キラメイジャー8話まで:手を取り合う5つのキラメンタル


またしてもいつものギリギリ投稿になってしまった。
先週のキラメイジャー、まだ8話とは思えないほど、本当に、見てるだけで泣けてきて、心に沁みてくるというか、なんでこんなにすごい話なの!!すごい…って思ってたので、
9話放送前に、断片的に書き留めてたメモをまとめたいと思います。
当noteにしてはかなり短い方の記事ですが、たまにはこんなのもあっていいですよね。


7話から続いた特訓とすれ違いから話を始めていきましょう。
きつすぎる特訓について、ファイヤが充瑠の代わりに怒ってくれるけど、充瑠自身は最後まで怒らないんですよね。それだけでなく、もう嫌だとか、やめたいとか、ネガティブな言葉を一切吐かない。
充瑠がすねちゃったりへそ曲げちゃったりしてもぜんぜんおかしくないのに、一切そういうのはなくて。
そして、文句を言うときに出る言葉が、「文化系の体力のなさ舐めないでよね」って…すごくないですか?誰も傷つかないし誰も嫌な気持ちにならない。
ただ、あなたたちと同じ条件ではできないんですよ、という、その事実だけを主張する。

このすれ違いの描き方が、本当に優しくて、そう、優しい世界の話なんですよねこれは。
いったんは仲たがいするけど雨降って地固まる、みたいな話は戦隊でもよくあるけど、今回は、そもそも仲たがいにすらなっていないんです。
これだけメンバーがすれ違う話なのに、トゲトゲした感情、ネガティブなものが一切出てこなくて。
純粋に互いを思う気持ちと、そのすれ違いに気づいた謝罪と、再び手を取り合う信頼との、純度100%の善のエネルギーだけでできてるんです。

もちろん怒るべきときというのはあると思いますが、でもむやみにトゲトゲするのも考えもので。
今回の話では、ただシンプルに、余計なトゲトゲしさを入れずに、人が一度すれ違って、また手を取り合う、ただそれだけの話を、こんなに丁寧に描いてくれることが尊すぎる。

争いの演出にせず、ただ、4人と充瑠の考え方、体力とか能力っていう個人の土台が違うんだよ、ってことを、ありのままに描いてくれてるんですね。
その、むやみに争いにせずに、ただありのままの違いを、そのまま素直に描いてくれることが、本当に尊くて…。

現代日本ではやっぱり、同じであることこそがいいこと、みたいな価値観もまだどこかにありますけど、それってなんか違いますよね。
違うものは違う、違いにいいも悪いもない。今回の話では、ただそのことをまっすぐに描いてくれていて。
違うものは違うままでいいんです。どちらかがどちらかに押し付けたり、合わせたりする必要なんてない。
ましてキラメイジャーのメンバーは、人それぞれの輝き方でキラキラしているわけですから、そのままの姿でいることがいちばんなんです。
だから実は、この7・8話の前後で、変わったことってエクスプレスの登場以外、何もないんですよ。でもそれでいいんです。無理に自分を変えてまで合わせる必要はない。だって、違うままでも、手を取り合えるから。

だから、タメくんが「何言ってるか全然わかんねえけど」って言いながら手を取ってくれるところ、本当に感動しました。
そう、わからないんですよ。だって充瑠の精神と通じあってるのはオラディン王なんだから。王様と充瑠だけの世界のことは他の誰にもわからない。
でもね、それでいいんですよ。わからなくても、手を取り合える。

他者を理解しましょう!みたいな多様性の推進の仕方がほんとに苦手なんですよね。だって、どんな人間にも、理解できないものってあるじゃないですか。すべてを理解できると思うのは、それは多様性の精神なんかじゃなく、単なる傲慢ではないかとも思うんです。
そうじゃなくて、理解はできなくても、尊重しあうことはできるんですよ。

その互いを尊重する姿勢があるから、最後の絵の特訓の充瑠くんの言葉も、全然とげとげしくなくて、みんなの個性爆発してんな(笑)って思えるし。
絵を評価しているだけであって、個人攻撃でないのもいいですよね。本当に言葉に敏感に作られているんだと思います。

だって、ガルザとさえも、一切わかりあってないけど、なんとなれば強引にでも共闘できちゃうんですよ。全く志を異にするキラメイジャーとガルザだけど、だって連結できるし?今だけ力貸してね、っていう軽いノリで一緒に戦えちゃう。
これくらいのノリでいいと思うんです。わからないものはどう逆立ちしたってわからない。ただ、わかりあわないままでも、一時的に力を合わせることはできるよね、って思えて。
むしろ、無理にわかりあおうとせずに、相手のそのままを受け止めることが、尊重する、ってことなんだな、って。
自分の中にかみ砕いて「受け入れる」じゃなくて、ただぶつかってくるものを「受け止める」。
そういう、ものすごく大事なメッセージを伝えてくれてる気がします…って、またお得意の深読みなんですけれど。

そして充瑠くん、また戦ってもらう、とは言うけど、奪ってやる!とかの負のエネルギーの言葉は一切言わないんですよね…。それを言うのはガルザだけ。本当に、言葉の端々に至るまで、徹底して綿密に作られてるのだと思います。

だから、まだ8話ですけど、ガルザの何が王たりえず、何が悪の道に走らせたのか、すごくよくわかる気がします。
だって充瑠だけに巨神が見えたってときに、キラメイジャー+マブシーナちゃん+博多南のうち誰一人、なんで充瑠にだけ、とか一切思わないんですよ。だれも僻んだり羨んだりしない。
ガルザだけが、おのれキラメイレッド、ってなってしまうんですよね。そこで悔しがるところ、そういうとこだよガルザ、ってのがすごくよくわかる気がして。

キラメイジャーはそれぞれの道できらめいてるから、他人を僻んだりとかしないし、する必要がない。
それは別に、4人のように各界のトップでなくたって、自分にはこれ、これが好き、っていうものが持ててさえいればいいんだと思います。
でもガルザは、兄にばかり執着している。兄より自分の方が強いはず、王に向いていたはず、に凝り固まっちゃってる。
兄の面影を追いかけるばかりで、自分自身が好きなこと、わくわくすること=きらめくことができるものを見つけられないまま、ここまで来たんだろうな、っていうふうに見えました。


そして話は変わりますが、本編登場前に亡くなっているオラディン王が、ここまで重要な役割を果たすとは、誰が思ったでしょうか?(声が杉田さんだからあれで終わらないだろう、っていうのは抜きにして)
この、亡くなったキャラクターでも物語に影響を与え続ける、っていうの、すごく好きなんです。

個人的な好みの話になりますけど、死を過剰な別れとして演出するの、好きじゃないんですよ。だってその人は死んでも、その人が遺したものまで一緒に全部消えるわけじゃないじゃないですか。だから、いや別にそこまで決定的な別れじゃないのでは…って思って。
本当の別れというのは、その人が遺した思いや言葉まで切り捨てて、自分の心の中からその人の存在を消すことであって、なんならそれは生者に対してだって起こりうることなんじゃないかと。別れと生死は関係ないと思うんです。

だからそれでいくと、マブシーナちゃんの中ではオラディン王は確かに生きているけど、ガルザの中では、生前からオラディンは死んでいるも同然…いや、違うか。ガルザは兄コンプレックスに囚われ続けてるわけだから、ネガティブな意味ではあるけど、ガルザの中でもまた、オラディンは生き続けているのかもしれませんね。

つまり、オラディンがこれからも重要なところで出てきてくれるの、いいな、好きだな、って話でした。死してもなお、充瑠くんに想いは託され、伝わっていくんですよねえ…。

あとはマブシーナちゃんも印象的でした。第4話では、亡くなったお父様に会える、と言われて騙されかけて傷つきましたが、今回は、充瑠がお父様の夢を見たことを、素直に喜んでいましたよね。
きっとみんなのサポートがあって立ち直って、今は、お父様とのつながりを感じられることを、素直に喜べるようになったのだと思います。


はあ…。書いてるだけで、キラメイジャー尊い…っていう気持ちに満たされて、なんか幸せな気分になってきますね。これが物語の力なんでしょうか。
さて、というわけでちょうどいい時間になりましたので、今から第9話リアルタイム視聴、楽しみたいと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

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