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3 九郎に恋した私です〈Ⅰ〉(カラス)

 この夏、1992年、何の前触れもなく、一羽のカラスがK小学校にやってきた。性別不詳ながら、愛を込めて「九郎」と名付けた。
 しかし、九郎との出会いからわずか1か月半で、彼との永久の別れが訪れた。
 なぜ?どのようになって? この疑問は永遠に溶けることはない。彼の残した愛くるしく鮮烈な思い出も、また、消えることはない。私とK校の教師たちと子どもたちの中で。
 

〈Ⅰ〉 九郎と出会ったのは、ね

 九郎がK小学校にやってきたのは6月も末だったでしょうか。
 その日の夕方、職員用の下駄箱にカラスが一羽しょんぼりたたずんでいたそうです
 次の朝、M先生が彼を捕まえ、段ボール箱に入れて保護しました。彼は逃げようとはしませんでした。いや、逃げる余力などなかったのかもしれません。
 彼のくちばしはかけ、左脚は折れ曲がり、上向きになっていました。
 子供たちは段ボール箱の周りを取り囲み、物珍しさと哀れみの眼差しで大騒ぎしていました。

 そのころ、飼育舎で飼っている鳥たちのえさ用に、渡り廊下へ飼料や給食で残ったパンを集めて置いてありました。
 やがて、九郎は、そこに食べ物を求めて来るようになりました。
 「食べるかな?」と、思って、そのパンを小さくちぎり投げ与えると、オットセイがボールを受けるように、うまく受け取って食べるのです。足が不自由なので、首を動かせる範囲を超えると受け取ることはできませんが、その範囲だと外すことはありません。

 数日経つうちに、、空腹になると大きな声で鳴き、パンをねだるようになりました。
 パンを食べると、のどが渇くのでしょうか、手のひらに水を載せて口元に持って行ってやると、首を横にねかせて飲みます。くちばしが欠けているため、普通の飲み方では水を飲めないのです。 しかし、彼は、手のひらにたまった水を飲むよりも、手のひらから零れ落ちる水滴を好んで飲みました。 

さらに、パンを5切れ、6切れ・・・と食べ続けます。 

   のどが渇くとパンを食べなくなって鳴く、これが水をねだるサインです。私が水道のところへ歩くと、九郎も後についてきます。水道からぽたぽた水を出すと、九郎はその下で、欠けたくちばしを上手に使い水滴を受けて飲みます。

7月10日(金)

 給食の時間でした。私たちは職員室で給食をとっていました。
 彼は、中庭の、今は使われていない古い小鳥小屋の屋根にとまって鳴いていました。
 彼のいる場所は屋根の向こう側であり、職員室の内側は彼の視野に入らないはずでした。ところがなんと、彼はその場所から、見えないはずの目標物、私の机に、最短距離で飛んできたのです。そして、舞い降りたとたん、私の手つかずのパンに 食・ら・い・つ・い・た のです。

 私はとっさにパンを握り、彼と私はパンの引っ張り合いをする破目になりました。
 ようやく、彼に打ち勝ってパンを取り上げると、「一緒に食べようよ。」とちぎって与えます。例によって、5~6口食べると、のどが渇きます。牛乳をカップに入れて「どうぞ」。彼はそれをおいしそうに飲むと、打ちかけていたワープロのキーボードの上へ。不吉な予感!「あなた、そこどいて! ウンチしちゃだめよ。」と、おしりをよけさせたとたん、トロリと白い排せつ物が私の机の上に! いやですねえ。

 おなかが満たされたころを見計らって、外へ連れ出しました。

7月18日(土)

  夏休みが近づき、給食の終了に伴いパンの残りも出なくなりました。彼にとって、食べ物を自由に得ることが難しくなり、おなかがすくと職員室に飛び込んでくるようになったのです。
 彼の下りたところは、M先生のすぐ横、突然の来訪に「ギャー!」と飛びのくM先生。
 職員室にそう自由に入られては困ります。しつけが必要です。
 両手でとらえて外に出し、そこでパンを与えながら、無駄と知りつつしつけを試みます。

 ここ数日のえさに・・・とパンとクッキーを買ってきました。
 「日直の先生へ。カラスのえさです。適当に与えてくください。」と上書きした袋に入れて、職員室の後ろに置きました。
 おなかがすいた状況かどうかは、もう誰にでもわかるようになっています。彼が下駄箱の上か、廊下の窓際か、職員室へやってきて、大きな鳴き声さえ出せば、そんな様子を見てえさを与えてくれる彼の世話役が増えました。

先生方や子供たちの声などから

 Mi先生ー ベランダのプチトマトを子どもたちとやりました。だから、
                  そ の味を覚えて、これからプチトマトを喜んで食べるでしょう。
 A先生ー お弁当を食べているとやってくるので、おにぎりをやりまし                       た。教室に入ってきて、いろいろな物をつつきます。糞をするの                   に参ってしまいます。(と言いながら、彼女は何度となくおにぎ                   りを分け与え、愛情を注ぐ。)
 It 先生ー お弁当のおにぎりをやったら、おいしそうに食べました。(彼                  女もまた、何回かお弁当を分けあった。)
 Iw先生ー かしこいヮ。犬が来たらどうしたと思う? 僕の足元に飛んで                   きて、そこから動かんのや!(寄らば大樹の陰?)
 Mo 先生ー 動物好きで、道徳の時間にも動物教材をよく使う。さりげな                   い素振りながら、動物への愛は深い。九郎のこともよく観察して                   いる。
 Maさん(児童)ー 餌を上手に受け取る九郎に感心しきり。えさや水や                    りに精を出す。

九郎の好みと食べる量

 九郎が1回に食べる量は、比較的少ないのです。下図ような菓子1個ぐらいです。
 彼は、クリームをはさんだこの菓子が大好きです。
 この菓子を与えるようになって後、コッペパンだけを与えると、いやな顔(?)をするようになりました。
 投げたコッペパンは受け取りますが、その後すぐに土の上へ置き、食べようとしません。何ともだんだん美食家になり、わがままになります。
 それでもおなかがすいている時は食べます。背に腹はかえられないのです。

7月24日(金)
 今では、外から職員室へ入ってくる場合、まず校舎の窓を通って廊下の電話台まで飛行します。その電話台の上で次の飛行準備を整え、次いで職員室へと飛行します。
 私は九郎が窓から電話台へ入ってきたのを見届けると、すぐクッキーを持って職員室から出ます。「入ってきてはダメ!」と言うや否や九郎は校舎から飛び出し、すぐ近くのベランダへと移ります。そこまで追いかけていき、おもむろにえさを与えます。
 その様子を見たS先生が、「教頭先生の言うこと、よう聞くなあ。」と驚嘆。
 それから後、また職員室へ入ってきたことがありました。私は外へ出すべく、近づきますが、彼もさるもの、もうつかまりません。彼が近づくのを見定めて手を出すと、飛んで逃げます。
 チクショウ、ヒトヲナメヤガッテ! 
 とうとう捕まらずに自分で外へ出ていきました。
 叱られるのを知っているのです。                       
                           〈Ⅱ〉へつづく





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