわあああこうなる!?!?って声に出してました。
映画のときも同じことを思ったのですが、どんどん新事実が明かされていくんですけど、それが説明っぽくなくて、感情の応酬でぶつけられるから、理解が難しいとか一切なくて。むしろ、感情のドラマを味わっていたら、いつのまにか理解している、くらいの感じで。
今はまた、劇場で見られればなあ…って思ってます。それは、後ろ向きな意味ではなくて、とにかくすごかったから!配信でさえこれだもん、これを生で浴びたらどんなだっただろうと思うと!!きっと少年社中さんや、昨年のGOZENを観に行ったときみたいに、心も体も揺さぶられていたんだろうなと思うと…。

死ぬより怖いことは、なすべきことをできないままで生きること…
この新之助のセリフがいちばん残りました。
毛利さんのお話はいつもそうなんですが、お守りにしたいような言葉がいっぱいあって。パンフレットと一緒に台本も通販で注文しました。

生きることは苦しくてむなしくて無意味、っていう天元に対しての、侠客チームの強さ。
十蘭に、百目鬼に、お菊に、保科正之に、天元に、なぜそんな生き方をするのか、義侠とは何か、何度も言葉を変えて尋ねられても、何度だって同じ言葉を返していた。こんなにも強く、自らの義侠を通して生きることの強さを。
弱きを助け強きをくじく、という行動指針はもちろんですが、義侠とは、生き方…死に方まで含めた、生き方の話なんですね。
そして、それを選ぶことを、周りの誰も、止めることはできないんですよ!生きていてほしかったとか、巻き込みたくないとか、いろいろ思ったとしても、侠客の道を選ぶような人間は、そんな願いで止まるようなタマじゃない。だからもう、どーんと受け止めるしかないんですよね!これは、受け止める側にも強さが要求されますね。

どこかの毛利さんのインタビューで、幻士郎がいないことが大きなファクターですとかって言ってるの見てたんですが、一八もめちゃくちゃに重要じゃん…!この、生者の中になお生きている死者の魂を大事にしてくれる感じが毛利さんのお話なんだよなああああ。大好きです。死は死の瞬間に永遠に別れるわけではないんですよ。
侠客たちの自己紹介、新之助の左腕に左右の金玉(笑)って、ちゃんとね、一八が名乗っていた右腕は、彼のためにとってあるんですよね…。
そう、だから、姉弟が一八の死を嘆くことは、一八の生き方を否定することになってしまうから。きっと一八が望むのはそうじゃないんだよね。一八は自ら、あの生き方と死に方を選んだ。それを嘆くなんて、一八の選んだ侠客の道を侮辱することになってしまう。そうじゃないんです。確かに生きていてほしかったという願いも、新之助を恨む気持ちもわかるけれど、でも、でもそうじゃない、ってことがあるんですよね…!
そして喜三郎が兄の後を継ぐような形で入るのエモエモのエモじゃないですか…!あの赤い羽織を着て…!

百目鬼もう最高じゃん。美味しすぎませんか?
ある意味、自分の理想、美学を貫いてて、侠客のような生き方にも見えました。
これほどまでの美学があるから、映画で水野が負けたときも、あんなに薄情だったんですね。冷酷なのかと思ってたけど、目的に忠実であるが故の残酷さなんでしょう。
天元は、人間たちを支配する神になろうとしている。それに賛同するメメントは、人間たちには天元のように導いてくれる存在が必要と言ってた。
でもそれじゃ百目鬼にはおもしろくない。苦しむ人間の姿、その魂こそ美味、と。人間と契約して魂を食らってこそ、とも。労なくして家畜のようにした人間の魂を食らってもおもしろくない、と。いいですよね、しっかり一貫性がある。
なんか陳内くんがゴーバスターズで演じたエンターを思い出しましたね…いや、むしろ百目鬼の思想はエスケイプか。エンターは、終盤で人間に興味を持ち始めるまでは、人間は愚かだから生きてても無意味、みたいな、どっちかっていうと天元やメメントみたいなことを言ってたので。
いやしかし、なんなんですかね、あの陳内くんの、人外の説得力。もはや普通の人間役よりも人外の方が向いてませんか?まさに2.5というジャンルの寵児ですよ…。

十蘭も、こんなバックグラウンドがあったなんて…!
てか、幻士郎のお父さんがすごすぎるんだな。あんな本性を抑え込んでたって。そしてそれを復活させるための辻斬り事件だったと。上手いなあ…構成に隙がない。
そして、演じる安井くんの変わりよう!
映画の十蘭は、幻士郎大好きなツンデレキャラ、って印象だったので、あの本性を出したときの芝居がすごかった…!
実は1幕と2幕の間で、十蘭の衣装が変わったりするのかななんて思ったんですが、そんなことはなく。
そうなんですよね、衣装替わりはもう、最後の十蘭変化のときの新之助、という最大の見せ場があるから、そこ以外は使えなくて。
声の出し方、動き方、もうその全てが、残虐の死神、に変わってて…。あれはびっくりしました…。
天元にそそのかされてるときと、新之助と戦いながら諭されるときの、迷いに満ちた表情もよかったですね…。映画では、契約している幻士郎に絶対に従うと決めているからか、迷う様子は一切見せなかったのですが。映画では幻士郎の死以外ではブレなかった十蘭の、安井くんのいろんな表情を見て、こんなにいろんな引き出しがあるんだ、って思いました。
舞台斬月で荻谷くん、モマで諸星くんを観ましたが、今回の安井くんも観て、7ORDERってすごい人たちの集まりなのでは?と思っています。

そして人を狂わせるのが(人じゃないのもいるけど)誰かを想う気持ち、ってのがね、ほんとに、毛利さんの描く優しい世界なんですよね…天元のように、我欲に溺れるものは成敗される。あ、いや、ある意味百目鬼は我欲を貫いたがゆえのかっこよさでしたけどね…!
あの十蘭が、幻士郎の名前をささやかれると、幻士郎はそんなの望まないはずなのにそれでもあれほどブレてしまうのか、というのと、
姉弟があんな無茶してまで、一八の敵をとろうとするのか、という、その死者の存在の重みが、丁寧なんですよね…。

そう、だから、配信終了後に、画面に「死神遣いの事件帖 ―鎮魂侠曲―」ってロゴが出たのを見て、ああ、まさにそういう話だったなあ、と思いました。
幻士郎と一八という、死者を思う鎮魂。
そして侠とは、侠客として生きるとはなんぞや、という問いに高らかに答えてみせた。侠客たちだけではなく、幕臣の保科正之や、死神の百目鬼までも使って、筋を通して生きること、をうたいあげた。
そんな物語なんだなあ、と。


いやまあしかし、怒涛の展開でしたよね。
死神が死神遣いを取り込んで、死神と契約するとか、天元、型破りすぎる。
臨兵闘者…って言い出したときは、GOZENの月暗を思い出しましたよw
そしてやっぱり新之助には死神遣いの素質あったんじゃん!これで、十蘭が見えてる理由が、もうすぐ死ぬからじゃないことがわかって、安心しましたよ…。
百目鬼とも十蘭とも契約したって、すごいですよね?

最後、まさか、全員十蘭に命を使い切られて、お菊だけが歩いてくる、とかだったらどうしよう…って思ったけどそんなことなかった。最近バッドエンドばっかり摂取していた弊害…。
お菊も含めて侠客一味、鬼八一家、って名乗って終わるのめちゃくちゃよきでした…!でもやっぱりあれ、あの調子でいったら、今すぐってことはないにせよ、鬼八一家のメンバー、十蘭に命を使われて早死にしますよね…。でもきっとそれでも構わない、そう覚悟を決めてる人たちなんですよね!何もしないで生きるよりも、命を使われてでも、義侠の道に生きると決めてるんですよね…!

踊るような殺陣!社中さんの舞台のような、あれは生で浴びたい殺陣だった…。殺傷能力よりかは、魅せること優先というか。音楽に合わせて踊っているようなんですよね。
変化はもう、完全に、Gロッソ方式…っていうか、毛利さんは舞台斬月で変身をやってますからね。そこはもう、絶対にやってくるだろうなと思ってました。
刀になった十蘭が後ろで一緒に戦ってるの胸熱でしたね…!これもなあ、舞台で全景を見て、新之助と十蘭のシンクロを観たかった…!映像だとどうしても寄らざるをえませんから…。
しかしこの密度の濃い殺陣、いや殺陣に限らずお芝居の全部がですけど、これで制限のある中で稽古したとのことですからね…すごい、としか言えません…。

キャスト語りパート。
賢志さん!!!いやもう圧がすごい。最後までブレない信念、ただしちょっと過激、みたいなのが本当に似合いますよね。たまにどこ見てんのかわかんないような目をするのがもう、自分の野望しか見えてない感じがあって。
喜三郎の圭登くんも印象に残りましたね…とにかく殺陣が素早い!すばしっこい!弟感も出しつつ、いや、普通に強かったです…。仇討ち成功するんちゃうかと思うくらい。
ポスターの感じから銀之丞さんも黒幕なの!?って思いましたけど違いましたすみません。親分なのにぜんぜん気取ってなくて、新之助を導いてくれる、これは特撮でいうおやっさんポジション…!でも最後は親分自ら出張ってくる!ベテランのかっこよさってこういうことだぜ、って全身で言っていかれましたね…。
あともう松本寛也さんですよ。スーパー戦隊親善大使に加えて、ムビステも皆勤を続けてムビステ大使にもなってほしい。若くてキラキラしたキャストの中で、下世話なコメディリリーフを一手に引き受けてくれるの、ザ・寛也さんって感じで最高でした。

なんかもう最近、時の権力を揶揄するようなものが全て、うっわ現実を言い当ててる…って思ってしまうんですが、幕府は腐ってる、民の苦しみをわかってない、みたいな言葉が今回もあって、ほんとそれな…と思ってしまうなど。民はそれに騙され踊らされている、みたいなのもあって、うわあ攻めてくるなあ、と。
でも保科公がいい人でよかった…!会津藩祖ですから!あと社中キャストですから!(映画に続き2回目)
辻斬り事件を受けて自ら囮になりにいくなんて、すごいですよね…お忍びで吉原に調査に来ていた映画のときから、この人もまた、ブレない良い人でいてくれました。

小ネタ。
南蛮死神が言うYesMyRoadって、絶対、仮面ライダージオウのOP曲のOverQuartzerだし、
なんか侠客のみんなが踊ってるときにU.S.A.みたいな振りつけありませんでした?幻覚か?

最後に。
百目鬼は、確実に、自分が作り出した世界に幻士郎がいるってわかってますよね。
でもたぶん、百目鬼自身の力では引っ張り出すことができなくて。
もしかしたら、十蘭と新之助にそれを頼みたいと思っている…?
だって、あんな確信めいた言い方で「また久坂幻士郎と会いましょう」なんて去って行くなんて…!
幻士郎を助け出して、いったい何がしたいんだ?だってもし助け出したところで、その魂を食らうのは、契約している十蘭のはず。
あ、いや、十蘭は今は新之助と契約してるのか。じゃあやっぱり百目鬼は、幻士郎の魂がほしい…のか…?

ムビステ第1弾のGOZENは、かなり潔くスパッと終わる話でしたが、今回はどうにもこの、続きがありそうな感じ…!
そして、ムビステ全体で言うと、GOZENが秀忠の時代、しにつかが家光の時代なんですよね。
てことは次もまた江戸時代で続いていくのか…?
今こういう、若い人も楽しめる時代劇みたいなのって貴重だと思うので、しにつか、及びムビステを、これからも応援し続けたいと思います!


7/26追記
アーカイブで2回目視聴。怒涛の展開にくらくらしてた1回目よりもお芝居をしっかりと見れた。
鬼八一家、特に崎山さんのしゃべり方がすごい。完全に江戸っ子、べらんめえ口調のお手本みたいなしゃべり方。文字に起こしたときに出てこないような、細かい言い回しというか、舌使いって言うのかなあ、それがとにかくすごい。台本を読んだだけでは絶対に立ち上がってこない、江戸っ子口調の要素を、見事に演じている。ちょっと巻き舌気味になったり、小文字(「ぇ」など)で書くような母音の絶妙な伸ばし方とか、もうほんとに、これが江戸っ子です!っていう感じ。
ほんとに、崎山さんと銀之丞さんのしゃべり方で一気に世界観に引き込まれる。こればっかりは台本読んで脳内再生しても再生しきれないなあ、と思う。台本には書いてない息遣いの部分の話だから。ベテラン銀之丞さんに引けをとらないどころか、江戸っ子口調の同じテンポに乗って丁々発止のやりとりを互角にやりあう崎山さんがほんとにすごい。この2人の会話シーンずっと聞いていたい。

十蘭の動きのキレがやっぱりすごい…。オープニングと、あと力を取り戻すときに、あの長いお袖を器用に振りさばいて踊るんですよ、しかもかなりのスピードで。しかもそれを、無表情でやるんだよな…確かに本人の感情が出るのはそこじゃないから。動きと表情のギャップがすごい。
あと鬼八一家を操ってるときがかわいい。踊らされてる一家のみんなの踊りもすごくかっこいいんだけど、後ろで、ほぼ無表情の中にもほら見たことかちょろいんだよ、みたいな顔しながら操ってるのがまさに十蘭。一回、お袖が顔にかかっちゃったときがあって、それもまたかわいかった。

賢志さん=天元、マジで怖いわ。この人、徹頭徹尾、「世を正す」しか言わん。自分の欲望を叶える、っていう視点じゃなくて、あくまで、死神が愚かな人間に遣われる世が「間違って」いるから、「正しく」導く、っていう前提で。自分の考えが正しいと信じている、とかいう次元じゃなくて、自分の考えが間違っているかもとか他の考えがあるかもなんて微塵も考えたことがなく、自分が正しいことなんて全人類&全死神にとって自明であるかのような振舞い。幕臣を殺したことを羅厳親分に問われても、奴らは生きてる価値のないもの、で一蹴する。百目鬼とたもとを分かつときも、絶対に自分が正しい、それを理解できない百目鬼が残念だよ、みたいな感じだし。最後まで自分が間違ってるなんてこれっぽっちも思わず、余裕ぶったままだった。
この、自分が掲げたことしか見えてない感じ、アマゾンズの鷹山仁を思い出しますね…。

他の方のツイートを見て、ちょっと注目して見たのですが、確かに天元は、自分が変化するときも、メメントとヴァニタスを変化させるときも、自分を斬って(斬らせて)ますね。
変化は本来、契約してる死神遣いの命を代償にするものだけど、天元は、自らを遣う死神遣い・メメントとヴァニタスを遣う死神遣い、この両方を兼ねている?だから死神遣いとして命を削らせることで変化を遣う。ただし人間の死神遣いではないので、命の差し出し方が違う…みたいな感じなんでしょうかね。

お話の整理。
喜三郎の辻斬りは羅厳親分ではなく天元とそれに従うヴァニタスがさせていた。
天元は死神の世をつくるため、幻士郎の命で十蘭を釣った。
幻士郎を助けるためには、十蘭が①本来の力を取り戻すこと②天元と同じように契約した死神遣い(新之助)を殺して死神を越えた存在となること が必要とそそのかした。
五芒星の形に辻斬りをすることで十蘭の力を取り戻させた。喜三郎は新之助に復讐をしたかったが、新之助は②に必要なのでヴァニタスに止められた。
この天元の策略がものすごく込み入ってるのにスンッと入ってくるのがすごい…!
十蘭が力を取り戻し、人間界と死神界がつながり、城下では死神が人を襲い始めた。
天元はヴァニタスと保科正之を使って侠客たちを江戸城へと罠に嵌め、将軍を殺して自分が神になろうとしたが…という。

別作品ネタ(わかる人だけわかるTRUMPネタ)。
メメントが「死を思うがゆえに人は生を実感する」とか言い出したとき、どこのダミアンストーン???って思ったよね…
そしてクラウスである陳内くんですが、百目鬼は人の苦しみをちゃんと(?)楽しむタイプ…あんたに捧げられてるグランギニョルにも、もうちょっと興味もってやれよ…。
あとヴァニタスって虚しいって意味だったんだ…。あいつは虚しい存在だってこと…?まあ確かに元の名は捨てているけど…それとも、あいつのやってることが虚しいってこと??

毛利さんファンとして。
前にムビステではなく単発の舞台で東映と組んだ「ピカレスク◆セブン」が大好きなのですが、毛利さんにかかると、悪の道も侠の道も、全てが「自分の信じた道を貫いて生きること」になるんだなあ、と…。いつも社中作品を見ると「人間賛歌」という言葉が思い浮かぶのですが、これも広義のそれだよなあ、なんて。

毛利さんの人間賛歌は、個性賛歌でもあり、人間の弱さの肯定でもあるんですよね。
侠客のような生き方を、メメントは命を粗末にしていると言った。ヴァニタスは虚しいと言い、天元は無意味だと、だから導かねばと言った。
でも、新之助は、弱く苦しんで生きる人間だからこそ、弱いものを守りたいと言った。
そして百目鬼は!苦しみ抜いて死んだ魂こそ美味、と…。
新之助は守りたい、百目鬼は味わいたい、という違いはあれど、両者とも、人間は弱く苦しむ存在である、それでも必死に生きるのだ、ということを肯定してくれてるんですよ…。生きることは苦しいけれどそれでも生きるのだ、それが人間なのだ、という点では、完全に見解が一致してるんですよ…!
えっ百目鬼、完全にヒーローでは???

この、立場は違うけど目的が同じだから協力する、みたいな関係、大好きなんです…立場ってのはそう簡単に変わるものじゃないけど、それでも協力することはできるんですよ。
それでいくと、羅厳親分が最期に、保科正之に俺の手を取っちゃいけねえ、っていうの、めっちゃくちゃかっこよかったです。目指すところは同じはずでも、そこは義侠の道を通さないといけないんですよね。

百目鬼の去り際のセリフ、
「また会える日を楽しみにしていますよ、久坂幻士郎と共にね」でしたね。
いやいや、だから、絶対に、自分が作り出した世界の中に幻士郎がいるってわかってるじゃん。
そして十蘭と新之助に契約なさいと勧めるのも百目鬼…。
やっぱりこの2人に幻士郎を引っ張り出してもらおうとしてるようにしか見えない!!

新之助と十蘭が一体化した姿を、「私を越えた力」って天元が言ってましたけど、幻士郎を生き返らせるために必要な力って、たぶん、これでいいんじゃないかな。
おそらく天元が言う「死神を越えた力」ってのは、死神遣いと死神を1人で兼ねる状態、であればいいのでは?それは何も、天元のように、死神遣いを殺してその力を奪う方法でなくとも、あの一体化の状態でいいんじゃないか?
もっともあれは「お命無限頂戴します」なので、ずっと保ち続けることはできないし、保とうと思えば、劇中で鬼八一家の命までも借りたように、他の人の命を補給し続けなければならないのでしょうが…。
いかにキープするか、という問題さえクリアできれば、死神遣いと死神との一体化さえできてれば、幻士郎カムバックはできる気がします。

ところで一体化したとき、新之助の肩に、あの十蘭の肩のもふもふがついてるんですね…!最高!


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