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電気のおはなしその81・エネルギ収支から見た再生可能エネルギ発電

私が小学生の頃、「ン十年後には海面上昇によって東京都の東側は水没する」とか、「太平洋の小島は軒並み水没して消滅する」とか言われてたものですが、現実にはそうなっていません。無論、このン十年の間に技術革新が進み、チキュウオンダンカが抑止できたから!
かどうかは分かりませんが。
昨今は相変わらず二酸化炭素抑制とかSDGsとかスローガンが踊っていますが、まあその事の是非は置いといて。

今回は、太陽光発電や風力発電のエネルギ収支ってどうなの?という話をしてみたいと思いますよ。

地球上で生物が生きるためのエネルギ源は、100%太陽からの光や熱エネルギです。石炭や石油、天然ガスなどは、太古の昔に地球上に降り注いだエネルギを使って光合成を行い、炭素や水素の連鎖といった化学エネルギの形でエネルギを固定化したものを、何億年後に掘り出して消費している訳です。
では、その当時地球に降り注いだエネルギのうち何パーセントが化学エネルギとして保存されたかと言えば、0.000000…、つまり10のマイナス何十乗という値になるはずです。天文学的に小さな値であるはず。
それに対して、「今現在降り注いでいる光エネルギ」を10~20%の効率で、その場で電気エネルギに変換することができる太陽電池は、エネルギ源である太陽光から保存可能なエネルギに変換するグロスの効率としては、画期的に高効率であることが分かります。私が太陽光発電によるエネルギ確保に対して全面的に賛成している理由がこれです。

太陽光発電パネルを設置し、光エネルギの10%を電力に変換したとします。残りの90%はどこに行ったかと言えば、地面を加熱するために使われます。もし太陽光発電パネルが無ければ、100%が地面を加熱するために使われるので、いわゆる"地球温暖化対策"としても極めて効率的であることは間違いありません。

いや、100%地面を温めるわけではなく、大気を直接温めるためにも使われるでしょう?という突っ込みもありますが、割合的にはほぼ100%が地面の過熱と考えていいと思いますので、そう書いてます。

問題は、誰もがご存じの通り、電気は電気の形で貯蔵することができないという点にあります。電力貯蔵技術としては、大規模な充電池を用意して化学エネルギの形で保存したり、フライホイールを用いて運動エネルギにしたり、あるいは揚水発電で位置エネルギにしたりして保存しているわけですが、太陽光発電のピーク時には貯蔵し切れず余らせている、というニュースもちらほら聞こえてきます。

私は2000年の夏ごろ、大学の「知的財産権法特論」かなんかの授業で、先生が

日本の技術は世界一。近隣諸国が台頭してきても、これは破られることはない。

と豪語するのを聞いて、

そりゃ無い。中国をはじめとした東アジア諸国を舐めすぎ。10年、20年経ったら、絶対中国に技術的にも抜かされてしまう。

と思ったものです。そして、当時亀山モデルの液晶が流行して一時的に勢いを取り戻したシャープについて、

これからは太陽光発電の時代。亀山液晶の稼ぎを全力で次世代太陽電池の開発生産に振り向けることで、今後の世界的なイニシアチブを取るべきだ

と思ったもんです。まぁ、そうならずに全部(ダメな方の)予想通りになってしまいましたけどね。

自然エネルギ発電と言えば、地味ですが風力や地熱も存在します。風力については、太陽光程の直接性は無いものの、地球に降り注いだエネルギを海水温度といった形で大きく平準化し、その熱の偏りによって引き起こされる風力を使っているということから、大元の太陽光として降り注いだエネルギを電気に変換している、という意味のエネルギ変換効率の点では大きく劣りますが、平準化した結果、土地を選べば24時間発電することができるという意味で、太陽光を十分に補完するエネルギ源となります。もとより、石炭や石油を使用した場合のグロスでの変換効率に比べると、かなり高効率であるはずです。

こういう視点でエネルギ収支を考えると、元々自然エネルギ発電である水力と太陽光・風力を組み合わせ、揚水発電や大規模な電力貯蔵用電池の開発を強力に推し進めていく、という結論しか残らないと思っています。

もっとも。

地中に存在する化石燃料をこのまま使い続けたところで、人類が消滅する方が先なのではないか、という気もするんですけどね。

以上。

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