正義への違和感
ども。わたくしです。
お暑うございます。
実は、というほどではないのですが、意見を述べたい事があって何度も何度もTwitterに書き込もうとしたんですが、うまく纏まらなくて。
じゃ、こっちに書けばいいじゃないかと思うも、久しぶりすぎて纏まらなくて・・・( ;∀;)
さて、わたくしが何を書きたいのかというと、先日のコンサの試合、神戸戦のゴール裏問題に関することです。
色々な方が色々な意見を言って、コンサのサポーター内が分裂するのではないかと思うほどです。
嫌だなぁ、なんだかなぁ、どうにかならんかなぁ、などとおばちゃんは思うのです。
で、そんなもやもやした状況のわたくしに飛び込んできたのは、先輩サポさんのnoteでした。
皆さんご存じのあきっくさんのnoteです。
リンク張っていいのかわからないので張りませんが(笑)、それはそれは素晴らしく整理された内容で、「同意!同意です!」としか言いようがありませんでした。
ご本人様にはお伝えしてませんがね。
いいねボタンは押しましたけどね。
とにかく、第1段階での頭の整理がつきました。
ありがとうございます。
そして、そのおかげできちんと文章で整理しようという気持ちになりました。
本当にありがとうございます。
ということで、ここからが一番言いたいこと。
彼らがその行動を起こしてしまった原因には、私達他人事(ひとごと)サポーターの存在もある。ということ。
選手がピッチで戦っているときに、私達他人事サポーターはかってにゴール裏に勝負をつけている。
「今日のゴール裏は声が出てるからあっちより勝ってる」
「あっちのゴール裏は少ないのに声が出てる。こっちも負けるな」
「コレオがすごいぞ! こっちの方が勝ってるぞ!」
「こんな声の出ていないゴール裏では選手たちを鼓舞できんぞ」
などなどなど。
それぞれの求めるゴール裏があって、それに近づけるようにゴール裏で熱く応援する人達がいるのは当たり前である。当たり前だ。自分でそうなりたいんだもの。
でも、私達他人事サポーターは自分の求めるゴール裏を勝手にゴール裏のみなさんに求めているような気がする。
その勝手に求めているゴール裏像が、知らないうちに実際のゴール裏の皆さんに圧力をかけてしまっているのではないだろうか。期待に応えさせようとしてるのではないだろうか。
で、今回のことである。
今回の行動をさせてしまったのは誰なのか。
本当にゴール裏の皆さんだけの問題なのか。
その行動にいたるまでの原因の一つに、私達他人事サポーターが関与しているのではないのか。
そんな私達他人事サポーターが正義だけを振りかざしていいのだろうか。
わたくしの正義への違和感はこれなのである。
私だって大人なのでダメなものはダメということはよーくわかっている。
でも、他の皆さんのように言い切れないのである。
「あんたが悪い」と言い切れない。
だって、自分もこの行動の一旦を担っている可能性があるから。
だから、私も悪い。
それなら、どうしたら良かったのかと聞かれるとわからない。
購入した座席どおりに座るのが一番良かったのかもしれないけど、きっと文句を言う。
「大切な試合の応援なのに、どうしてあんな緩い感じのゴール裏なの?」とか、「なんでもっと考えないの?考えて応援しないの?」とか。
あぁ、難しい。
難しいねぇ。
異論は結構です。
それと、嫌われてるとちょっとのことで足元すくわれるから気を付けようと思った。
ざっくりと書いたので意味不明部分多し。
しゃーなし。
ではでは。
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