見出し画像

若さゆえに悲劇となったローマ皇帝たち

先週は塩野七生さんの名著「ローマ人の物語」の第7巻、「悪名高き皇帝たち」を読みました。この「ローマ人の物語」は大著である為、断続的に年4冊程度のペースで読み進みています。
大著ではあるのですが、私はだんだんこのシリーズが楽しくなってきました。
 
塩野さんの書き方が上手なのもあるのだと思いますが、読んでいて頭の中で映像化がしやすい本です。ただ、戦争のシーンになると、恐らく動態変化が激しいからだと思うのですが、頭の中で映像化が難しくなります。その点、第7巻はほとんど戦争シーンがなかった為、ほぼ頭の中でイメージしながら読み切れました。
 
この第7巻「悪名高き皇帝たち」は、ローマ帝国第2代ティベリウス帝(紀元前42年~紀元後37年)、第3代カリグラ帝(紀元後12年~41年)、第4代クラウディウス帝(紀元前10年~紀元後54年)、第5代ネロ帝(紀元後37年~68年)の4人の皇帝を取り上げています。
 
「悪名高き皇帝たち」という題名ですが、あきらかに後世まで悪名高く評価されているのは、第3代カリグラ帝と第5代ネロ帝です。
 
第4代クラウディウス帝は色々問題あったと思いますが、「悪名高き」とまで言うのは少々酷に思います。そして、第2代ティベリウス帝は悪名高いところか、初代アウグスティヌス帝とともにローマ帝国の礎を築いたと考えられ、名君として評価してよいと考えます。国際政治学者としても高名であった高坂 正堯先生等からも名君として評価されています。
 
一方で、カリグラ帝とネロ帝は確かに「悪名高き」と言われて仕方がない事績を数々残しました。その詳細は割愛しますが、なぜこの二人がそのようになってしまったのか考えました。
 
私は、大きかった理由として、二人とも若くして皇帝になってしまったことを考えます。カリグラ帝は25歳、ネロ帝に至っては17歳での即位です。
昔の寿命を考えたらそんなものでは、と思われるかもしれませんが、当時のローマ社会は適度にシニアにならないと要職に就けない社会で、その中ではかなり若い年代でした。
 
もちろん、若いことが、即、悪名高くなるような事績に繋がるわけではありません。
 
そうではあるのですが、この二人の事績、振る舞いをみていると、「自分の取組み、振る舞いに対して、社会全体がどのように捉えるか、大衆・民衆はどのように感じるのか、(国会に相当する)元老院がどのように考えるのか」を想像する力が不足しており、その為の経験も不足していたと感じるのです。
 
そして、二人とも、自分達の取組み、振る舞いが、悪意なく、真っすぐな気持ちが出ているから、たちが悪い。悪意ある思いというのは、実は長続きしません。なぜなら人はずっと悪人でいることはできないからです。しかし、善意で、真っすぐな気持ちなら、ずっと取組み、振る舞い続けることができるのです。他人の迷惑は関係なく。
 
そして、社会の捉え方、大衆・民衆の気持ち、元老院の考えが理解しきれなかった二人の皇帝たちは、カリグラ帝は暗殺され、ネロ帝は反乱の末に自殺に追い込まれます。
 
その点、残り二人のティベリウス帝、クラウディウス帝は様々な苦労の末に皇帝になっただけあり、二人の皇帝のような形での結末には至りませんでした。
 
現代において、時代の変化に対応していく為にも、若い世代の活躍も必要となりますが、同時に人間的な成熟も必要だと考える故事だと感じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?