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おばぁとハル子おばさんから学んだ幸せな生き方

先週、僕が大好きなおばぁ(母方の祖母)が95歳で天命を全うした。
亡くなる3日前には、娘をつれて最期のお別れの言葉もかけることができたので、心の準備期間も確保でき、穏やかな気持ちで見送ることができた。

僕の両親は共働きだったから、僕が生まれてすぐ、育児面でのサポートを得るために、那覇でのアパート暮らしに見切りをつけて、母方のおばぁの家の近くに家を買って引っ越したのだった。
おばぁの家は本島南部の東風平(こちんだ:現八重瀬)町富盛という地域で、面積のほとんどがさとうきび畑、約400世帯、近くに海はないけど沖縄らしい風景が広がるド田舎にある。

おばぁの家

僕が保育園や幼稚園の頃は、おじぃも会社員として働いていたので、毎日ハルサー(農家)のおばぁは僕を園まで迎えに来てくれた。
小学校の頃は、学校が終わったらおばぁの家にランドセルを置いて、近所の友達と日が暮れるまで遊び、お風呂と宿題が終わった頃に親が迎えに来て、おばぁが作ってくれた夕飯をみんなで囲んで帰るのが日課だった。
そういう生活だったので、僕は小学校までは実家にいる時間よりもおばぁの家にいる時間の方が長く、実家よりもおばぁの家で育ったという感覚だ。

おばぁはいつでも穏やかで、だれに対しても分け隔てなく接する人だった。
そして、おばぁの家に毎日ユンタク(おしゃべり)をするために訪れるおばぁの友達も穏やかな人ばかりで、おばぁ本人も含めて周囲の人たちはいつでも幸せそうだった。

おばぁはよく「大事なのは心だよー。でぃきやー(勉強ができる人)でも、お金持ちでも、ちゅらかーぎー(容姿が良い人)でも、心が無い人はかわいそうさー。」と言っていた。

おばぁの実家は貧しかったため、幼いころに親戚に養子に出されたらしい。
自分から子供の頃の話をすることはなかったので、きっと苦労したんだと思う。
あと、おばぁの背中には戦争で砲弾を受けた大きな傷痕があった。
4人に1人が亡くなったといわれる沖縄戦。
特に多くの死者を出した沖縄本島南部で、10代の女の子が生き伸びたのは奇跡的な確率だったのかもしれない。

おばぁは、自分から戦争体験について語ることはほとんどなかったが、僕が聞いたときには、以下のようなことを話してくれた。

あのときはアメリカー(兵)に捕まると、ひどいことをされると教えられていたけど、アメリカーも同じ人間だからねー
そんなにひどいことをするわけはないと思っていたさー
アメリカーに捕まりそうになったら、自決しなさいと教えられていたけど、これはたぶん間違っていると思ったねー
私たち親戚は、逃げるだけで戦う武器も持っていなかったから、アメリカーに見つかったときは、自決も抵抗もせずに捕まろうねーって言ってたわけさー
「命(ぬち)どぅ宝」だからねー
そしたら、すぐ捕まったけど、ちゃんと生きられたさー
アメリカーからひどいことはされなかったし、いい人たちもたくさんいたよー
うちなーんちゅも、やまとんちゅも、アメリカーも、同じ人間で、ちゃんと心があるから

集団自決した人もいた沖縄戦。
おばぁは、性善説を信じる人だったことで命拾いをしたのかもしれない。

おばぁ、生き延びてくれてありがとう!!

おばぁの家に毎日来る友達の1人にハル子おばさんという人がいた。
おばさんというのは、僕の母がそう呼んでいたからで、おばぁと変わらない年齢の女性だ。
ハル子おばさんは、おばぁの少し年下の幼馴染で、沖縄戦で逃げているうちに歩けなくなっていたところをおばぁが背中におぶって一緒に逃げ、生き延びたそうだ。
ハル子おばさんは戦争で両親や親戚を亡くし、戦争孤児となってしまったらしいのだが、ハル子おばさんが大人になるまで、おばぁの妹として一緒に暮らしていたんだとか。
ハル子おばさんは、ほぼ毎日、畑作業が終わった夕方におばぁに会いに来て、うちなーぐち(方言)でいつも楽しそうに10~30分くらい話をして、たまに畑で取れた野菜を「採れすぎちゃったから~」といって、置いていったり、お互いの野菜を交換したりしていた。
2人が話している内容は、うちなーぐちが強すぎて2割くらいしか聞き取れなかったけど「今日は涼しかったから畑仕事がはかどったねー」とか、「隣の畑の〇〇さんの人参が立派だったよー」とか、僕から見ると刺激のない話題だった。
それでも毎日、目を輝かせながらイキイキとユンタクしていて、僕は幼いながらに、2人の間に幸福な時間が流れているのを感じ、こちらまで幸せな気分になったのをよく覚えている。

1日の仕事が終わったあとに、わずかな時間でも好きな人と会話をして、お互いの仕事の成果の一部を分け与えあって、「ありがとう」や「大変だったね、お疲れさま」を交換することが、毎日を幸せに過ごす秘訣なのかなと思う。

僕も毎日少しでもいいから、家族や友人や同僚など、好きな人達とユンタクして、「ありがとう」や「大変だったね、お疲れさま」や「おめでとう、乾杯!(笑)」を交換する時間を持つように心がけようと思う。

おばぁに会えなくなるのは少し淋しいけど、これまでたくさんのことを教えてくれて、愛情を注ぎながら育ててくれてありがとう!

おばぁのように、性善説を信じながらも自分の頭で考えて、周りの人たちを幸せにしながら長生きするのは僕の目標だよ!
これからも見守っていて下さい!

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