私の記憶に残したい食べ物「かすべ編」

子供の頃、「好きな食べ物は何?」と聞かれると普通の一般的な子供が本当に好きそうな食べ物をあげていた。

ハンバーグとか、カレーとか、チョコレートとか・・・。

それが大人になるにつれ変化していった。

コーヒーだったり、

白飯だったり、

ビールだったり、

ビールだったり、

ビールだったり。

じゃあ、現時点で「死ぬ前に何が食べたい?」と聞かれると・・・。

やっぱりビールだったりする。


ま、とにかく。食べ物の好みは変わってくるということだ。


そんな私は結婚して娘を産み、その娘も結婚して妊娠中である。

「あぁ、命はこうやって繋がっていくんだなぁ」と思うと同時に、自分がどんどん母に似てきているということに気づく。

その似ている部分が外見だけではなく、嗜好も似てきているということに気が付いた。自分が子供の頃には全く食べようとしなかったものを、今かなり積極的に食べようとしているのだ。

ある意味、味覚や嗜好も繋がっているのかも。


網走で弁当屋を営む我が実家。私が幼稚園の時からなので数十年たっている。両親は高齢だけど今でも弁当やらおかずやら作って商売している。

だから、仕入先の魚屋さん経由で漁師の知り合いも多い。農家の知り合いもいる。そして、長年ひいきにしてくれているお客さんも多いし友人も多い。

そうなるとかなりの頻度で今の自分じゃ買えないような食材や珍しい食材がが食卓に並ぶ。安く買えたり、みんながくれたりするるのだ。「ちょっとこれ食べて~!」と持ってきてくれるのだ。

その状態を普通だと思っていた私は、毛ガニは漁師さんから貰うものだし、いずしは交換するものだし、ホッケの開きは一人1枚だし、キンキの煮つけはいつでも出てくるし、いくらはかけ放題だと思っていた。

網走の魚は本当に美味しい。札幌に住むようになってから網走で食べていた魚が特別に美味しかったんだということがよーくわかった。

ところが、そんな「魚大好き! 美味しい!」と思っていた私が小学生の時、衝撃的な食材に出会うのである。

ある日の晩ごはん、テーブルの上には見たこともない謎の物体の煮つけがのっかっていたのである。子供ごころにその物体は魚の何かであることは察することができた。煮つけの色もいつもの色。でも、あまりにも謎すぎる外見だったのだ。

細い長い白身が切り身の中に繊維のように綺麗に並んでいた。更に骨っぽいものも一緒に繊維のようになっていて煮付けられて色がついている。半透明っぽい骨みたいで。

パッと見、美味しそうに見えるっちゃあ見えるのだが、正直な感想としては「食べるところが少ない」

何故なら骨っぽいところの比率が多かったのだ。

謎の煮つけを見つめながら小学生ながらに一生懸命考えた。なんだろなー?なんだべなー?何かに似てるんだよなー・・・。なんだべー?

したっけ、私はひらめいた!

そうだ! 笛だ! 外国の笛だ! ペルーとかそこら辺の笛だ! 教科書で見た笛だ! あの笛に似てるんだ!

「いただきます」と、両親と弟がテーブルに付き食べ始める。そして私は母に聞く。

「これ、なに?」

「かすべだよ」   

かすべ? かすべ・・・。 かすべ・・・とは?

「かすべは・・かすべだべさ」

母はそういうとそのかすべの煮つけをバリバリボリボリという音を立てながら美味しそうに食べた。

「なにそれ! 骨も食べれるのおおおお?」 私はびっくりした。ついでに弟もびっくりしてた。

本当に衝撃的だった。魚の煮つけをバリボリと音をたてて食べるなんて。骨ごと食べるだなんて・・・。しかも、美味しそうに・・・。目線を移すと父もかすべを豪快に食べていた。本当に美味しそう・・・。

母は、驚く私と弟の顔がよっぽどおかしかったんだろう。半分笑いながら「いいから食べてみなさい」とかすべの煮つけを私達に差し出した。

「この軟骨がおいしいのさー。ねぇ、お父さん?」

「うん、美味いな」

バリボリ。バリボリ。煮つけの音じゃない。バリボリ。

音が美味しそう。バリボリ。ちょっと食べたい気もしてきた小学生の私。端っこの薄いところなら食べれるかもしれない。どこが身でどこが骨なのかわからないけど。いや、全部骨なのかもしれない。

でも、しっかり味が染み込んでそうで美味しそうに見えてきた。

箸でつまんで口に入れる。味はいつもの煮つけの味。あまじょっぱいちょいと濃いめの味。

で、噛む。

ポリ・・・。

その瞬間、頭が混乱する。なぜなら今まで食べたことのない食感だったからだ。どの食べ物でも感じたことのない食感。歯ごたえのある魚系の煮物に頭が、脳みそが混乱し惑わされる。

美味しいかどうかも分からなくなってきた。

というか、これは食べて大丈夫なのか?

「美味しいかい?」母は笑顔で聞く。

「子供には早いかもな」と父。

噛んだかすべの煮つけを水で流し込む私。

「おいしいかどうかわからん・・・」

「あーあ、こんなに美味しいのにねぇ。お母さん、かすべ大好きなのにー」

その後、何度も食卓にはかすべの煮つけが並んだが、私は一切手を付ける事はなかった。子供はあきらめが早い。食べれないものは食べれないのだ。

で、結局「かすべ」って何?



時は流れに流れ。私は結婚をして一児の母となった。娘はすくすくと育ち小学生となった。ある日、いつものスーパーで家族3人で買い物をしていたら鮮魚コーナーにあるものを見つけたのだった。

「あ、かすべだ・・・」

そう、かすべ。あの「かすべ」である。その昔、母が、父が、バリボリと食べていた「かすべ」である。

私は思わず魚コーナーに並んでいたかすべを手に取り、「煮つけにしよう!」と思った。今の私ならかすべの美味しさを母と共有できると思ったのだ。

「ねぇ、かすべ食べたことある?」 私は夫に聞くと「食べたことない。何それ?」と想像通りの応えが返ってきた。

ほぉ、君もかすべを食べたことが無かったのか。そりゃ好都合だ。少しまずくても言い訳が出来そう。そんなことを考えながら、私はかすべを籠に入れた。

すると娘が「お母さん、かすべって何?」と聞いてきた。
そうだよね、聞くよね?
それは正しい疑問だよ、娘。
歳を重ね、疑問をすでに解決済みだった私はどや顔で答えた。

「エイだよ」

そう、かすべはエイの仲間。大人になっていくうちにかすべがエイだという事を私も分かってきたのである。ただ、娘は「エイって何?」と聞いてきた。

あ、失敗した。この後、娘にエイの姿を見せたら絶対食べようとしないよな。そう思ったらつい雑な説明になってしまった。

「ま、そうだね。平べったい魚でね、これはヒレの部分かなぁ」

ざっくり。
ざっくりな答え。
娘は小さい故になかなか想像がつかないようだった。

とはいえ、今日の晩ごはんに出すことは決めたので、私は1パック450円くらいのかすべを購入し煮つけを作ることにした。


鍋に煮つけ用のたれを作り、とりあえずかすべを煮付けてみた。
作りながら「何年ぶりだべなぁ」と思いながら味を想像してみた。
小学生以来だから、そりゃ、もう、あなた、数十年ぶりですよ。
小学生の時に食べたひと口以来ですよ。
そんなものを今、大人になった今、作って食べようとしている。
ある意味、すごいチャレンジだったと思う。

出来上がったかすべはそれはもう美味しそうで。
母が作ったかすべの煮つけにそっくりで。
煮つけだからどんな魚でも同じ味だろうけど。

さて、夫と娘は食べるのか?

初めて見るかすべの煮つけに夫と娘は興味津々だった。
だが、手を付けたのは二人とも「身」の部分だけ。
「この軟骨が美味しいのに~」と私が言っても二人とも食べない。
そして、バリボリと音をたてる私を不思議そうな目で見る。

「この軟骨が美味しいのになぁ、ホントに」

母の気持ちが分かったよ。


その後、かすべは何度か食卓にあがったおかげで、夫は軟骨も美味しく食べる事が出来る様になり、娘も大人になって少し食べる事ができるようになった。

親が美味しそうに食べてるものの記憶は子供にも残っているのかもしれない。と、最近思うようになっている。
だから、小学生の時にひと口で諦めたかすべを大人になって食べる事が出来たのかもしれない。


「美味しい」の共有は嬉しい。そして、大切。


で、次は、「いずし」を共有したいのだが・・・・。
これは、かなりハードルが高いのだ。
未だに共有出来ていない。(笑)
美味しいのになぁ( ;∀;)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?