刀ステ「天伝 蒼空の兵 -大坂冬の陣-」感想&考察

ディレイ配信までたっぷり堪能し、ぐつぐつ煮込んでいたら、いつも通り大遅刻。もう无伝が始まっちゃうじゃないですか!
前置きは置いといて、行きますよー!

一期一振とは何者か?

「私は、一期一振。粟田口吉光の手による唯一の太刀。藤四郎は私の弟達ですな」
「前の主は背が高くなかったので、それに合わせてわたしはこうなったんです」
「物腰の割に服が派手……ですか。ははは、前の主の影響ですな」

これらは全部、ゲームでのいち兄のセリフです。
もう、これがすべてではないですか。一期一振という刀の来歴、それに基づいた一期一振という刀剣男士を、理路整然と言い表している。
それこそ刀ミュも今やってますけど、あの江たちのように、ぶっとんだ性格を付与されているわけでもなく。
まさにこの来歴こそが、今の刀剣男士・一期一振を形作っている。

だから、弟たちを抜きにしたらどうだ、という秀頼の問いには、初めから意味がないと思っていました。だって、弟たちを抜きにしたら、一期一振は一期一振ではなくなるのだから。弟がたくさんいる、それが一期一振なのだから。
学生時代に大学で小説の実作を学びましたが、人間ひとりデザインするというのは、その人がどういう性格かとか職業かとかじゃなくて、「周囲との関係」で作れと言われました。主人公からモブへのちょっとした挨拶を書いたら、こういうところに人間性が出るんだって褒められたのでよく覚えてます。
何が言いたいかというと、一期一振という刀は、秀吉と、弟たちとの関係性の中に定義されている。だからその定義を抜いたらどうだ、なんていうのは、問いとして成立しないんです。問うておきながら、答えを封じるようなものだから。
弟たちにすがっているのかも、と言っていたけど、もともと、人間(人間じゃないけど)の定義のされ方なんて、そんなものなんだと思います。誰かにすがっている状態で当たり前。

だから、最後のまんばちゃんとの会話は、そうそうそうそれだ!!!ってなりました。
「写しであるからこそ俺なんだ。お前は藤四郎たちの兄であり、かつて豊臣にあった刀だ。それが一期一振という刀なんだろう」
もうほんと末満氏の書くセリフ、世界観、すべてが解釈一致すぎる。
まんばちゃんも同じ理屈で、もし長義の写しでなかったら、刀としての山姥切国広も、そしてここに顕現している刀剣男士の山姥切国広も、存在しないことになってしまう。
清光との会話でもはっきり言っていました、「写しであることは、俺が俺であることだ。それを否定はしない」。
そういうことなんですよ。来歴は、逸話は、刀剣男士のアイデンティティそのもの。
人間だってそうです。織田信長の家臣、豊臣家の家臣、真田の次男坊。そうやって人は定義されていく。
弥助と宗三は互いに、魔王に囚われている、と言っていましたが、その囚われこそが、確固たる自己、アイデンティティなんだから、囚われていることは決して不幸ではないんです。むしろ何かに囚われていられる方が、幸せなのかもしれない。

じゃあ、なぜこんなに確固たる来歴がありながら、「一期一振は何者か」がテーマになりえたか。
それは、秀頼自身のアイデンティティ探しとリンクしていたから。
秀頼と一期一振の共通点。それは、秀吉と縁の深い者でありながら、その秀吉本人についての記憶がないこと、でした。

秀頼もまた、「豊臣から逃れられないことはわかっていた」そう、わかっていたんです。
戦に出て名を上げようとしてはいたけど、それはなんというか、対症療法でしかなくて。
もちろんこの時代に、正確に親子関係を鑑定できるはずもなく。

結局、秀頼と、そして一期一振をも救ったのは、太閤の言葉。
自分が拠って立つ、「豊臣秀吉」とは、「蒼空」であるという定義、でした。
つまり、一期一振は何者か、豊臣秀頼は何者か、という問いを解くためには、「豊臣秀吉とは何者か」さえわかっていればよかったんです。
豊臣秀吉に囚われる存在であることは、一期一振自身も、そして秀頼自身もわかっていた。ただ、自分を定義してくれる秀吉、その正体を語る言葉を、二人とも持っていなかっただけなんです。「私には、それを語るだけの言葉がないのです」。
その「言葉」が、太閤からもたらされたとき、二人のアイデンティティの空白はぴたりと埋まって、しっかりとそこに、一期一振という刀が、豊臣秀頼という人間が立ち上がったんです。

豊臣に縁のある刀はたくさんいるし、左文字は長らく三兄弟だったのに、どうして慌ててゲームに実装してまで太閤左文字を出すんだろう、ってちょっとは思ってました。
でもここで、ああ、このために太閤はどうしても必要だったんだ…!ってもう感動してしまって…。
豊臣秀吉とは何者か、その言葉を持っている刀。太閤の名を与えられ、徳川に譲られて焼けずに済んだこの刀以外に、これほどこの役割にふさわしい刀がいるでしょうか??もう…太閤、出会ってくれてほんとにありがとう…!ってなりました。

あとね、ここで、「秀頼様も、蒼空だよ」とは言っても、結局、血筋的に本当に秀吉の子なのかはっきりしないのも、個人的にめっちゃ好きです。
なんというか、雰囲気は受け継いでいても、それは必ずしも血を受け継いでいることとイコールじゃないじゃないですか。だから、血のつながった親子かは知らんけど、「豊臣秀吉の後継者」であり、それを言い表す言葉が「蒼空」であることは確か…みたいな、この絶妙な匙加減。要は、秀吉とは何者だったのかを的確に教えてくれる言葉が、自分と秀吉をつなぐ言葉が必要だったわけで、血筋の証明は必要ではなかったんです。


戦に間に合った人々

戦に出たい秀頼様と、戦ジャンキー家康、自分を試してみたかった信繁の話。
秀頼、家康、信繁が共通して繰り返していたのは、最後の大戦に「間に合った」というセリフ。これを聞いていて思い出したのは、義伝の政宗もなんですけど、それ以上に、大江健三郎の『遅れてきた青年』でした。政宗は明確に天下人になりたいという目標があったけど、秀頼たちのそれは、自分のアイデンティティのため、って感じで。秀頼はもともと天下人だし、家康も天下人のつもりだし、信繁もそういう天下への野心とはまた違っていたし。
『遅れてきた青年』の新潮社公式HPによるあらすじは、「地方の山村に生れ育ち、陛下の勇敢な兵士として死ぬはずの戦争に、遅れてしまった青年。戦後世代共通の体験を描いた半自伝的小説。」とのこと。
読んだのだいぶ前なので細かいところは忘れてますが、自分の華々しい死に場所を探して…というか、軍人として自分のアイデンティティを確立したい、地方の青年という自己を英雄として上書きしたい、みたいな印象だった気がします。
まさか大学の課題で読まされた古典をこんなところで思い出すとは思いませんでしたよ…。

確かに戦って、他人との関係ではない形で自らを証明できる数少ない機会ですよね。誰かとの関係性、ではなく、武功というわかりやすいアイデンティティが手に入る。まあ、実際は誰とも関わっていないわけではなく、命を奪うという最悪の形での他者との関わり合いをしているわけですが…。誰かの命を奪うことで、手っ取り早く、自分が何者か証すことができてしまう。
さっき、信長の家臣、豊臣家の家臣、真田の次男、と例を挙げましたが、この例において、それぞれのアイデンティティの拠り所となった信長、秀吉、真田昌幸はまさに、そういう名の上げ方をした人たちでした。信長はどこまでも信長であって、信長の家臣、というように引用されることはあっても、信長自身が誰かにとっての何か、なんていうふうに語られることはない。だって信長は信長だから。

でも、これってほんとはイレギュラーなんですよね。こういう自己の確立の仕方は、戦の世だけ。太平の世ではありえない。それこそ、次にそういう世になるのは、剣技ひとつで身を立てようとした新撰組とかの時代ですからね…。
秀頼はしきりに「信長と秀吉に並び立ちたい」と言っていましたが、それはつまり、多くの命の犠牲の上に、ってことじゃんなあ…って思いながら見てました。
最終的には、戦という多くの犠牲による方法ではなく、太閤の言葉に救われて、本当によかった。上で書いたように、本来、人間の定義とは他者との関係性でなされるのが一般的で、戦での自己の確立はあくまでイレギュラーな方法ですから。現代で言っても、例えばオリンピック選手!なんてのはイレギュラーな身の立て方で、ほとんどの人は、誰かにとっての何か、で生きていくのですから。

しかしまあ、刀剣男士の場合、誰かに持たれた、という他者との関係性だけではなく、何かを斬った、という、人間で言えば武功のようなもので語られる刀も多いですからね。人間にとってはイレギュラーのはずの武功が、刀剣男士たちにとってはそう珍しいことでもない。やっぱり武器なんだなあ、って感じます。
(逆にミュ東京心覚は、守り刀とか役人の刀だったとか、平和な時代に逸話を持つものばかりで、天伝と正反対ですね…)


天伝のここが好き!

好きなところが溢れすぎて言葉では言い尽くせないのですが…

松田凌くんがめっちゃくちゃ加州清光だった。
それでいて、流司くんのミュ清光は違う、ってなるわけでもなく。
初期刀および近侍として、三条に振り回されたり安定と言い合いしたりして、わちゃわちゃ楽しくやってるのがミュの清光なら、
ステの清光はほんとに、国広を支えてくれてて。自分がいちばん愛されたいと思いつつも、みんなに支えられる国広を見てるうちに、自分もそこに加わるようになって。近侍とは違う立場、違うやり方で本丸を支える、ミュとはまた違う方向にのびのびやってる清光、って感じで…いや、これまでも土方組とか大倶利伽羅とか青江とか、ステとミュにいる、ってのを見てきましたけど、その全員がそれぞれの魅力をこれでもかと放っていて、ほんとにすごい…!そして裸を見たので例外なく死にました。
仮面ライダーグリドンで知り、そのあといくつか舞台でも見たけど、どれも少年っぽい幼い感じの役だったんですよね。だから、色気にあてられて死にました…どこにしまってたのこんな色気…セクシー清光…

清光が家康に向かって、あなたを死なせるわけにはいかない、と言いながら刀つきつけて止めるのほんと好き。刀を突きつけながら言うことではなかろう、って家康に言われるけど、こういう、矛盾してるけれどそういうふうにしか表現できないんだ!!っていう感情を掬い取ってくれるのが、末満さんなんですよね…。愛していると言いながら酷い目にあわせるのとか、そういう発露の仕方になるしかない感情というのが、確かにあるんですよ…。
そしてまた、「この先の歴史を続けてもらわなくちゃならない」というセリフが、こんなにもふさわしいのは清光しかいない…!今回は戦国に逸話を持つ刀がほとんどな中、加洲の逸話はまだ始まってもいないんですよね。加洲の逸話、この先にある沖田の歴史につなげるために、いちばん必死になるのが加洲ってのが、すごくグッとくる。だって徳川幕府がなきゃ新選組もないんだから…

「生きることだって立派な戦だと、俺は思うぜ」これですよ…!清光が戦ジャンキー家康に言う言葉!戦い続ける座組が、今、この現世に伝えてくれる言葉が、これ!!!これね、いち兄も秀頼に、生きることも立派な戦です、って同じセリフ言ってるのがまたね…!そうなんですよほんとに、今、ここで、生きてることが戦いなんですよ…!
あれですね、外伝のまんばちゃんの大好きなセリフ思い出しました。「生きることが地獄というなら、俺は地獄で惑い続けるしかない!」この、生きることは戦うこと、という、戦い続ける刀ステの意志が、シリーズ全作品をしっかりと貫いてくれている…。

一期の、あの、ロイヤルとしかいいようのないお上品さもすごかった…。殺す動きは大振りじゃないのに、フォロースルーが大きくて、魅せる戦い方になってるんですよね。舞台だから全員がそうってわけでもなく、一期の性格としてそうなってる。
あとボルドー系の赤リップが映えだった。衣装の派手さと落ち着きを同時に表現してて美しかった…

太閤と宗三が再会を噛みしめてる(笑)とき、宗三のそんな顔見たことない、って刀剣男士たち言ってたけど観客も同じ気持ちだよ!!!
左文字兄弟、めっちゃ推しなんですが、せっかく虚伝で全員揃ってたのに、あんまり会話がないんですよね…!江雪をかばう小夜とか、眠る小夜の前で話す宗三と江雪のシーンとか、不幸を慰めあいながら寄り添おうとする、他の刀派とは違う、左文字独特の兄弟の形みたいなのがドストライクなんですが…。虚伝の組み合わせだと、宗三が兄として振る舞う、って場面がないんですよね!
で!今回!めっちゃ優しいお兄さんじゃないですか…!にこにこ笑うし、身体かがめて話すし…!まさに花が咲いたよう。パンフレットの対談で、小夜左文字役の納谷くんに嫉妬されそう、みたいなことを話してて面白かったです。いやこれはそうなるわ…こんなに優しい兄の顔ができるなんて知らなかったもん!小夜にもそれを向けてあげてくれ…!!
あと、あの弥助が顕現に失敗した織田刀に引導を渡してくれるのが、宗三でよかった…。虚伝を見ている我々としてはやっぱり、宗三の、薬研の、長谷部の、そして不動のあの覚悟は、今さら反故にしてほしくないわけで。この四振りを代表して、宗三が、ごめんなさい信長のことは私たちもう一度覚悟を決めて見送ったので、どうかそのままに、って言ってくれたようで…太閤の兄といい、ほんとに、今回、宗三がいてくれてほんっとうによかった…!

脇差大好き人間なのでずお&ばみにやられました。脇差ってこう、人間で言えば思春期みたいな、大人でも子供でもない絶妙な時期の年齢表現をしてくるじゃないですか…その年代でしか放てない輝きがある…
ずおちゃんとばみちゃん、普段はあんまり似てないんですよね。ずおちゃんは膝を曲げたちょこちょこっとした動きや立ち姿が可愛くて、どっちかというと太閤に近い。一方、普段のばみちゃんは、すん…って立ってて、いち兄に近い。でも戦うとき、特に真剣必殺なんかで、2人の男前スイッチみたいなのが入ったときが、2人ともそっくりで…!かわいくてかっこよくて、まさに脇差くらいの十代後半くらいの危うさをはらんでいて…本気モードになったときの本質は同じ、って、なにこれ尊い…。

特にずおちゃんは、杉江くんのバージョンも好きだし、ゲームやって原作のずおちゃんも好きになったし、なによりキャストが仮面ライダーアマゾンネオの千翼役以来の前嶋くんだったので、めちゃくちゃ期待して行ったのですが…期待以上だよ…!
殺陣からの「ご期待に添えました!」の笑顔のギャップで死にました。何?魔性の子かな?いやわかる、千翼のときも、いっつも怖い悲しい顔してるのに、デートしてたときはめっちゃくちゃかわいかったもんな…なおそのあとトラウマものの残酷シーンなんですがね…
そして真剣必殺で髪がほどけてるときの、かすかに感じる色気はなに?かわいい印象はそのままに、それこそ極後のキャラをほうふつさせる、何か本性を解き放ったような…!
あと、例の「蒼空だよ」のシーン、いち兄の後ろにいる鯰尾もいい表情してるんですよ…!あくまでこの場の主役はいち兄だとわかっていて、「どうしたの、いち兄」って脇差らしく気遣いを発揮して聞くんです。でも、鯰尾自身も感極まって泣きそうになってるんですよ…!もう!このけなげな弟は本当に…!

特撮キャストの話が続いたので信繁が好きって話もしましょう。ずっきーさんこと鈴木裕樹さん。ゲキレッドから14年経ち(31バン作品)、警視庁捜査一課長とか好きでよく見てますが。近年の出演作で、うわあ好きだ…!ってなったのが、ウルトラマンジードにゲスト出演した回で、悪役なんですよ…そのときの悪い顔とか、ワイルドな感じとかが、うわあ見たことない!かっこいい!!!ってなって。信繁もそんな感じで、めっちゃくちゃかっこよかったです…かわいい大石秀一郎(テニミュ)じゃなくて、ワイルドなずっきー信繁になったんですね…!かつての戦隊ヒーローは、今や5つ前の戦隊ヒーロー(治長役の姜さん)と並んで、今やイケオジ枠ですよ…!感慨深い…。なおヒーローの同期は単騎出陣してる(ミュ青江)、ってのもなんかこう、いろいろあるものだなあ、俳優さんを追い続けるって面白いなあって感じですよね。
いやでも最後の自害シーンしんどかった…だって、せっかく戦の世に「間に合った」のに、しかも、自分にも父譲りの才覚があると確信できつつあったのに。それに、「死ぬまで生きよ」が真田の家訓じゃなかったの…!!自害するときに見せたほんの少しの逡巡が、自害ではなく死ぬまで戦いを全うしろという家訓を思ってのことなのかな、と思って、つらかった…。だって、時間遡行軍と刀剣男士、それに弥助や官兵衛のことに巻き込まれさえしなければ、信繁は家訓通りに戦い抜くことができたはずなのに。なまじこの先の歴史を、歴史を守る戦いと変える戦いのことを知ってしまったばっかりに、こんな、こんなことに…。あんまりですよ…。清光はまんばちゃんに、先の歴史のことは聞かないほうがいいんじゃない、って言ってましたけど、ほんとにそう。先の歴史のことを聞いた人は、だいたいみんなつらい目にあう…。唯一、先のことを知って救われたと自分が思ってるのはガラシャだけですかね…。

殺 陣 が や ば い 。
もし仮に、刀ミュは見てるけど、刀ステは2部ライブないから物足りないんじゃ?と思っている人がいるとしたら、声を大にしていいたい。
殺 陣 が ラ イ ブ だから!!!!!!!
いや、だって、ばみちゃんはめっちゃくちゃ台を上ったり下りたり走り回るし、果ては例の滑り降り棒だし、いち兄は飛ぶし、ずおちゃんの足元抜けてくるところと太閤の足元がお留守だよー!がサービスショットかなってくらい可愛いし、宗三とまんばの手首の使い方やわらかすぎて人間か!?ってなるし、清光の裸で死ぬ。そして大回転の大迫力!!!!ちょっとあの目が足りなすぎるんで画面4分割くらいしてくれませんかね!?!?あとここのBGMもめっちゃかっこいい!!!!
加州清光は他2人の打刀と違って、ちゃんと突き技が多いんですよね…荒牧くんと松田くんがお正月の跪座写真を上げてくれてたとき、ちゃんと刀も前に置いてくれてたんですが、山姥切国広が日本刀らしいゆるやかなカーブを描いてるのに対して、加州清光はほんとにまっすぐなんですよね!扱いづらいってそういうことか!ってなりました。
あと地味に感動したのが、ゲームに出てくる遡行軍脇差がいた…!えっあれ動き気持ち悪っ!!!(ほめてる)


諸説に逃げる、ことはできるのか?

歴史を歴史のままに、諸説に逃がす。
でもそれは、刀剣男士の本能が許さない。
あくまでも逸話は逸話のままに。史実になってはいけない。

さあここからは、小難しい考察の話をしていきますよ。
ステとミュの逸話に対するスタンスの違い、なんて一時期Twitterでちょっと話題になってましたけども。諸説を許容するミュ、許さないステ、みたいな。
でも自分は、そんな単純に割り切れることじゃないと思ってるんですよ…。

いったん天伝の考察からは脱線してしまいますが、ミュの東京心覚とゲームの話をします。
東京心覚は、これはこれでまたいろいろ文章をまとめたいとは思ってるんですが、まだ終わってないのでネタバレしない範囲で…。今書いておきたいのは、ミュ本丸の時間軸ではいわゆる「諸説に逃がす」ようなことをやっているから、あの刀剣男士が狂ってしまったのではないか…ということ。
何回か見てようやく解釈はできたんですが、それでも、あの子が狂った直接の原因はわからない。だから自分はやっぱり、諸説に逃がすことがアウトだったんじゃないか、そのせいで生真面目なあの子の精神に異常が起きたのではないか、と思っています。
つまりまとめると、たぶんミュも、諸説を「許容」しているわけではない。諸説に逃がすことを実行してしまっているけれど、そのせいで綻びが出始めている、そんな状態だと思ってます。

そしてゲームの話。
先日の特命調査慶応甲府で、一文字則宗が来ました。いろんな解釈が飛び交いましたが、自分がしっくり来たのは、千子村正みたいな感じ、っていう言葉でした。本当の自分がどうだったとかじゃなく、妖刀と「呼ばれた」こと、沖田が使ったと「言われた」ことが重要なのではないか、と。
その理屈をより深めてくれるのが、五虎退と大倶利伽羅です。五虎退は明確に、虎を退けたって「言われている」けど、「退けてないです」と自分で認識している。ちゃんと、逸話はあくまでフィクションであることを理解し、その上で、フィクションが創作されたことを認めている。史実と逸話の区別がちゃんとできているんですよね。
そして、大倶利伽羅の修行の手紙の中身もそんな感じなんですよ。ネタバレになるので書きませんが、ちゃんと、俺はこんなふうに「言われている」が、「実際はそうじゃない」としながらも、ただ、そのように言われていることは大事にしたい、みたいな感じなんです。…この不器用な愛着の示し方が好きだ!(唐突な推し)

だから、刀剣男士たちが守るべき歴史、彼らの本能が守りたいと思う歴史は、単に史実だけでなく、「逸話が語り継がれた歴史」のことなのではないか、と。
あくまで「そういう説が語られた」という事実そのものを、そのまま守らねばならない。歴史は歴史のままに、と同じく、創作は創作のままに保たなければならないんだと思うんです。創作は創作のまま、史実に成り代わってはいけない。
その一方で、まったく逸話が語り継がれないのも、それはそれでダメなんだと思うんです。実際にはそうでなくても、虎を退けた、沖田が使った、真田十勇士が活躍した…そんな「物語」を生んだ歴史、名もなき人々の営みそのものを守らなければいけない。嘘は嘘だとはっきり自覚はできていて、その上で守らなきゃいけないんです。
自分が小説書くから思うのかもしれませんが、「物語を生み出す」こともまた、歴史の一部な気がして。だって極論、聖書やらコーランやらが生み出されなければ、めちゃくちゃ歴史変わりませんか? まあ、そこまで影響力の強い物語は例外でしょうが、人々が噂すること、物語を語り継ぐことというのは、紛れもなく、歴史を紡ぐ人間の重要な営みではないかと思うんです。
ほら、だって、歌詠みや俳句をたしなむ人も刀もいるんですから。創作する、というのは、その創作内容が空想であっても、創作された作品そのものは、れっきとした歴史の一部。それこそ、義経記や小鍛治の内容そのものはフィクションでも、それが書かれた、という事実は、守るべき歴史なんです。
そう、だから、いち兄も言ってたじゃないですか。極論すれば、事実でなくても語り継がれたものが私たちを形作る逸話の性質、と。
重要なのは、本当に沖田が使ったかどうかではない。沖田が使ったと人々が語ったことを拠り所のひとつとして、一文字則宗という刀剣男士はここにいる。沖田が使ったという事実はなくても、逸話が語られたという事実を認めている。
さっき、戦の世に逸話を持つ刀と平和な時代に逸話を持つ刀、って話をしましたが、なんというか、一文字則宗という刀剣男士を形作っているのは、幕末ではないんですよね。実際に沖田が生きた時代ではなく、もっとあとの大正、昭和の時代に「噂された」こと、そっちの方が重要で。それこそ言ってしまえば、その逸話を広めた司馬遼太郎の功績がでかいわけで、なんなら則宗を形作っているのは沖田よりも司馬の方がウェイトでかいんじゃないかと。遡行軍が司馬に目を付けたらかなり恐ろしいことになりそう。例え著作がフィクションでも、それを生み出し広めたという、逸話に対しての大きな功績がありますからね。

こういうふうに考えると、真田十勇士の話に対してまんばちゃんが「あれは創作だ」と言っていたのも、そういうことね、となります。
ちゃんと、事実ではないと、創作だとわかっている。でも、その創作の存在は認めてくれている。
「真田十勇士がいた歴史」はなくても、「創作の真田十勇士の物語が語り継がれた歴史」はある。まんばちゃんの本能は、前者の歴史は認められないが、後者の歴史は守るべき歴史だと認識しているのではないでしょうか。

逸話の在り方としては、秀頼の出生に関する逸話がたどったのが正しいんだと思っています。
信繁に問われた治長は、結局、はっきりとは言わない。あのシーンから伝わる治長の真意は、俺の子だ、でも、俺の子ではない、でもなく、真実はどうあれ秀吉の子として扱うのだ、という決意と命令な気がして。
治長の子ではないかという噂も立ったが、あくまで噂は噂にすぎず、歴史上は秀吉の子ということで最後まで押し通した。確かに諸説が囁かれはしたが、それは正史に大きな影響を及ぼさなかった、という、この在り方でないといけないんじゃないかと思うんです。
きっと噂が全く出ないってのも、それはそれで歴史改変になっちゃうんですよ。「噂された」という歴史がないといけない、でもそれはそれ以上にはならず、「噂された」だけでちゃんと終わる。
弥助やミュの彼は、表向きの正史さえ合っていればいいと思っているんでしょう。でもおそらくそうではなくて、諸説が語られつつも真実にはならなかった、っていう、この諸説と真実の細かい在り方まで、厳密に守らないといけないんじゃないでしょうか。

まあ、長くなりましたが。
結論を言うと、刀ステのスタンス…というか、メディアミックスを含めた刀剣乱舞全体の歴史観が、「諸説を諸説のままに守る」なんじゃないかな~、と思います。(映画は映画であれだけど、でもあれも、ちゃんと史実を知ってる人が史実通りにやったから!逃げ延びたとかじゃないから!)
だから、弥助、ダメ、ゼッタイ!!!

もうね、諸説に逃げるって話最初に聞いたときは、「麒麟がくる」じゃん!!!なんつうタイミング!!!ってびっくりしましたよ。そしてそのあとミュの歴史上人物に天海がいてもっとびっくりしましたけど。


刀剣男士を顕現させるには?

歴史に抗う力が必要だと、弥助は言った。
そのためには刀剣男士を顕現させて、自分の代わりに時を遡らせて、本能寺で信長を救う、と。
また信繁も、歴史を守る刀剣男士たちと戦う力として、真田十勇士を刀剣男士として顕現させようとしていた。つまりこれは、逸話に基づく人間もどきってことで、朧、ですよね…。夏の陣には朧が10人いるってことですよ…。

で。いろいろ整理していくと、弥助が顕現に失敗したのは、当然の帰結じゃないかなって思うんです。
さっき書いたように、刀剣男士を形作る逸話は、事実かどうかよりも、それが「語り継がれた」という方が重要。
でも弥助は、阿形吽形から、歴史のはざまびと、って言われてたじゃないですか。本能寺のあと、歴史の表舞台から消えた、だから暗躍できる、って。
でもそんな、歴史にそもそも名が残ってない人が自害したって、それは逸話になんてなれない。そもそも弥助の存在が大坂の陣時点で語られてない以上、それを斬ったことも語られない。
「山姥切」が逸話たりえるのは、「山姥」が広く言い伝えられている妖怪だから。でも、弥助の存在はもうすでに歴史から消えている。だから、斬られたものとしての歴史上の価値は、弥助にはないんです。弥助を斬った、と名乗ろうとしても、その弥助って誰?って状態では、弥助斬り、という物語は立ち上がらない。

その理屈でいうと、真田十勇士の朧の顕現が成功した(夏の陣にいるから成功してる)ってのは、やっぱり、信繁本人がだめ押しになったんだろうな…と思います。信繁自身が、歴史の中で逸話を持つ存在だから。要は、捧げる代償としての価値が、弥助にはなく、信繁にはあった、ということだと思うんです。
弥助には審神者の素質がなく、信繁にはあった、ってことかとも思いましたが、たぶんそういうことじゃない。
元は外国人奴隷だった弥助とは違い、真田は、父である昌幸の逸話も強い。それこそ現実でも、大河ドラマ効果でパッパの印象も強く刻まれましたしね。
だからもし、天伝のとおり、信繁が冬の陣で死ぬ歴史だったとしても、「あの表裏比興の者の息子も参陣したが、やはり父の才覚は継いでいなかったようで敗北した」って物語が生まれるのではないかと思うんです。
父が偉大だと息子にも逸話が生まれるってのは、それこそジョ伝や大河ドラマでの官兵衛と長政で実証済みです。天下取りを狙った官兵衛は、長政が秀吉に接近したときなぜ殺さなかったと責めた、という逸話があるくらいなので。父が有名であれば、例え息子が負けたり目立った功績がないとしても、そこに逸話は生まれる。
今回、信繁が死んだことにより、信繁は豊臣の恩義に報いるために九度山から馳せ参じたが敗北に終わった、という偽の逸話ができた。これを拠り所として、偽の逸話から、偽の存在…真田十勇士を生み出すことに成功したのでは???
冬の陣での信繁の死、という、改変された歴史を逸話に持つ、朧の真田十勇士。でも、繰り返しになりますが、逸話は史実でなくてもいいんです。それより、有名であることの方が大事。

ところで阿形と吽形が「真田十勇士の刀集めた、顕現してもらう」って言ってた。…してもらう???誰に????まさか、あいつか…!?!?

ラスボス官兵衛/義高/如水

もううううう!!!!死んだんじゃなかったのーーーー!?!?ねええええ!!!!
ちょっとわけわかんなくなってきたので整理しますよ。

1546(天文15)黒田官兵衛生まれる
1582(天正10)本能寺の変 弥助は歴史から消える→黒田家へ
1587(天正15)科白劇での放棄世界慶長熊本が正史から分岐
       (細川玉がキリスト教に出会った頃)
1590(天正18)小田原征伐=ジョ伝 科白劇とは両立しない、別人
1596(慶長元)科白劇メイン時間。分岐して9年経った慶長熊本
       科白劇内では一応、放棄慶長熊本はここで終わり
1600(慶長5) 関ケ原 黒田官兵衛が天下を狙ったという逸話あり
1604(慶長9) 正史の黒田官兵衛死去
1614(慶長19)大坂冬の陣

はい。まとめるとこうなるんですが、どうも、阿形吽形の言い草からするに、どっか別の時間軸に「如水」が生きていて、顕現してもらおうとしてる…みたいな感じがするんですよね。
如水も喜んでくれるかな、じゃないんだよーーもう…

ちょっと時間軸の話をします。
弥助が食べた、あの、手!!あれは、「滅びし数多の本丸の1つ」その審神者の手、って言ってました。地味におそろしい情報をぶっこんで来るな。たくさん本丸がありそれぞれに時間軸がある、ってのはわかってましたが、そこそこまとまった数の本丸が、敗北してる、歴史改変されてる、ってこと…。マジかーーー。
で、この滅びし本丸、って、つまりあれですよね。科白劇で如水が言ってたやつ。「この歴史改変を先へと押し進め、正史へと侵略する」っていう、あの如水の目論見を成し遂げた時間軸のこと。
科白劇を軽くおさらいしますと、歴史改変するには、まず改変を起こして正史から分岐した世界を作る。そしてさらにそれでもって「正史へと侵略」することで、ようやっと歴史改変は成り立つ、という話でした。まあ、だからこれ聞いたときには、いやいや改変無理ゲーすぎる、歴史を守る作用が強すぎるんじゃん、と思ってたんですが。
案外無理ゲーでもない、ってことですよね…。この、「正史への侵略」を防げずに敗北してる本丸が、滅びし数多の本丸、ってことでしょう?歴史修正主義者、案外強いんですね…。

あと時間軸について、科白劇関連で気づいたことがひとつ。
「別の時間軸の自分の記憶が流れ込んできた」って言ってたのは、報告書内の義高だから、ですよね。
ステ本丸の官兵衛=ジョ伝でまんばちゃんたちと会った。今回出てきた回想もこっちの官兵衛。
報告書本丸の義高=濁った時間を繰り返しているうちに、ジョ伝の記憶を知った。
で、ここで科白劇の義高は、「いくつもの時間軸に気づくことができた」って言っていて…。いくつも!?ってなるわけですよ。
だからそう、上で書いたように、どこかの時間軸には、生きてる官兵衛だか義高だか如水だかがいる。
うわあこれ、官兵衛=ジョ伝軸(ステ本丸メイン時間軸)での名乗り、義高=報告書をくれた本丸の時間軸での名乗り、だったら、「如水」の名前は、どこかで歴史改変を成功させて本丸を滅ぼした時間軸で名乗っている…とかじゃないですよね。如水がいちばん歴史改変に成功してて、もしかしたら1614年時点でも生きてる…としたら、阿形吽形が「如水も」喜んでくれる、というのが腑に落ちる…。

黒田様(もう名前がわけわからんすぎて、全部の時間軸の官兵衛義高如水をまとめてこう呼びますね)は、複数の時間軸を駆使してまで、「歴史を調略する」戦いを展開している。
つまり、この刀ステ時間軸における、レキシューのラスボスとも言える存在に、なったわけですね…。
いや、なんならもう、ステ本丸が管轄する時間軸以外のどこかの時間軸で、勝利を収めてさえいるかもしれなくて。如伝で苦杯をなめさせられた、このステ本丸時間軸の調略を、虎視眈々と狙っているのかもしれませんね…。

ラスボス黒田様のやり口まとめ
・歴史から消えた弥助を雇いツクモ刀で戦わせる
・各地に草の者を放ち刀剣男士と遡行軍の戦いを探る
・遡行軍と手を組む
・複数の時間軸の自分を意識し、なんなら連携しようとさえしている?
・歴史を守る戦いの戦歴書を残し、本来は歴史の異物が故、時代を離れれば人々の記憶に残らないはずの刀剣男士のことも記録する(New!)
・遡行軍を飼ってしつける(New!)
さて今後何が追加されていくでしょうかね…。


まんばっち!!!お前!!!

太閤のセリフ。
「旅に出たまま、帰ってこない、って」
「だって山姥切国広は、歴史をはじめから…」

おいーーーーーー!!!!!!
やっぱりシンプルに旅に出たあと闇落ちしてるんじゃないかーーーい!!!!

前回の科白劇では、義高が「放棄された世界は1本の糸、何度もなぞるだけ」みたいなことを言ってたから、三日月が巡ってる円環はまさにそれでは??つまりステ本丸そのものが放棄された世界???とか、
維伝では竜馬、科白劇ではガラシャが「歴史改変の因果」になってしまっていたから、じゃあ本丸における歴史改変の因果は、三日月か、はたまたまんばちゃんか???とかいろいろ考えてたんですが。
ものすごいシンプルな解釈に落ち着きました。

太閤の言いかけた、「だって山姥切国広は、歴史をはじめから…」の続きは、おそらく。
「歴史をはじめから、やり直そうとしている」なのでは…?

だって維伝の黒んばちゃんが言ってたのは、「物語をオクレ。織田信長の、伊達政宗の、黒田官兵衛の…」なんですよ。
三日月宗近という刀剣男士が顕現する時点から、とかじゃ手ぬるい。日本の歴史を、はじめから、やり直す。三日月宗近という刀を生み出し、結いの目にして円環に閉じ込めた歴史を、一からやり直す。

まとめると、三日月を失ったことに耐えられないまんばっちが、歴史を一からやり直し、三日月を失わないルートを生み出そうとしている…というのが、今回の考察です。だって、絡まった糸がもうほどけないなら、新たな1本の糸を紡ぐ方が手っ取り早いから。

だってそもそも、ステ時間軸は歴史が狂ってるんですよ。虚伝では本能寺前夜にいるはずのない光秀が本能寺にいたり、義伝では関ケ原の天候や時刻が史実と違っていたり。きっと三日月が何度も円環を巡って、歴史の糸をぐちゃぐちゃに絡ませてしまっているから。きれいさっぱり、新しくやり直すほかない。

あるいは、まんばちゃんは「三日月宗近の逸話を生んだ歴史」を、やり直そうとしているのかもしれません。
あのどこぞの槍と脇差(すっとぼけ)が、「どこの本丸も三日月宗近はやっかいだ」と言ってましたよね。事実、ミュも三日月のおかげ?はたまた、三日月のせい?でいろいろ面倒なことになっている。
どこの本丸でも三日月はやっかいだ。そうなってしまうのは、「三日月宗近を形作る逸話」が、三日月にそういう役割を強いるからなのでは?刀剣男士として逸話をもとに顕現する三日月宗近は、どの個体も、本人が望むと望まざるとに関わらず、自らが持つ逸話のせいで、やっかいなことになってしまうのでは?
じゃあ、三日月にまつわる逸話を生み出した、日本史そのものからやり直せば。三日月に三日月という名や、天下五剣の称号を与え、美しい美しいと心を寄せてきた、日本史そのものを、やり直せば。三日月は、やっかいなことにならなくて済むかもしれないじゃないですか。
…なんだか、歴史そのものを相手取っているという点では、まんばちゃんも、弥助や官兵衛と同じ発想になるわけですね。

いやーーーでもね、この考察でいくと、まんばちゃんと弥助との会話がめっちゃくちゃしんどくなるんですよ…。
弥助との最終対決で、弥助は、何も失ったことがないくせに、何がわかる、とまんばちゃんにキレる。そのまんばちゃんの返しが、
「人の命が失われる歴史を強いてきた」
「失う覚悟はできている」
いやーーーもうなに????失う覚悟はできている???
でも、私たちはすでに、失ったことに耐えきれてない山姥切国広を見てるんだが??三日月を失ったことに耐えられなかったから、闇落ちしてまでやり直そうとしてるんじゃないんですか????

弥助の前で語った覚悟は、決して軟弱なものには見えなかった。ちゃんと失う覚悟はできている、ように見えた。それでも、その覚悟を打ち砕くほどに、三日月という存在が大きかったんだなあ…と思って…これが末満オタクの深読みセルフ落ち込みです…しんどい…でもしんどい解釈が正しいんだと思い込んでしまう…(唯一絶対の正解というわけではないですが)
もしかしたら、なかなか修行に行かなかったのも、この太閤からの話を聞いちゃってたからってのもあるのかな…

あと、しんど…って思ったのが、加州が、未来のことは聞かないほうがいいんじゃない、って止めてくれるところ。ここ、よりによって加州、なんですよ。聞いてるのが。
だってこのあとおそらく、特命調査があるじゃないですか。そしてたぶんその時系列は、綺伝のあと。あの、冒頭に映る作品時系列みたいな紙、ところどころ穴があるだけじゃなくて、綺伝のあとにも1行ありましたよね。きっとまだまだ続くのでしょう。
で。きっと特命調査に出た加州は、こう思うことになるはすです。あのとき、太閤が言ってた、国広が帰ってこないって、本当なんだな…って。国広を探さなきゃ、なんて思いながら特命調査に出陣してたらもう最悪…。

でも!成長を感じられるところもあったから!!
信繁に斬られて負傷して、清光にすぐ、頼めるか、ここは一時退却する!って!!!序伝からの成長…状況を見て、退却を選択できるようになっている…!
……うん、まあ、これも、考察ひっかかりポイントではあるんですよね。天伝のというより、序伝外伝あたりに顕著な、まんばちゃんの性格。
そもそも山姥切国広って、そこまで頑なな性格の刀かな…?と、ゲームやってみて思うんですよね。確かに写し関連はこじらせてはいるけれど、実力はあると自負してはいるようだし。
改めてジョ伝見返したのですが、主命第一の長谷部よりも勝利にこだわるまんばちゃんって、かなり珍しい部類の個体じゃないかな…と思って。
何が言いたいかというと、このステまんばちゃんには、一般的な山姥切国広に比べて、「失敗を受け入れがたい」という性格的特徴があるんじゃないかな、という気がしていて。だからこそ、前述のような考察になるわけですが…。まあ、あくまで自分の印象なんですけどね。


細かい考察小ネタいろいろ

・冒頭のアレ。

(空白)←三日月が顕現する頃の話?






无?
(空白)


(空白)


(なんかある?慶応甲府か?)

・秀吉が完全に確信犯な件。
ジョ伝見返したんですがね、官兵衛が捉えた秀吉の前で、弥助との会話で「刀剣男士」って言ってるんですよ。さらに、大団円のとき、秀吉もいる前で思いっきり、日本号とかへし切の御刀って言っちゃってるんですわ。そりゃ秀吉も察しますよね、えっこいつら刀なのか…って。
だからきっと秀吉は、一期一振ももしかしたら、そのうち人の姿になる、ってわかっていたんじゃないでしょうか。人の姿になって、秀頼を守ってくれるかもしれない、と。そうわかった上で、一期一振に願いを込めていたんだと思います。だって回想シーンでまずご本人ご出演だし、一期一振をしっかり握りしめてたから。そりゃあ声が残るってもんですよ。

・弥助に挙げられた、逸話の例を聞いて思ったこと。
茶坊主をへし切ったという逸話、家臣を手討ちにしたという逸話…そんな逸話が欲しい、だから刀剣男士を斬る、って弥助が言う場面。
示唆されたのは茶坊主=長谷部、家臣=歌仙or光忠、幽霊=青江、そして山姥切…長義か国広か。
そこで思い出したのが、科白劇の編成。亀甲以外は、「何かを斬った逸話」の強い子じゃん…幽霊、鵺、山姥切(本科)、篭手、家臣36人…この子たちなら強くいられる、闇落ちしなそう、と思って送り出された?

・地味に黒甲冑と伊達政宗やべえなと思った件。
だって弥助は刀剣男士を顕現できなかったのに、あの黒甲冑、どこまで政宗の意志かわからんけど、弥助と織田刀ができなかった「時を越える」ってことをやってのけてるんですから。永禄の変と文久土佐にいたので。なんなら文久土佐は放棄された世界なので、時間軸の移動さえしている。やべえな。

・悲伝との矛盾
悲伝で三日月は、長く戦っているけど、確たる歴史改変はなされていない、歴史を改変することなどできないのではないか、って言ってたけど。
いやいや、「滅びし数多の本丸」があるならば、バリバリ歴史改変されてるじゃないですか。ただ、たぶん、改変され次第、その時間軸は時の政府によって放棄されてるから、なかったことになってる、ってだけで。
歴史改変はなされているけれども、なされたそばからその時間軸は放棄されてなかったことになってるので、ステ本丸の三日月には見えていないだけ、ってことですね。

・鯰尾と一期の、ゲーム内回想のシーン。
虚伝「ここをやり直せば」「ダメだよ」
天伝「ここをやり直せば、と思ったこともあった」「ダメだよ」
今回、鯰尾もキャス変したのって一期が変わったからな気がします。
自分、キャストの違う刀剣男士は、三日月による円環周回の差分だと思っていて。三日月が何度も繰り返す、似たようで少しずつずれていく本丸の歴史の中に、染谷さんの鶴丸と一緒に巡った周と、健人くんの鶴丸と一緒に巡った周がそれぞれ複数ある、みたいな。で、たぶんだけど、この鶴でいえば、染鶴の周よりも健鶴の周の方が悲劇を回避できている。根拠は義伝でなんだかんだ大倶利伽羅も鶴丸も助かったこと。もしかしたら染鶴は自分が折れるか大倶利伽羅を折っているかもしれない。
で、それでいくと、今回の前嶋ずおちゃんと本田いち兄の周は、かなり周回を重ねて、かなり最善に近くなっている周なのかな、と思います。過去に周回した杉江ずおちゃんが、廣瀬いち兄と出陣したときには、ここをやり直せば、とちょっと本気で思ったかもしれない。でも前嶋ずおちゃんは、それを過去の感情として語っています。
こうしてまた、2振り男士が増えて、この子たちは円環を察しているのでは…?ってなっていくんですけどね。今回の粟田口3振りともか。怖いな。
黒田様は科白劇で、別時間軸の自分を意識できたから繰り返しに気づいた、って言ったんですよ。2振りいる子ってまさにこの、「別時間軸の自分がいる」状態なんですよね…。彼らは記憶を共有してるんだろうか?悲→慈の流れを見るに、三ばみちゃんの記憶を北ばみちゃんも受け取っていたように見えましたが、果たして无伝の三ばみちゃんは、この北ばみちゃんによる天伝の記憶を受け取っているのでしょうか…?

・ばみちゃんの記憶。どこで燃えたのかの認識。
序伝では長谷部がはっきり「骨喰は明暦の大火で燃えて」って言ってる。そして悲伝でも、明暦の大火ですべて燃えた、と骨喰自ら言っている。
でも天伝では、鯰尾と一期との会話で、どこで燃えたのか、ダメだ思い出せないって言ってる。…ん?
北ばみちゃんはどこで燃えたのかわかっていないけど、三ばみちゃんはわかっている、ということなのか…?
ちなみにゲームでは、極になる前はどこで燃えたのか思い出せないと言っていて、天伝がより近い。

・遡行軍にも「本能」はあるのか?
阿形が徳川家康を襲って、最初は刀剣男士をおびき出すつもりだったのに、家康があまりに戦ジャンキーなもんだから、気が変わった、おまえ殺す、って家康に襲いかかるところ。
やっぱり教育には限度があるのか?とも思ったけど、歴史を守るのが刀剣男士の本能、と同じく、歴史を変えるのが遡行軍の本能、だとしたら…?
それこそ、弥助が顕現しようとした織田刀は、完全に見た目が遡行軍だった。ああやって、不完全な形で顕現された刀剣男士のなりそこないが、遡行軍の正体、なのだとしたら。歴史に対する本能も、不完全な形で持ってしまうのでは…?歴史へ向ける気持ちはあっても、守る、ではなく、変える、になってしまうのでは…?

・なんでステ時間軸はこう何度も重なるのか。
ジョ伝のときと同じことが起きて、太閤とまんばたちは出会った。
順当に考えれば、これも三日月が何度も周回しているせいで、歴史の糸が絡まりもつれ合っているから…なのだろうが。
この時間軸の引き寄せをしているのは、三日月ではなく、まんばちゃん、という可能性も自分はまだ捨ててません…。
これは、ステ本丸そのものが最初っから放棄された世界で、竜馬やガラシャのような改変の因果にあたるのがまんばちゃん、という説を採った場合、になります。もし仮にここが、ガラシャの神の国のように、「まんばちゃんが望んだ世界」ならば、時間軸の重なりもまた、まんばちゃんの思うがまま、なのでは?現にジョではそれでなんとかなったわけだし。

・名前が挙がった刀剣男士まとめ。
清光が、国広を支える男士として挙げたのは、三日月、山伏、長谷部。
あとは帰り際のばみちゃんが、またあの弥助と会ったと言ったら、正国が驚くだろうな、と。やっぱりこっちの北ばみちゃんは同田貫と仲がいい。まあ三ばみちゃんが同田貫と会ってないだけかもだが、悲伝では名前すら出さなかったしなあ…。

・おそらく堀川国広はまだいない
清光、国広、と呼び合うのめっちゃエモエモのエモでしたけども。
新撰組ゆかりの清光が、和泉守兼定が堀川国広を大事な相棒として「国広」と呼んでいるのを知っていたら、それと紛らわしくなるような呼び方はさすがにしないような気がして。
つまり何が言いたいかというと、維伝はまだまだずっと先の話で、そこにいる土方組は、まだこの天伝の時点では顕現していないのではないでしょうか。堀川国広も、彼を国広と呼ぶ和泉守もいないからこその、この呼び名なのでは。

・TRUMP沼、通称繭期民の余談。
自分、末満氏の代表作「TRUMP」の大ファンで、なんならそれをきっかけに刀ステに来たのですが。今回のキャストで言うと弥助役の日南田さんがシリーズ作品に出てますね。あとは染鶴、燭台切、无伝のばみちゃん、鶯丸、南海先生、小夜ちゃん、亀甲さんなどが出てます。
で、今回、科白劇のとき以上に、TRUMPを想起させるしんどみポイントがいっぱいあって…!すみませんわかる人だけおつきあいください!
まず、真田十勇士の顕現を!!って言って真田の家臣たちが死ぬじゃないですか。で、そのあと信繁は、どうして顕現しない、って言うんですが、アーーーもうね、たくさんの死体を前にしてなぜ立ち上がらない!っていうのは、不老不死実験をしているファルスなんだよな…さも生き返るのが当然と期待して、なぜ!!!って叫ぶの、いや、ほんとはおかしいんだけど、でもその奇跡が起こってくれなきゃこの犠牲はなんなんだよ…!って気持ちなんですよねきっと。
そして、弥助による、諸説に逃がせるかどうかの「小手調べ」は、グランギニョルのイニシアチブ実験を思い出す。
さらに、弥助が遡行軍を身体に取り込み続けた、百や二百ではない、そのたびに生死をさまよった、って、それ黑世界雨下の章のシュカじゃん…リリーを見守るために、死んでしまった方がましだという苦痛を耐えて薬に適合したシュカ…ええ…何…?俺たちは刀ステを見ていたはずなのにいつの間にかTRUMPを見ていた…最新作の要素まで拾ってくるんじゃないよ…
で極めつけは!!!また山浦さんあなたか!!!!TRUMPでも刀ステでもラスボスはあなたなのか!!!!さっき共通してるキャストであえて挙げませんでしたけど。クラウスといい官兵衛といい、直接出演してないのにめっちゃくちゃ存在感出してくるの怖すぎるから!!!!


はあーーーー書き終わった。ギリギリ2万字行かない程度です。明日(もう日付越えてるけど)から无伝始まるじゃん!と思ってなんとか寝る前に仕上げたくて…。間に合ってよかった…。
なんかもう、考察に関しては、おとなしく作品を待とう!という気持ちも強くなってきています。无伝、そして綺伝までは決定しているわけですしね。三日月に染鶴に三ばみにと、重要人物ばっかりの无伝と、あのややこしい科白劇を解きほぐしてくれるであろう綺伝。おとなしくそこで描かれる物語を待ってから、またもぐもぐ考察したいと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!天伝ありがとう、ここから无伝ファイト―!!!!





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