刀ステ配信「科白劇 改変 いくさ世の徒花の記憶」感想

先ほど再ライブも見届けました…歌仙…本当に美しくて強い刀ですね…。
脈絡ないですがとりあえず2回見たので感想を記しておきたいと思います…。
考察もはかどっているのですがそれはまた後ほど別記事で。


愛とは、赦しとは。ずっとそれを考えていた。
願い、祈り、慈悲。それを人は愛と呼ぶ。(孝高)
憎むことは簡単で、愛することは難しい。だがその困難に立ち向かわなければ。(宗麟)
ここで起こったことを、愛なんて一言で片づけることはできない。(歌仙)

なぜ憎いか。それは愛おしいから。
だって、そう、相手のことを何とも思ってなければ、愛していなければ、憎むこともないから。相手に期待していなければ苦しむことなどないから。愛の反対は無関心。

ガラシャの罪は、愛する人を憎んだこと。
それを許せるのは忠興だけ。
その相手も同じように、愛して、憎んだ、と、言ってもらえたなら。
ガラシャの求めた赦しとは、もういいよ、と言ってもらえるような、「許し」ではなく、
忠興に、俺も同じだと、言ってほしかったんだ。俺もお前が憎いと。憎むほどに愛していると。だから、同じだから、それでいいのだ、と。

蛇で、いいんだ。
鬼の妻には蛇が似合うから。
そして、罪人だから。それを象徴する蛇でいい。
罪人であると、憎むという罪を犯しているのだ、それほどに愛したのだと、あの人の刀に知ってもらえて、自分にも証すことができたなら、それでいいんだ。


1587年、ガラシャがキリスト教と出会った頃に歴史が分岐して9年経ち、慶長元(1596)年になっていた。ちなみに本能寺は1582年で、1584年までガラシャは幽閉されていた。
ガラシャが歴史改変に走ったきっかけは、本能寺のあと幽閉されて、そのあと多くの側室を見せつけられたことなんかじゃない。ましてキリシタンの救済のためだなんて、いやもちろんそれもゼロじゃないだろうけれど、それが主目的ではない。
いちばんは、自分の死を、愛する者が、手を下してもくれずに、ただ命じるだけだと、知ってしまったから。
自らの憎しみが赦されないと、忠興は憎んでさえくれないのだと。
……やっぱり時間遡行軍のせいじゃん。ガラシャに、史実の死を見せなければ、こんなことには。史実の死を見せて、そそのかしたってことですよね。
忠興による赦しという刃を受けることができず死んでいく、そのことが彼女には耐えられなかった。

謀反人の娘となることも、キリシタンが弾圧されることも、確かに悲しくてつらかっただろうけど、でも、強いガラシャは、それらのことには耐えられた。それらは、改変を決意する決め手にはなりえず、彼女は現実を強く受け入れて生きていた。
それほど強い彼女が、唯一耐えられずに、改変したいと思ってしまったのが、その自らの死にざまなんでしょう…。

生きて確かめたかった、なんて、嘘ですよね。武家の娘であり、そしてキリシタンである彼女が。あんなに強い彼女が、死を恐れていたわけがない。
武家として、いつ死ぬことだって覚悟できていただろうし、そもそもキリシタンの教えは、死後にインヘルノではなくハライソに行くために、そのために神を信じよと、そういう教えなのだから。死を怖がらないための、宗教なのだから。
死ぬことが嫌だったんじゃない。その「死に方」が、嫌だったんですよね。
だって、死は、神の国に向かう大切な儀式でもある。それを、せめて、赦しで、愛で、執り行ってほしかったんですよね。


そして、きっとそれは、ガラシャの元に集ったキリシタン大名たちも同じだったでしょう。
彼らが口にしていた「マルチリ」とは、マルチリヨとも言い、殉教のこと。Twitterで解説してくださってた方がいました。


キリシタン大名たちもまた、生きたいとか、キリシタンを守りたいとか、言ってたけど、それ、本心じゃないんですよね。いや、そういうのもゼロではないだろうけど、彼らの本懐は、殉教すること。死後のパライソに行くために。
自らの死にざまを知ってしまったから、そうではない死に方を求めた。
長義と亀甲に、戦うつもりはない、見逃してくれんか、って言っていたのは、死ぬつもりだから。
最後の大友宗麟のセリフが本心でしょう、「せめて正史の人々が、満ち足りて、生きて、死んでいけるよう」って。

そう、だから亀甲に、彼らの目的と行動はちぐはぐ、と言われる。
刀ステの時間軸考察的にも、歴史改変の真の目的ってなんなんだ?とかいろいろと含みがあるのですが、そりゃあちぐはぐにもなるでしょう。はじめから、この世界を存続させることが目的ではないのだから。
この歴史改変を先に進める、秀吉を討ち果たすとも言ってはいましたが、でもそれにしては、それこそ維伝の朧の志士たちのように、侵略に打って出るような意図が見えなかった。
彼らはただ、ガラシャを取り返したかった。なんなら地蔵がガラシャを奪わなければ、この人たち、刀剣男士と戦うこともなかったのでは?ってくらいに、志士たちのように「おのれ刀剣男士」とか言わず、ガラシャのことばっかり言っていた。
だって彼らは、死に場所を、神の国への理想の門を探していただけなのだから。
自分たちが死ぬまでの間だけ、ガラシャが、この世界が必要だった。そのあとはこの世界が完全になくなってしまおうと、構わなかったのかもしれない。
ガラシャ自身も言っていた、この神の国を「見届けねば」と。守らねばとか、存続させねばとかではない。つまりガラシャも、大名たちの願いはわかっていたんだ。
だからきっと、長義が、もう死に場所を探さなくていいと言ってくれたことは、きっと彼らを救ったはず。

有馬晴信が言ってました、俺は切腹して武士として死んだのか、打ち首になりキリシタンとして死んだのか、諸説が俺の中に入り乱れている、と。
維伝で語られたように、放棄された世界にいる歴史人物は、維伝の言い方で言えば「朧」、今回の言い方では「鵺」、つまり刀剣男士のようなものとなってしまった。それすなわち、諸説や逸話が一人の人物の中に入り乱れている状態。刀剣男士でいえば、山姥を斬ったのかどうかとか、手打ちにしたのが6人か36人かとか、そういう、諸説入り混じった魂として「顕現」している。
自分の本当の死にざますらわからなくなった彼は、この改変世界でこそ、これが自分の死にざまだ、という、彼自身にとっての正史を、理想の形で刻みたかったのではないでしょうか。


そして衝撃的だったのが、改変世界での忠興。
この時間軸内では、ガラシャがキリシタンの国を作ったせいで、忠興は太閤の怒りを買い、お家取りつぶしに…。
「みんなが幸せになる世界なんてない」というのを、否が応でもぶっこんでくる末満さん、信頼しています。好きです。
(この言葉は、末満氏が手掛けるTRUMPシリーズの小説集で本の標題紙裏に書かれているセリフです。TRUMP履修してると、ほんとそれな…ってなります)

細川家は史実では、忠興の息子の代から肥後熊本藩主として、あの元総理大臣の細川護熙氏、さらにそのお子さんまで、現代にも脈々と続くお家なわけですよ。
…ん?細川家が熊本に移封されたのは、1632年。関ケ原から32年も経ってからのこと。
…物語は慶長元年=1596年って言われてましたけど、まあそりゃ九州は、劇中でも熊本と言えば小西行長か(でも熊本城主ではない)って言われてたように、大名にも民衆にもキリシタンの多い土地であることは間違いないにしても、この時点でまだ、細川家は熊本に縁もゆかりもないのでは?
……ガラシャは、時間遡行軍に聞いたのでしょうか。この熊本の地が、熊本城が、息子(熊本初代藩主となった子は側室の子ではなくガラシャの子のようです)が治め、細川家の命脈をつないでいく地であるということを。だからここに、自らの国をつくったのでしょうか…。ああ、だから、改変の歪みとして表現されたのが、「江戸時代の熊本城」なんだ…。そこに細川家があるから…。


刀剣男士の話に行きましょうか。
地蔵行平…なんて愛らしく、そして、愛するがゆえに苦しむんだ…。
彼は細川忠興から、岳父明智光秀に贈られた刀。きっと地蔵はその心を強く受けた。
きっと忠興の心の本質、あの気性の激しさは、地蔵には受け継がれなかったのでしょう。それは歌仙が背負ったから。

父というのは、親というのは、わがままなものですよね。
たとえどんな姿になっていても、その身がもはや人間ではなくなっていても、子には、生きていてほしいと、願う。
愛憎果ててその手にかけることが赦しとなる夫婦の愛とはまた違って、その、わがままな願いもまた、愛の形の一つ、親の愛、なんですよね。

そして、これは調べた史実ではなく完全に妄想なのですが、
地蔵行平という刀は、一時、光秀から、光秀の息子=ガラシャの弟の手へとわたったことがあるのでは…?
Wikipedia先生も、本能寺の変以降の伝来は定かではないと言っておられますし…これくらいの妄想の余地はあっていいでしょう。
地蔵行平は、もしかしたら本当に「ガラシャの弟」だったことが、あるのかもしれません。
そして弟という立ち位置もまた、夫婦とも親子とも違って、ただ生きてほしいと、その幼さを理由…いや、言い訳にしてでも、願うものなのでしょう…。
さらに、父の「生きてほしい」に加えて、弟としての「一緒にいたい」という願いもまた、彼は背負っていたような気がします…。
遡行軍は全て斬る、ってセリフとか、姉にいいとこ見せたい弟、感がすごくて、愛おしくなってしまった…。

…だめだ、大河ドラマ「麒麟がくる」で、刀剣をガン見してしまいそうw
今のところまだ、忠興の父、藤孝しか出てきていませんが、えっそれは古今伝授の太刀…!?とか思ってしまう。
これでうっかり、本能寺前後に、光秀から息子に太刀が譲られるなんていうシーンがありでもしたら…いや、ないとは思うんですけど!可能性はゼロじゃない!

そして、地蔵菩薩の名を背負う、ということは、仏教における救済者。
仏教、特に日本に伝えられている大乗仏教?でしたっけ?は、確か異教徒に優しく、多くの人を救済しよう、という教えだったはず(うろ覚えの世界史の知識)。
だからでしょう、地蔵行平は、何度も祈っていた。加護あれかしと。異教徒の姉上にも救いがあらんことを、と…。
この片手で祈る所作がぴしーっと決まっていて美しいのもあいまって、その、哀しいこと…。


地蔵のメンタルがべこべこにやられる一方で、歌仙や古今は、かつての主君の愛憎を背負わされつつも、美しく立ち向かう姿が印象的でした…。
悩まない、わけじゃない。でも歌仙はもう、悩んだとしても立ち向かうことを知っている、その経験があるから。
義伝で、忠興に「自慢の刀」と言われたことで、彼は彼自身を肯定するようになった。彼自身の、主君と同じ、二面性を。風雅を愛しながら、36人も手討ちにするような、相反するものが同居する心を。地蔵が受け継がなかった、忠興の本質を。

篭手切が、歌仙とボロボロ忠興を会わせたくなかった、というのに対して「幻滅もなにもないさ、三斎さまはもとからそういうお方だ」と言う。茶人としての号で呼びながら、でも、ああいうことをする人だと、わかっている。
忠興の死に様も、風流ではない、と言いながら、でも、それでもそれが忠興らしさだと、歌仙は知っている。
さらに、地蔵を斬るのをためらう様子の古今に、「僕の知っている優しさとは違う」と。そういうことですよね。
忠興の、歌仙の、優しさは…愛は、斬らないことじゃない。

孝高は別時間軸の自分が云々、って言ってましたけど、あの忠興も、歌仙と会ったことを知っている忠興、ってことでいいんですよね。
歴史上の忠興は、慶長元年は豊臣政権に仕えています。たぶんその忠興が、義伝で歌仙と会った忠興。
で、このボロボロ忠興は、それとは異なる、改変世界内での忠興、なんですよね。たぶんあのまま生きてたら忠興も朧メイク。正史で死んだわけじゃない。

ガラシャは、忠興と同じ言葉を歌仙に言う。「あの人もさぞ自慢だったことでしょう」と。この二人は、やっぱり心が通じ合っていた。
その、自らがかつての主と向き合って乗り越えたときの言葉で、歌仙は、ガラシャを斬ること…かつての主の願いを果たすことを、決意できたのではないでしょうか。
なにより、ガラシャに「鬼」と呼ばれてしまったなら。忠興と同じ二つ名で呼ばれてしまったなら。それはもう、お前が鬼となり、忠興となって、私を斬れと、そういう、いわば、ご指名、ですよね。それに応えないわけには、いかなかったから。


歌仙が、自らの羽織で、ガラシャを斬った血を拭う。
それは、忠興がかつて、ガラシャに見惚れた庭師を斬ったときと同じ。
この回想で使われている刀は、おそらく、歌仙兼定。
ボロボロのときに持っていたのは、脇差くらいの刀だったのに(細川の脇差は誰かいるんでしょうか)。そりゃそうだ、あんなボロボロになったら、歌仙兼定は手放しているでしょう。
でも、回想ではちゃんと、打刀サイズのものを、持ってくるんですよね…。

その忠興の行為を、風流ではない、と歌仙は言った。
でも私たちは、風流とは違うもう一つの彼の姿を知っている。彼は戦いとなれば真っ先に上段に振りかぶって突っ込んでいき、敵にありったけの殺気をぶつける、そういう、苛烈なまでの激情を持っている。作戦だって、先手必勝とか、行って直接聞けばいいとか、そんなんばっかり。
それは紛れもなく、風雅を愛する心と一緒に、忠興から受け継いだ心で。

そして、自らも血を拭う、歌仙兼定。
あの場面の歌仙、黒いマントではなく、その下の上衣の、袖の、白い部分を、わざわざ袖を振って出して、そこに、血を……。
あれは、かつての主が、その留まることを知らない激情でもって、憎み、そして愛した証を、自らにもまた印したんだ。だって、それもまた忠興であり、自分であると、もう彼は知っている、受け入れているから。
歌仙は、忠興と同じ心で、同じ行為をしたんだ…。


他のメンバーの話も。
第三部隊の、獅子王、篭手切、青江、亀甲といったメンバーは、自分の世界がしっかり確立されていて(特に亀甲)、どこまでも真っすぐに、第三部隊隊長の歌仙を信じて任務に臨んでいたのがかっこよかったです…。亀甲はマジで推せます。ああいうタイプは、下手なことで病んだりしないんで、ほんとに、ある意味健全っていうか安心っていうか…w
そしてそこに長義が加わってることのすごさ。慈伝で来たばっかりの頃は、あんなにつんけんしてたのに、ちゃんと亀甲とも協力して潜入したり(連携が取れてたとはあえて言わないが結果オーライ)、助けに来た、とちゃんと言えたり…!なんか、あの、成長に感動しました…!酒は飲「ま」ない!
戦闘時のセリフからもわかるとおり、彼のあの高すぎるプライドは変わってないんですよね。プライドを失ったわけではなく、誇り高さはそのままで。
じゃあ何が変わったかと言うと、自分と同じようなプライドが、自分以外の刀剣男士にもあるのだ、と認められるようになったこと、じゃないでしょうか。
そう考えると確かに、亀甲、青江、篭手切、獅子王という人選はわかりますね…自分の世界、自分の夢、自分の誇りをしっかり持っている。長義がステ本丸の中でも、いち早く認めそうというか、一目置きそうな刀剣男士たちじゃないかと。

あ、いや、ここまで感想書いておいてなんですけど、この物語は、ステ本丸の物語ではないんでした。彼らが読んでいる、別本丸の任務の報告書の内容、でしたね。彼ら自身が、報告書の内容を演じてくれていたんですよね。
でもきっと、ステ本丸の歌仙も、この報告書の内容同様に美しく苛烈で、長義も成長していて、地蔵も…べこべこにやられていることでしょう…。


篭手切くんが、刀剣乱れ舞い上がれ、って歌うところ。れっすんを続けるから応援して、って。
うわあ、歌わせてあげたかったなあ…!って思いました。きっと、これが改変ではなく、本来の綺伝だったなら、彼もまた、傘を持って歌い踊っていたのだと思うんですよ…篭手切くんの願いでもあり、演じる大見くんの、いや全キャスト・スタッフの願いのようで、なんかこう、勝手にじーんと来てしまって。
応援してくれ、いつかすていじで観衆をわかせるその日まで!ってセリフはつまり、綺伝で満席の観客を、ってことですよね…!いつまでも応援するよ!!

それと、歌仙の最後のセリフ、2020年の調査を命じたのは主だろう、っていうのを思い返して、確かにこの2020年なんて時間遡行軍の格好の餌食だよなあ、と。なんならこの刀ステに、いや演劇に関わる全ての人が、あのガラシャ様とキリシタンたちのように改変を望んでもおかしくない。でも関係者の皆様は、前を向いてこの刀ステを届けてくれたんですよね…!
時間遡行軍、来るなら来てみろ!きっとこの刀ステの皆様は、お前たちの甘言なんかに乗らないぞ!なんて、現実と物語を混同した妄想をしてしまいました。

おっと危ない、あまりにも違和感がなかったんで、講談師…もとい、刀装の講男士、に言及するのを忘れるところでした。
刀装っていう言葉がわかるようになっててよかったー!あと二刀開眼とかもわかった!嬉しい!思えば、映画を見たときには、審神者の読み方すら知らなかったのに…。
で、話を戻すと、もっとこう、その場で刀を振るような、朗読劇スタイルかと思ってましたよ。それがなんとまあ。いつものじゃん。
あれですよね、映像の遡行軍を斬るの、要はあれ、2.5では古式ゆかしき、テニミュ方式じゃん?と。ラケットを振れば画面上で球は飛ぶんですよ。
なんかもう、もし、今の状況が元通りになって、講男士の言葉を借りず全てを上演できるようになったとしても、いてほしいくらい。時の政府、あるいはステ審神者かな、またこの刀装を命じてほしい!マスクは命じなくていいようになるといいけど。
個人的には、殺陣の手を続けざまに叫んでいるところが好きでした。真っ向上段突き抜き胴!みたいな。剣道やったことないですけど動きを見ればわかる。あれです、特撮ヒーローで、技名を叫びながら撃つような、そんなかっこよさ。いやまあ、要は、そのシーンの歌仙が好きなんですよ…。


そう、刀ステ一挙無料配信から始まったこの刀ステ沼ですが、ついに、ゲームを始めたんですよ。
初期刀はもちろん歌仙。鍛刀で亀甲と獅子王もお迎えできてて、小夜ちゃんと共に今は立派な主力です。あとは殺意高めな子たち、っていうか、自分を持ち上げてくれる子たちが好きですね…薬研とか長谷部とか…

で。ゲーム版を始めてから初めて見る刀ステで、理解と魅力とかっこよさと愛しさと、全部めちゃめちゃ高まりました。これがあのセリフでこう組み入れるかー!みたいな。
でも、孝高のセリフ…刀剣男士は勝つまで何度でも出陣してくるとか、放棄された世界はどうせ繰り返す、とか聞いちゃうと、俺たちのやってるゲームって、俺たちのさせてる戦いって、一体…ってなっちゃって…
要は俺たちがイベント周回するたびに、孝高は「繰り返させられている」ってことですよね…。
なんか…前に三日月でしたっけ、この戦いに意味はあるのか、みたいなこと言ってたの。
もっともこれは、ステ本丸の戦いに意味はあるのか、って意味だとしたら、我々がやってるゲームには意味がある。たぶん。俺たちの課金でDMMを食わせるんだ。

自分、この刀ステ見るまで、2.5ってちょっとな…って思ってたんですよ。原作と同じ人がちゃんと出て来てくれるよ!みたいな売り文句をよく聞きますけど、それ聞いちゃうと、原作ファンにはアプローチできるんでしょうけど、それってじゃあ、お芝居の意味…?ってなっちゃってて。
でも、刀ステ見て、ゲームもやって、わかりました。
確かに、ゲームと同じ人が出てくる。
でも、同じじゃない。
情報量が。圧が。魂が。
ゲームにそれらがないって言ってるわけじゃないけれど。でも。
ゲームと同じままで、何もかもが段違いになる。
キャラクターそのまんまが出てくるよ!っていうのも、確かにその通りだと思うんです。あれは紛れもなく、ゲームの歌仙兼定だ。
でも、同じだけど同じじゃない。わだっくまさんの身体を得て、何億倍にも躍動する、歌仙兼定だ。

歌仙のあのセリフはゲームのあれだ、って、わかるものもありました。
でも、言葉は同じだけど、同じじゃない。
あの重厚な物語の文脈で、それこそゲームで毎回聞くのには不釣り合いなくらいの殺気を増しましに込めて、叫ぶ。
あの全身からほとばしる、殺気を、意志を、魂を、感じる。
怒り、泣き、かつての主を哀れみ、その思い出を慈しみながらもがいて、憎しみと愛を乗せて。
同じだけど同じじゃない、んですよね。そして、同じじゃないけど同じなんです。そうとしか言えない…。

歌仙の真剣必殺のイラストで、身体をねじりながら斬り込むようなのあるじゃないですか。牡丹の花びらが舞ってるやつ。
あの動きが見えた気がしました。もちろん物理的にはあれと同じじゃないんですけど、でも、同じ動きだった。羽織の裏が見えて、鋭い一瞬の動きのはずなのに、ふわりと止まったようにも見えて。

歌仙は、あの和装を踏まえた歩き方が好きなんですよね。常に重心低めで、戦うとき特にわかりやすいんだけど、すり足気味の走りで打ち掛かっていく。カテコの歩き方もずっとそう。で、スンって刀の柄に手を置いて胸を張る仕草が好き。
重心が低いからこそ、斬り込むとき、大上段から振り下ろす迫力がすごいんです。腰を落としたままぐっと土台を安定させて、その上で上体を大きく振りかぶって斬り下ろす。たまに見せる、片足を浮かせて一回上に伸びあがって、元通りよりもさらに下まで重心をぐっと落として斬るのが特に好き。今回は立ち止まったままが多いから特に、その重心のブレなさと上下動のダイナミックさが見れました。
でもそんな歌仙も、終盤、ガラシャと戦うときは、上体が伸びきったままで必死に刀を振る数手があって。あれは本当に必死だったのだなあ、と。

あとカテコみんな立ち絵まんまって感じで、泣いても微動だにせず、すごかったです。特に古今。あの重心のかけ方は絶対疲れると思うんですが、すごい。

っていうかみんなの布捌きがすごかったです。今回、篭手切以外みんな何かしらマントとか羽織とか布とか鵺とか!ついてるのに、捌き方が完璧すぎて…今回は遡行軍とぶつからない殺陣とはいえ、簡単なことではないはず。もしかしたら、殺陣師の栗田さんを通じて、まんばちゃんメソッドが継承されてるのかな、なんて。
あとあの鵺は、素材は何なんだろうな…?軽いといいな…伊崎くんの肩が死んじゃう…。
本丸にいるときにはどっかにつないでる?のに出陣のときに連れて行くのは、獅子王の誇りだからなのかな。


余談のTRUMPネタ。
末満マジ末満!!!さん!!!!!
なんですか、花は散り際を見失っては醜いだけ、とか。散りゆくことはわかっていても、なお花は美しい、その花に咲くなとは言えない、って、めちゃくちゃLILIUM。花をめでる庭師、の場面も血で染めるし。
で、忠興がガラシャを斬ろうとするのを右近が止めるあの構図、イニシアチブを取られたフリーダがダリを殺そうとするのをゲルハルトが止めるやつじゃないですか。これ立ち位置も含めてほんとフラッシュバックしましたよ…。
あと、大村純忠が洗礼名でドンバルトロメオ、って呼ばれてるの聞いて、勇歩くん(亀甲)もいるし、あ、SPECTER…ってなってしまいました。ここまで来ると末期。
っていうか全てを背負う覚悟をしたガラシャ様がもう、元トップスターが持つ風格っていうのもあるんだけど、アナベルを彷彿させて…!
さらに、忠興を憎んだのは罪、っていうガラシャの言葉が、エリカの「憎んだのは罪で、憎まれたのは罰」っていうマリーゴールドのナンバーそのままで…!この科白劇では、憎まれることは罰でもあるけれど、同時に赦しでもあったんですね…。
で、いちばんどうでもいいですけど、講男士が、そこに出でたるは、いーすー!って言ったとき、椅子人来たらどうしようかと思ったw


最後に、次回作の予告映像で気になるところを。
荒牧くんが演じるまんばちゃんが戦うイメージカット、その最後に、まんばちゃんが、ふと攻撃の手を止めるところがあるように見えたのですが…
まるで、斬らんとする相手の顔を見て、お前は…!と、何かに気づいたかのように…。
……考えすぎですかね。
…………まさかこれが、あの遡行軍まんばちゃんじゃないですよね。
いや、だってまんばちゃんは、ここにいる。
でも、もし、黒くなったまんばちゃんが、遡行軍のようになっているのだとしたら。時を越えて来ていても、おかしくは、ない。
……うわあああチケットをください!!!
あと気兼ねなく東京行けるようになってるといいな!!!!
ステアラって行ったことないのでぜひ行ってみたいです!!!

ここまでお読みいただきありがとうございました!
時間軸考察はまた後ほどやりたいと思います!ばみちゃん!鶴!!!

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