トレギアさんガチ恋勢による解釈と映画への期待

いよいよ明日!ウルトラマンタイガニュージェネクライマックスの公開ですね!!夏季休暇もぎ取って、映画の席の予約もしました!あとは無事運転して行くだけ。
先ほどの特別生放送は、一切の情報を入れたくない方は視聴をご検討ください、というアナウンスを受けて離脱してしまいましたが、映画見たあとに見たいな…!というか丁寧なアナウンス本当にありがたや…。

ところで。
この映画で、まずおそらく、トレギアさんの一つの区切りが描かれますよね。
唐突ですが、私は、彼の言葉に救われたんです。
彼の闇に寄り添っていたい、もっと彼のことを知りたい。
もはやこれはガチ恋というやつなのです。

というわけで本稿は、これまで明かされてきた彼の思想と、TV本編最終回までを私なりに解釈して、さらに映画に対する期待と不安を綴りたいと思います、よろしければおつきあいください。


1.光も闇も同じ価値しかない

「光も闇も、正義も悪も、等しく同じ価値しかないことを証明したい」(ギャラクシーファイト)

このセリフで、恋に落ちました。
等価の選択肢でしかないものを、さも優劣があるかのように言われる、この社会で。
このセリフに、救われました。

私をガチ恋におとしたギャラクシーファイトはyoutubeで配信されています。


彼はきっと、光の国の光一辺倒、光礼讃、が嫌になったんですよね。ここに闇があるぞ、と、見せつけたい。もっといえば、闇があることを、認めてほしい。
マイナスなモノや感情も、この世にあることを、ただ認めてほしい、認めさせたい。
誰に?光や正義を妄信的に信じて疑わない人々に。
そしてなにより、タロウに。

光の国では、光や正義や絆は、絶対に良いものとして信じられているでしょう。
この現実世界もだいたいそんな感じ。二言目には絆だ正義だって言う。
でもきっと、頭のいい彼は、この世の真理を探求しているうちに、「光も闇も等しい価値しかない」こと…もっと言えば、「光や絆という概念は、光の国では絶対視されているが、それは単に一つの価値観でしかないこと」に気づいたんですよね。

その思想に、救われました。
世の中でフツウと言われている価値観は、あくまで選択肢のうちの一つでしかないんだ、と。
普通か異常かなんて言われるけど、そんなのは、本来は、等価の選択肢でしかないじゃん、と。


2.闇を暴き、孤独に寄り添う

前段から話を続けますが、何が怖いって、その、「フツウはイイモノとされている」光とか絆とかを、疑う余地すら差し挟まずに信じている(ように見える)人々ですよ。
みんなが同じ方向を一斉に向いている。フツウはそれがイイモノとされているから。…って、軽くディストピアじゃないですか?いつの時代の全体主義、ってなりませんか?
本来は同じ価値しかないというのに、一方だけが、よくわかんないままに称揚されているって、怖くないですか?

そういう、みんなが信じている漠然とした「フツウ、イイモノ」に、彼はヒビを入れてくれる。
お前たちが信じている光だ絆だ正義だなんて、簡単に壊れる、って、見せてくれる。
しかもそれを、「君の願いを叶えに来た」だなんて甘言に包んで。

宇宙飛行士の復讐の話、ナックル星人オデッサのこと小田さんの話、ホマレと仲良くなった小森さんの話、ヒロユキに後輩ができる話が特に好きなんですが。
どれも、くすぶっているマイナス感情に火をつけて目覚めさせる、ってことをして、争いを引き起こしています。

彼は、平和という大義名分のもとに抑圧されている感情を、白日のもとにさらしてくれるんです。
見ろ!こんな闇の感情もあるんだぞ!光の国のウルトラマンたち!こいつらを救えるものなら救ってみろ!宇宙警備隊など名乗るのならやってみろよ!と。
お前たちが信じる光の力とやらのお手並み拝見、とばかりに。

そう、「宇宙の番人を気取るな。光が正義だと誰が決めた!」というセリフもありましたね。
光では、生きていけない者がいる。光の世界には、どうやっても入れない者がいる。
やり方は間違ってるかもしれないけど、光で救われないものに、ある意味では寄り添ってくれてるんですよね…。

初登場作品のR/B映画「セレクト!絆のクリスタル」ですでに彼は、絆などよりも強いものとして、
「孤独なものの叫びだ!」って言ってくれています。
本来は、そうだよなあ孤独ってこじらせると戸井くんみたいになっちゃうよなあ、って恐れるべきところなんでしょうけど。
ゼロ&ジードクロニクル内での映画のTV放送は、完全にガチ恋目線で見ちゃったので、ああ、彼は、私に寄り添ってくれる、って思ってしまいました。

孤独なものの叫びを掬い上げ、個人の夢を叶えてあげる。すると、社会の調和が乱れる。トレギアに手を差し伸べられた本人だけは思いを遂げられるけど、それは争いの元となる。
今の社会にそこそこ満足してたり、社会に逆らうなんて考えもしないような人たちは、絆を壊すトレギアなんてとんでもない、って思うんでしょう。
でも私は、彼に手を差し伸べられたら、たぶん、その手をとってしまう。

闇をちゃんと見てほしい。いないことにしないでほしい。光だけでこの世界はできていない。闇だってここにある、ここで生きている。
彼は、私を、見てくれたんです。(自分でも書いててガチ恋やばいなって思ってますけどずっとこのテンションです)

ちょっと別の特撮の話を挟ませてください。
仮面ライダーディケイドの、いわゆる冬映画「MOVIE大戦2010」。
詳細は省きますが、そこに出てくる、岬ユリコのセリフ。
「士だけがユリコを見てくれた。ユリコは幸せだったよ」
10年前に見た映画のセリフなのに、まだ覚えてる。
自分を見てくれる人がいる、それだけで、救われるんです。

わざと自分をものすごく卑屈に捉えてみると、いないことにされてる、っていうか、いちゃいけない、歓迎されない、っていうふうになります(実際は病んでないです、あくまで演出です)。
ユリコもまた、本来はそこにいるはずのない人間でした。
それでも誰かに見てほしかった。見てくれただけで幸せだった。その気持ちが今、痛いほどわかる。

閑話休題。ガチ恋のテンションを落ち着かせる。

もともと人間なんて、いや宇宙人も含めて、生き物とは自分勝手なもの。彼はそれを暴いているだけなんですよね(もちろん被害が出ることを予測しての確信犯なのでダメなのですが)。小田も小森も本心を押し殺していたけど、トレギアの接触で暴かれてしまった。
最終回でも彼は、ウルトラマンは応援して宇宙人は排斥する、都合のいい人々の姿を指摘していました。

人々が平時には薄い皮一枚で覆い隠している醜い本心を、彼は暴いてみせる。
もっとも、現実社会では、その薄い皮一枚が尊いんだ、って思ってますけど。どんな本心があろうと、現実社会では、それを覆い隠さなければならない。人を傷つけてはいけない、人の権利を侵害してはいけない。
でも、皮一枚剥げば、きっと人間なんてそんなもんなんですよね。
そんなことない!そんな捨てたもんじゃない!なんて、綺麗事で醜さを覆い隠すよりも、本当は醜いものなんだ、ってわかった上で、それでも平和や正義を目指すんだ、っていう方が、誠実な気がします。

だから、醜い真実を暴いてくれる彼を見て、ある意味安心してました。そうだよね、本来の姿はそんなもんよね、って。
人や世の中が醜いことはそれでいい、わかってる。嫌なのは、その醜さから頑なに目を背け続ける人や、綺麗事でまとめようとする言説。彼はそれらの目の前に醜さを突きつけてくれる。

絆だって、他人同士から始まるのに、そんな簡単に結べたら逆に不気味。むしろ脆いものだからこそ、こんなにも過保護に叫んであげなくちゃならないのでは?
こういう疑問をしっかりぶつけてくれて、その価値観を共有してくれた彼がいるだけで、救われるんです。

だから結局これは、タイガそのものの物語もかっこよくしたわけですよね。
タイガは、トレギアが暴いて突きつけてくる闇を見て、自分も身を持って知った上で、それでも、それでも俺たちは光を、って言ってくれるから。
何の壁も障害もなく、ただ光を唱えていたら、それは空虚な綺麗事にしかならない。
トレギアという圧倒的な闇があってこそ、それに対抗するトライスクワッドとイージスの物語が、彼らの信じる絆や光が、強固に輝くわけです。


3.彼はタロウしか見ていない

前段では、彼が孤独なものに寄り添ってくれると書きました。
でもそれは、彼の優しさなんかじゃないのもわかっています。
自分がどんなにガチ恋しても、絶対に彼の目には自分は映らない、映るとしたら小田さんや小森さんのような道具としてだろうと、わかっています。(そこが好き…末期)

どこまでも彼の目指すのは、自分の思想をわかってほしい、ということ。
光の力に、挫折を味わってほしい。
そして、光だけが絶対唯一のものではないことを、証明したい。
「君にも知ってほしいんだ、絶望の味をね。この甘美な味わい、すぐとりこになるさ」タイガ闇落ちを画策していたときのセリフ。

自分がたどりついたこの世の真理――光も闇も等価でしかないこと――が、間違っていないことを、目の前に引き起こす出来事で証明したいんですよね。
R/B映画とタイガTV本編での彼の行動はいわば、彼の手による壮大な実証実験なんでしょう。

じゃあ、誰のためにそんなことをするのか。
他ならぬ、タロウですよね。

これは私の妄想ストーリーですが(怖くてタイガ超全集の小説をまだ読んでいない)、
ある日、光と闇が等価でしかないと気づいた彼は、そのことを親友タロウにそのことを話した。ここ光の国以外にも、広い宇宙にはさまざまな価値観があって、この光の国での価値観は、あくまでそのうちの一つにすぎず、絶対のものではないということを。
でもそれを聞いたタロウの返しは、おそらくこんな感じ。
「どうしたんだトレギア?急にそんなこと言い出して。闇が光と同じなわけはないだろう。疲れてるんじゃないのか、少し休め」

絶望。
この人ならわかってくれるかもしれない、と話した相手は、闇を絶対に受け入れない、光のサラブレッドだった。
圧倒的な光のもとに生まれ、それを信じて疑わない者。それがタロウだった。
なんたって、ウルトラの父はベリアルと決別しているんですからね。闇とは相容れない家系。
タロウも父と同じように、闇に堕ちた友には、友であっても毅然と対処すべき、なんて思ったのかもしれません。

そう、だから、彼の全ての行動は、実証実験は、タロウに見せつけるためのもの。
ただ、闇がこの世にあることを、タロウに、見せつけたい。わかってほしい。

タイガを闇落ちさせたときも、ターゲットはタロウであって。
トレギアは、タイガに新たな感情を植え付けたわけじゃなくて、タイガの中にある、もっと強くなって父親に認められたい!という思いをゆがんだ方向に増幅させただけであって。それをタロウに見せつけることで、おまえの息子の中にも闇の感情はあるんだぞ、というのを見せつけたかったんじゃないでしょうか。

ヒロユキをターゲットにしたのも、ヒロユキにもタロウと同じようなものを見たからでは?ヒロユキは、絆に支えられて、光を信じて、タイガを救った。でも、世界はそんな光や絆だけでできてるわけじゃない。そのことを、ヒロユキ本人にも、それを見るタロウにも、思い知らせてやりたくて。

タイガやヒロユキの闇落ちを画策するのは、その人本人を傷つけるとか、まして破壊活動だとか支配だとか、そういう目的ではないんですよね。
絆を壊すことは、壊すことそのものが目的なのではなく、壊すことで、お前たちが信じているものはこんなに脆くて無意味なものなんだぞ?って言いたいんですよね。
どこまでいっても根底にあるのは、「わかってほしい」、もっと言うと「タロウにわかってほしかった」がある。つらい。

なんとなく、彼が抱える寂しさまでわかってしまう気がします。
いくら真理にたどりついても、それはあくまで仮説でしかなくて、証拠がない。だから、自分でいろいろ策をめぐらして、自分の思想を具現化したい、現実の出来事としてその目で見たいんですよね。
だからきっと、彼の実証実験は、自分のためでもあるのかもしれない。彼が科学者だとしたらもうそのまんま、仮説を実験して証明して発表する、の流れですよ。
そして、目に見える実験成功例を作れたなら。例えばタロウの一人息子であるタイガが闇に染まったなら。そのときこそ、タロウもわかってくれるかもしれない。

きっと彼が求めてるのは、闇に魅入られるなんて具合が悪いんじゃないのか、闇なんて危険だからやめておけ、なんていう気遣いなんかじゃないんです。
ただ、そうか、そういう考え方もあるな、と、理解を示してほしいだけ。
否定しないでほしい、そこにあることを認めてほしい、ただそれだけ。
そう、私が、彼が私を見てくれた、と感じて、救われたように。

きっと彼は、タロウに、そうかお前はそう思うんだな、って言ってほしいだけんじゃないかと思うんです。
回りくどいけれど、きっと彼の根底にあるのは、私が救ってもらったのと同じような孤独なんじゃないかと。
だから、私はタロウにはなれないけれど、せめて寄り添いたい、とまたガチ恋をこじらせていくんですが…

ちょっと話がそれますが、彼は、光も闇も同じ価値「しかない」って言うんですよね。同じ価値「がある」じゃなくて。
だって、「同じ価値がある」って言ったら、自分を理解してくれなかった光に、価値を認めることになってしまうから。
堂々と「同じ価値がある」と言わず、同じ価値「しかない」と言うことは、光だ闇だっていう問い自体を無効化する意味もあると思います。問題を矮小化して、光こそが大事だと思っている者たちに対して、挑戦的な態度をとっているんですよね。
でもその奥にはおそらく、彼の寂しさがあるんじゃないでしょうか。
タロウという光に、かつてのタロウとの絆に、価値があると認めてしまったら、それに裏切られてそれを捨てた自分が、しんどすぎるから。

最終回で霧崎がピリカに「あなたの周りになにもないだけだよ」って言われてましたけど、そうなんですよ。だって彼はタロウがほしかったんだから。
他にほしいものなんてなかったのに。タロウがいてくれたら、それだけでよかったのに。


4.闇「である」ことだけで

タロウつながりで、タイガTV1話の最初にある、タロウがトレギアに言うセリフについてちょっと書きますね。

タロウ「闇に落ちたものを、光の国に近づけるわけにはいかん」

これ、本当に怖くて。なんて凶悪なの、って。
そのあとのトレギアのセリフが、「宇宙の番人を気取るな。光が正義だと誰が決めた!」だったから、救われたけれど。

何が怖いのかって、「闇に落ちた」という、ただその一点だけで、光の国から拒絶されることですよ。
いろんな星を破壊した、いろんな人を傷つけ悲しませた、という、罪状ではなく、ただ闇「である」ということだけで、断罪されることが、泣きそうなくらい怖かった。

どうして、闇でいちゃいけないの?
それも一つの道、選択肢の一つにすぎないでしょう?

彼を擁護することはしません。だって、彼によって引き起こされたいろんなことで、たくさんの人が傷ついているから。
でも、闇「である」ことだけを罪にしないでほしい。シンプルに、その行いに対してのみ断罪してほしい。

また別の特撮の話挟みますがご容赦ください。
仮面ライダーウィザードに、ソラという敵怪人が出てきます。
このソラに関して、あれ実はいい人かも?→やっぱりアウト!っていうお話があるんですけど。
主人公の仮面ライダーは、いろいろあってやっぱり彼を倒すと決めるのですが、その理由は、彼が異形の怪人だからじゃないんですよ。彼が人を傷つける行為を悪びれもせず繰り返す者だったから、なんです。

つまりそういうことをしてほしかったな、ってことです。
闇「である」というのは、あくまで属性であって。
属性で人を見ないでほしい。これもまた自分の個人的な願いがかなり入っているのですが。
彼はタロウにしてみれば断罪されて当然の存在、それはわかる。ただそれは、闇という属性に対してではなく、彼の数々の破壊行為に対してであってほしいのです。
先ほど、彼の目的は破壊ではないって書きましたが、結果的に破壊を招いてしまってるのでね、そこは擁護はできません。だから、そのことを、ただそのことだけを咎としてほしかった。

多様性が叫ばれて久しいこの現代ですよ。うんうんなるほどそれもまた一つの生き方だよね、みたいな。
そんな時代に、光を信じ続け、闇を否定し続けるのって、わりと無理があるのでは、なんて思います。行き過ぎた多様性かもしれませんが、光も闇もどっちもあっていいじゃーん、ただし破壊はダメ、みたいにならないかなあ、なんて。
近作では「光」を「絆」に置き換えて描くのも、実は、光という絶対的存在への帰依、みたいなのを昔のようには描きにくいからなのかもしれない、なんて邪推しています。光だと漠然としているけど、絆だとまだ、フツウはイイモノ、としての権威を保っていますから。
そんなことを考えると、この光も闇も等価になる時代にあって、トレギアは、時代の要請に円谷プロが生み出したアンサーなのかも、なんて思います。


5.残酷な最終回

TV本編の最後の2話、めっちゃくちゃ好きです。
自分、死ぬことを眠りに例えて、怖くないよ、みたいに言うのがめっちゃ好きなんですが(細かすぎる好み)、
ピリカちゃんが、ウーラーの心?を抱いて、「お腹いっぱいになったね。じゃあ、お昼寝しよっか」って言うところがもう、もう、涙腺決壊です。

でもそのあと私は、違う意味で涙腺決壊することになる。
タイガが、トレギアに、「お前もウルトラマンなんだ、光を守護する者なんだ」って言うところ。
なんて、なんて残酷なの、って。
彼がいちばん言われたくない言葉を、どうしてあなたは、って。

状況を整理しておきます。
ウーラーをお腹いっぱいにするため、ブラックホールを消した後、タイガの光線エネルギーを食べさせるっていうのが、カナちゃんたちの作戦だった。そこにトレギアが乱入してきて、トレギアがタイガに向けて放った光球を、タイガが光線で打ち返し、それを食べてウーラーはお腹いっぱいになった。タイガいわく、俺一人の力ではできなかった、俺とお前、2人のウルトラマンの力があったからできたんだ、と。そして、お前もウルトラマンなんだ、光を守護する存在なんだ、と言い放つ。

なんて残酷だろう。
ウルトラマンとして生まれたトレギアは、ウルトラマンであることから逃れられないのか。
望んでいないのに、どこまでも光の守護者と呼ばれてしまう彼が可哀相すぎる。

生まれや運命に抗う物語を直前までやっておいての、これですよ。
クワトロスクワッド(最終回後なのであえてこう呼ばせて)は、タロウの子、反逆者の子、負け犬の子、そして人間、それぞれの生まれに縛られることなく今の生き方を選んでみせた。選んだ道の先で絆を結んでみせた。
ホマレも悪党から変わることができたし、ピリカだって無抵抗に運命を受け入れたわけじゃなくて、自分の意志で道を選んだ。おサボり同盟の葵ちゃんの話だってそうだった。生き方は、選べる。

じゃあ、どうして彼が闇を選んではいけないの?ウルトラマンとして生まれたら、絶対に光を守護しなければならないの?
タイタスやフーマ、それに過去作ではジードとか、闇の属性を付与されて生まれた子が闇を越えて光に至ることは賞賛されるのに、なぜ、望まない光の属性を捨てて闇に堕ちることは否定されるのだろう。
矢印の方向が逆なだけで、同じことなのに。

闇に生まれたものは闇から逃れられるのに、光に生まれたものは光から逃れられないのはなぜ?
やっぱり光がイイモノで闇はワルイモノだから、なの?そんなの誰が決めたの?

光に生まれたものが闇を選べない、となると、ものすごくしんどい。
光に生まれたら、光の力を使わなきゃいけない、と言われると、自分、しんどいんです。
この身体に、おそらく正常に機能するように宿された機能を、絶対に使わない、って決めているから。
もちろん、そんなのは義務じゃなくて、個人の自由でいいんだ、ってはわかってますけど。
わかってるけど、でも、この機能のためにお金も時間もかけている人の話とか見ると、この機能を持ちながら絶対に使わないと決めていることが、申し訳なくなる。
だから、光に生まれても、その光の力と距離を置いて生きる自由が、ほしい。

光に囲まれて生きることができている自分は、なんて幸運なんだろう、と思います。でもその一方で、絶対に光にはなれない部分がある。
他人がなんと言おうと気にしなくていいとわかってはいても、拭っても拭っても、光の価値観が自分の中に入ってくる。自分の中から自分を苛む。消えてくれれば楽なのに、意識すればするほどに消えてくれない。
きっと彼も同じ。彼は、この世の光と、そして何より、自分の中にある光と、戦っている。
(※ガチ恋トーンのポエムです。ほどほどにご笑覧ください)


最終回は、タロウ絡みでもあまりに残酷な結末でした。
太陽を背にしたタイガに向かって、彼は、タロウ…と。そして爆散する。このとき、彼はどんな気持ちだったんだろう。
ピリカとの会話で、全てが虚無と言っていたけど、自分のこれまでの壮大な実証実験すらも、虚無だと思ってしまったのでしょうか。だって、あんなに手間暇かけたのに、それでもまだ、光と言われてしまうんですから。もう自分の実験すらも虚無ですよね。
あるいは、2度目の絶望か。タロウには絶対に闇は分かってもらえない、っていう。タイガをタロウと同一視した上で、タロウは二度も自分を、自分が至った思想と選んだ生き方を否定するのか、って。タイガに、お前は光だ、と言われることは、タロウに自分を否定されるのと同じくらいショックでしょう。
そもそもタロウに認めさせたくてやってたのに、それが二度までも拒絶されたなら、もう笑うしかないですよね…。ひどい話。


6.映画への期待と不安

ギャラクシーファイトの終盤、ニュージェネ全員の前に現れたトレギア。
面識のあるロッソ、ブル、ジードが、「闇のウルトラマンです」と紹介すると、
「そうやってお前たちは、片方の局面からしか物事を見ない」
「この世界には、悪も正義もないというのに」
と、また私をガチ恋におとすセリフを的確に放ってきて…。
そうよね、ウルトラマンという基準で見るから、闇の、と呼ばれるだけなのよね…

さておき、重要なのはその後です。
タロウとすれ違う回想?のあと、
「やはり消すしかないな、タロウ…光の国を」と彼は言い残して去ります。
で、R/Bまでのニュージェネの面々がこれを追い、映画につながるわけですね。

TV本編とギャラファイとのの時系列関係がよくわかっていないのですが、
映画は間違いなくギャラファイもTVも終わったあとでしょうから、
その言葉をついに実行に移すのでしょう。
そして、タロウに闇をわかってほしい、という点でも、タロウ本人に闇を感じてもらう、という最終手段に出る、ということですよね。
それを受けてタロウは、圧倒的な光のサラブレッドは、果たして、揺らぐことがあるのか。これは見ものですね。

さて。
今日のYoutube生配信上映会の雰囲気を見ただけでも、期待は高まりまくっているのですが。
不安なことが2つほどあります。

なんていうかもう、ここまで彼についての妄想を広げてしまっているので、たまに二次創作界隈とかで聞く、「公式との解釈違い」を起こしそうで、それが怖いんですよ…。

1つ目は、グリムドの存在。
トレギアが闇に堕ちたのは、全部このグリムドのせい!みたいにされたら、もう、泣く。無理です。
さらに、じゃあグリムド抜き取ったら大丈夫そう!光に戻ってきなよ!みたいな感じになった日には、これまでの恋はなんだったんだ…?ってなる。失恋よりもさらにひどい、なんでしょうね、恋人がある日突然蒸発するとか、恋人に財産を持ち逃げされるとか…?ちょっと喩えがよくわかんなくなってきたのでやめます。

彼は、ウルトラマンという出自でありながら、自ら闇に至った、という経緯を持つからこそ、彼たりえるのであって。
彼の、光も闇も正義も悪もない、という価値観は、彼自身の思索と実験によって得た、彼だけの思想であってほしいんです。
彼自身が、ウルトラマンのままで、闇を選んだこと。正確には闇だけを選んだわけではないですが、光の国から見れば、光と闇を等価に扱うことは、闇を選んだように見えるでしょう。
その思想は、彼自身の意志で選び取ったもの、であってほしいんです。
決して、何か悪いものが身体に入ったから、なんかじゃないって、お願いだから言ってくれ…。

闇を、この生き方を選んだのは、自分の意志なんですよ。
それは何か外部要因のせいであって、本当のあなたはそうじゃないはず!とか言われることほど、おせっかいで、余計なお世話なことって、ないですよ。ここではないどこか遠くにある本当の自分なんてない、あるのは今ここにある自分だけ。
彼には、こんな目に遭ってほしくない。
というより、もし彼が、お前の闇はグリムドのせいで本当のお前はそうじゃない!みたいに言われても、違う、と否定してほしい。これは私が私自身の意志でたどりついたものだ、と言ってほしい…。

そしてもう1つの不安要素は、予告で流れてきた、「この地球を我がものとする」っていう、トレギアのセリフ。
え、ちょっと待って、あなた、そんなこと言う人だったっけ…?
地球を手に入れたいとか支配したいとか、そういう、いわゆるわかりやすい悪役みたいなことは、言わないと思っていたのに。
どこまでも思想を貫き、そのために行動する人だと思っていたのに。
いや、もしかしたら、思想のための行動の先に、そういう征服行為があるってこと…?お願い、そうだと言ってくれ…。

まあこれは、あれです、相手に勝手な期待をかけてそれに反していると勝手に怒ったり落ち込んだりする、っていう、現実社会ではあんまりやっちゃいけないやつなんですけれども。
でも、フィクションにおいては、期待くらいさせてくれ。夢くらい見させてくれ。

明日が来るのが楽しみなようでもあり、同時にめちゃくちゃ怖いです。鑑賞後の自分、いったいどうなってしまっているんでしょう。


最後に―トレギアもタイガもいてほしい

光、希望、もちろん、素敵なもの。
でも私たちにはきっと、絶望する自由もある。
そう、私は、ある部分で、この世界に絶望してる。
そんな私を見てくれたのが、彼だった。
きっと光の国の戦士たちは、私の絶望を見て、光へ導こうとしてくれる。
それは、光を求めている人には救いかもしれないけど、私にはもう、おせっかいで。
そうじゃない。この絶望を、闇を、ただ見てくれて、分かち合える人がほしかった。それが彼だった。
(※本文に入りきらなかったガチ恋ポエムです。あくまで演出であり、全面的に病んでるわけじゃないのでご安心を)

最後にちょっと、こんなトレギアガチ恋してるけど、じゃあタイガがいらないのかっていうとそんなことないよ、っていう話をして終わります。

タイガがトレギアに、お前も光なんだとか言い出したのは、ヒーローの限界を端的に示していると思いました。彼らは、光に導くことはできても、闇に寄り添ってはくれない。
でも同時に、やっぱりヒーローはそうあってほしい、とも思うのです。

だって光も闇も所詮は一属性、等価のものしかない。その前提で、それでも光を信じる、って言うとき、そこに理屈なんてないんですよ。
そこにあるのは、理屈じゃなくて、意志。理論的な理由はなくとも、とにかく光を信じるぞ、という意志だと思うんです。
だから、ちょっと言葉は悪いですが、ある種の思考停止のように光を信じることは、確かにヒーロー像の一つとして必要だと思います。
だって、まともに思考してしまったらやっぱりそれは、光も闇も等価でしかないと、トレギアと同じ結論に至ってしまうから。
だからヒーローは、理屈なんて抜きにして、光の側にいてほしい。むしろ、理屈では光の側にいつづけるのが難しいからこそ、理屈なんて無意味なほどに、圧倒的な意志でもって、光を叫び続けていてほしい、と思います。わがままですかね。

やっぱり自分は、所詮は同じ価値じゃないか、って考えてしまうから、トレギアさんに救われた。
その一方で、タイガやクワトロスクワッドやイージスに救われる人も、必ずいると思います。
だから、タイガもトレギアも、それぞれヒーローとして別の需要があるから、どっちもいてほしい…っていうのが、結論です。


ああ!日付が変わってしまう!いよいよ公開日ですね!!
こんな夜更かしで大丈夫かしら(映画館まで車で1時間のド田舎)。
タイガとのお約束動画のとおり、早く寝たいと思います。
ここまで11000字越え…読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました!

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