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苦労した時に人格者となり、成功した時に謙虚になるために必要なこととは

時に、人格的に立派な人の話しの中で、その人格の背景について「あの人は苦労人ですから」という話になることがあるかもしれません。しかし、苦労人であれば誰もが人格的に立派になるのでしょうか。
 
このことについて書かれた本があります。それは戦前に「修身」と言われた道徳の先生だった森信三さんの授業が描かれた「修身教授録」です。この中で、森先生は苦労人というだけで自然に人格者になるわけではないと言われています。
 
苦労人が人格者になるには、2つのことが必要だと書かれています。1つ目は、苦労人になった時に、他人の気持ちを想像できる素質をもっていることです。この素質は生まれもったものだと言われています。
 
しかし、この素質をもっていなくても、苦労人が人格者となることがあります。それが2つ目ですが、これは「自分が苦しんだことは、相手も苦しまないように配慮する」ということを学ぶことです。素質は生まれもったものですが、生まれた後に後天的に学ぶことができるのです。
 
素質も学びもなければどうなるのでしょうか。苦労により人格的に歪み、屈折することもあるでしょう。むしろ、世の中全体ではそちらの方が多いかもしれません。
 
ここまでは森先生が話されていることですが、苦労人の逆の成功者にも同じことがないでしょうか。「実るほど、頭が垂れる稲穂かな」とあるように、成功するほど謙虚な人もいます。しかし、成功するほど自己顕示が強い人もいて、むしろその方が多数ではないでしょうか。
 
これも、成功した時に他者に配慮する素質や学びがあれば、その結果として謙虚になります。しかし、素質や学びがなければ、「もっと認められたい」という自己顕示欲だけが表に出ます。そうした振る舞いは周りを不快にさせるだけです。
 
この成功というのは、有名人や大富豪ということだけでなく、私達のちょっとした成功も含まれるのです。否、語るに足らないような「ちょっとした成功」こそ、こうした危険があり、気を付けたいものです。

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