演劇の毛利さんVol.1「天使は桜に舞い降りて」感想

よりによって今年初観劇が、雪に降られた日になるとは思いもしませんでしたが。昨日、初日を無事に観劇してきました。以下、感想と言うよりただの書き殴りメモですが、自分の記録用が第一なのでそのまま投稿します。

いろんなみっちゃんが見れました。ふざけ倒してるときのみっちゃん、絶対毛利さんが好きなタイプのエネルギーもってる。そして山賊声の演技も好きだけど、そこから「怖いものなんてねえ!…いや、…そうでもねえか」って切り替わるところのトーン!ふっ、と、儚げみっちゃんになるの…!!!この声がすごく好き。透明の奥に不安や恐怖があって。そう、骨喰藤四郎のときも、記憶のない透明じゃなくて、その後ろに三日月に対する何か含みがありそうな感じがしてる。ソフィアンダーソン?怖いよあの子は。あの子は狂う側でもあり、人を狂わせる側でもある。今回は、原作でも説明されない、桜の森の満開の不気味さが、じわじわ追い詰められていくみっちゃんの声で表現されていた。

あらやんと慎太郎くんが最初めっちゃ仲いい→片方が裏切る、をよりによってサンシャイン劇場でやるんじゃないよ!!!!(TRUMPシリーズのオタク)COCOONではすがるアンジェリコに対してラファエロが心を閉ざしたけど、今回は逆に、慎太郎くんが、え?そんなこと言ってないよ?って…。ここめっちゃこの2人のこと信じてたからええええ?!ってなった…。

みっちゃん、あらやん、慎太郎くんのCOCOON組はやっぱり、どの演出家さんでも、追い詰め倒したくなるのかな?(笑)みんなそれぞれの狂わされていくときがほんとに好き。前述のみっちゃんの、ノリノリ山賊からの恐怖と狂気もだけど、あらやんも声が印象に残った。直近で見たのは青江単騎だけど、また今回は違う追い詰められ方で。激昂したときの声の美しいハリ!!最後、ストーリー的には大団円みたいになったけど、個人的な欲求で言えば、もっとキレ倒してるのも見ていたかった←

慎太郎くんはさあ…直近で毛利さん演出の「DROP」を見ちゃってるから…あの狂ってしまってなお一途なボウルちゃんを…だからなんか、今思い返せば、ボウルちゃんみたいだなって感じたの、間違ってなかったんだなあ。どうしようもなく自分事なのに、他人事のような飄々とした距離感を作ろうとしていて。

ゆづちゃんは、なんかもう、性別どころか種族さえ超越してた。あれはもう、狐。それこそ愚かな人間の尺度では測れない。
座ってるときはもちろん獣っぽさが強いんだけど、立ってても人間の立ち方をしないんですよね。絶対バレエ経験者やんと思ってググったらビンゴでした。あのまともに足裏を使わない立ち方は簡単にはできないんですよ…(新体操習ってたけど足首硬すぎて何もできず終わった人の経験談)
2番目の十六桜を聞いてるとき、自害の場面が怖くて義経の肩に顔を埋めてるのがめっちゃ可愛かった!!!

伊崎くんがすごい意外だった!これまで2作品で見てて、どっちも素直にエネルギッシュな役(うち1つ獅子王ちゃんなので…)だったから、まさか、まず文ストか?みたいな勢いの(詳しく知りませんすみません)「俺」だったのもびっくりしたけど、いや、これもいい…!眼鏡、めっちゃ似合うじゃん…!
そしてさらに驚いたのが、あの衝撃的な展開から、身体の使い方がガラッと変わってて!!前半、「お前」の膝に足乗せて話聞いてるときなんかもう、嫌味なほどにぴしっと背筋伸びてて、「お前」が「俺」のことほんとは嫌いみたいなフラグも、まあさもありなん…と思ったけど。そのあと!殺されたあとから、急にしなやかに脱力するじゃん??すごくナチュラルになった。やっぱり運動神経いいんだなあ…。最初に見た舞台、「野球~飛行機雲のホームラン」なんですよ。あのキャストやっぱりみんなすごかったんだな…
今回、ブロマイドとかパンフレットの衣装といちばんギャップがあるのが、山賊のみっちゃんとこの伊崎くんじゃないだろうか(笑)みっちゃんのあれは、いい意味で儚げ詐欺。確かにそれもみっちゃんの魅力だけど他にもいろいろあるんですよ!(笑)そして伊崎くんは、ビジュかわいい~!からの、「俺」じゃん!?からのさらに、素直になったな!!って三段構え。

あと義経の人が!初めて見る、相澤莉多くん。声がめちゃめちゃよかった…!すごい、もう、第一声から、義経だ!ってなったし、なんか、歌舞伎とかそちらの伝統芸能方面からいらっしゃった…?って思った。それくらい声のハリが綺麗で、なおかつ時代ものに合う感じ。

人間には再生する価値があるか。いやーまあ、個人的には、価値はなくてもいいけど、生まれちまったからには生きるし、自分は子孫を残したいと思わないけど、そう思う人が一人でもいる限りはまあそれを無理に止めることはできないよね~、んで結局なんやかんやゼロにはならないよね~、くらいに思ってますけど。
まあやっぱり最終的な結論もそんな感じなのかな。結局、理論的に人間素晴らしい!とはならないんですよ。いやだって、作品のチョイスよ。この4作品で人間素晴らしい!とはならんでしょう。でも、天使が客観的に見て素晴らしいと思えなくても、個々の信念や営みまでは邪魔できない。クロセルの結論は、人間の素晴らしさを理解したというより、逆に人間わけわかんなすぎて、いやまあわからんけどとりあえず必死さだけはめちゃくちゃわかったよ!個々の信念の理解はできないけど、とりあえず信念持ってやりたいように生きてるってのだけはわかった!それを止める権利は私にはない!ってことでしょう。だって自分も、お兄ちゃん救いたい、で動いてたから。そういう、信念の中身までは知らんけどそれがあるのはわかった、ってやつだと思った。

毛利さんの演劇見てほぼ毎回思い出すのが、自分が劇場に見に行った初めての社中本公演になる?「アマテラス」の、「でも、そんな人間が、好き!」ってやつで。(これザンヨウコさんのセリフじゃなかった?他にも何人かいるんですが)今回もそういう感じのメッセージとも受け取れるけど、どっちかというと、「ピカレスク★セブン」のメッセージの方がより近いかも。あれは悪人=生きるエネルギーに満ちあふれて我が道を行く人、って解釈で、この悪は誰にも止められねえぜ!みたいな。人間の愚かさを直接愛するというよりも、好き勝手やってるのを止める権利は誰にもない、という方の。これは毛利さんの中だけのメッセージの変化じゃなくて、この多様性の時代を受けて、ってことなのかな。

そして人間讃歌にもう1つ、創作の話挟まってくるのも、ああ毛利さんだなあ、って感じがした。でも、そう、一回作ってしまったものを、ナシにはできないんですよ。テキストデータとかならまだしも、モノはもう、無理。毛利さん自身も自分で自分の作品を肯定していきたい、みたいな感じなんでしょうかねえ。
創造主すら苦しんでるんだから生きる人間が苦しむのは当たり前、はめちゃくちゃ解釈一致。昔、文芸サークルで、作者も登場人物ももっと苦しめ、みたいなことを言ってたので。だって苦しみがないと物語が生まれなくないですか?

クロセルが心変わりして、そこからラウム、そして桜と順番に立ちふさがっていくの、すごく特撮の盛り上がり方~と思いましたが、さておき。
ちょうどあらやん主演、末満さん作のムビステ第3弾が発表され、ついに東映が末満さんをがっつり起用する…!!というタイミングで。
自分、特撮出身キャストから演劇入って毛利さん末満さんにたどり着いたルートのオタクなんですけど、これまでこの2人の作品を、ハッピーエンドとバッドエンド、陽と陰、交互に見たら温冷浴!とかって思ってたんですね。温冷浴ってのはまあ、温度差で無理矢理身体をほぐすのと同じで、心の強制ストレッチ!みたいな意味で。
でも今回の作品を見て、2人の特徴をより的確に表す言葉を見つけたかもしれない。
毛利さん作品は、コミュニケーションが成立する。一方で末満さん作品は、ディスコミュニケーションのまま終わる。

これ、なんか、根が深い感じがしてちょっと嫌になりますね。だって、コミュニケーションが成功することが、ハッピーエンドだ、と捉えているってことはつまり、コミュニケーションできることがいいこと、とこの社会に思い込まされてるようで。コミュニケーション力は大事、と就活とかで声高に言われる、あのうさんくささに乗せられてる感じで。
まあ、コミュニケーションが成功して全員が同じ意見に達するときというのは、だいたいがいい方向の意見で一致するから、それでハッピーになりやすい、というのもありますが。悪い方向の意見で全員一致、はなかなかなさそう。

なんだろう、毛利さんのは今回の作品のように、どんどんみんなの意見がまとまっていくのに、末満さんの場合逆に、そこ繋がってないんかい!いやそこも一枚岩じゃないんかーい!って、どんどんバラバラになっていくのかも。そして死屍累々☆

まあ自分がどっちが好きかって話をするならそりゃあもちろん、ディスコミュニケーションの方なんですけどね!!だって全員とコミュニケーション成功するなんて御伽噺、ファンタジーでしょう。ありえないって。
毛利さん作品でも、大団円ではありつつも、そこに接続しない、ディスコミュニケーションの表現として残るキャラクターがいることもあるんですけどね。それこそアマテラスは、「でも、そんな人間が、好き!」と言われた神の一人は、そのままバトルに敗北して退場だし、ピカレスクセブンはなんというか…たぶん悪人たち同士のコミュニケーションは成立していない(笑)パラノイアサーカスも、あの主人公の頭の中は誰かと共有できるものではないし、あとディスコミュニケーションではないけど、モマで、あの子が一人残って…!!!ここがすごく好き…。

十六桜の話してるとき、クロセルが最初すんごい興味なさそうにしてたのに、老人の家族が死んでいくところから急に老人の方をちゃんと見て話聞き始めたから、お、この子も悲劇好きか?人が死ぬ話好きか?と、ちょっと親近感わいたんですけどねえ。
最終的に全員の説得成功しちゃったから…。

まあーーーだから、ちょっと関係ない話しますけど、だから特撮が好きなんですよね。悪役、怪人、というフォーマットがある以上、絶対にそこにディスコミュニケーションがあるから。わかり合えない敵、という型が好きなんですね。まあ平成1期のライダーは、ライダー同士も全くコミュニケーション成立してなくて、一回ちょっと全員集まって話し合って!!それで済むことも絶対あるから!!って感じなんですが…。でもそのあと、複数ライダーがなんだかんだありつつ共闘して敵を倒す平成2期を経て、令和ライダーは、敵とらコミュニケーション成功しちゃうんですよね…。なんかこの、輪に入らない人を残さない、っての、時代の流れなのかなあ…。スマホが普及した今、ガラケー主流の平成1期を見るとほんとに、あまりのコミュニケーション不足にイライラしちゃうくらいなんですけど、何でもかんでもコミュニケーション成功させようとするよりは好きかなあ…。平成2期の、仲間とのすれ違いはなんとかして、敵はきっちり退場させる、あのバランスがちょうど良かったんだけどな…。

大きく脱線してしまった。個人的にはディスコミュニケーションの方が好みって話ですけど、とはいえ今作は、前述のように特撮みたいな小ボス中ボスラスボス、みたいな流れで気持ちよく結論に持っていかれたので、新年初観劇としてはとっても気持ちのいいものでした。

そして今回も前半でかなり声についての感想を書きましたけど、これ、生で観劇したときしか出てこない感想なんですよね。配信で見てももちろん、演技とかストーリーとかはいろいろ感じ取れるけど、声のこの透明感とかハリとかは、生で見た舞台でしか感じ取れない。昨年観に行った「ID」の感想でも、砂川くんの声がよかった!って書いてるし、うん、やっぱり、生の観劇はいいですね…。

また感染だ宣言だとなって東京が封鎖される前に、この物語のためだけに東京に行ってよかった。またそんな観劇体験がしたいです。

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