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「九郎に恋した私です」はじめに

「コイツは1週間前にもいた。今日見つけ、シメタ!っと、おそるおそる写真を撮る。よく見ると、前の時よりしなびている。何のことはない、死んでいるのだ。」  
      ’86(S.61)年5月12日(月)付けの1枚の写真の裏書メモより
 
 そのころ、T 小学校に勤めていた私は、学校周辺の季節の移り変わりを写真に残そうとし始めていました。児童の学習の素材集めも兼ねてのことでした。
 そう、それはこの写真を撮った1週間前の夕刻のことでした。山肌に生えている草木の、花だったか実だったかを写そうと脚を延ばした直後、その足元に”巨大な”ムカデを発見。飛びのいて心臓のドキドキとともに学校へ逃げ帰ったことがあったのです。
 そのムカデと1週間ぶりに同じ場所で再会したときの写真とメモが先述のものです。
 
 そう言えば、教師になり、定年退職し、今に至るまで、虫を始めとしてたくさんの小動物との出会いがあったよなあ。
 すでに数回出合っているムカデ、大人の親指ほどの太さのナメクジ、杉の巨木のうろ(洞)を棲家としていたモモンガ(愛称モモ)、ナントカバチに卵を産み付けられ、その幼虫が10匹近く皮膚から半身を乗り出してくねくねしている青虫など、思い出しただけでぞっとしそうなのも多いけれど、どれも私に鮮烈な刺激をくれたモノたち。 この「九郎に恋した私です」は、それらの中のいくつかを、当時の写真とともに書き起こした短編ストーリーです。
 とりとめのない話の寄せ集めですが、小さなモノたちと私とのつかの間の交流(”交流”なんてものでなく、思いの一方通行がほとんどです。)を残したくて…。
 交流の証として掲載しました写真について、一言の言い訳をお許し下さい。
 今から40年ほど前に(夫が)買った(らしい)カメラを使って、20年ほど前に写真を撮り始めました。接写リングをつけたり外したり、天候に合わせて絞りやシャッター速度を考えたり、レンズを手で回してピントを合わせたりと、自己流で写しまわりました。
 それらのフィルムから写真をプリントしてみますと、ピントが合っていなかったり露出が適切でなかったり、果ては、フィルム自体が古くなっていたりして、見づらいものもたくさんありました。
 しかし、それも大切な思い出の一つ一つ、見づらいのを承知で掲載することにしました。

 学校生活の中で起こった話につきましては、当時、一緒に勤めていた先生方や子供たちにもご登場いただきました。
 どの方も、「実名記述で差し支えありません。」と快くご返事を くださり、大変嬉しく思いつつ発表させていただきました。ありがとうございました。

 また、つたない文章にあらかじめ目を通してくださった方々からは、適切なご指摘やご指導をいただきました。おかげで、独りよがりな思考や表現から脱皮して、原稿は大きく改善されました。私自身の力不足から、気持ちを十分にお伝えすることはできませんが、心より感謝申し上げます。

 なお、ここに取り上げました18編の話は、当初、子供たちにも読めるものにしたいと考えておりました。しかし今では、言葉や内容から、それは少し無理かもしれないと思うようになってきました。少々大人になった私の、大人の言葉と大人の思考も入っておりますので。

 最後になりましたが、ときには命を呈して私の人生観に深くかかわり、人生を豊かに彩ってくれたたくさんの小さきモノたちにも心からの感謝を込めて、この本を捧げます。

              2006(平成18)年 9月    けこ


 以上の文章は、2006年に「九郎に恋した私です」をほぼ手作りで出した冊子の前書きとして書き入れたものです。今回ブログに投稿するにあたり、少々加筆・修正しました。
 今後の掲載文章は、この本からの再掲です。
 今後、人名は原則英字1字での表示とさせていただき、内容は少しの加筆・修正をしながらの投稿となりますのでご了承ください。
  なお、下に掲載の写真は、2006年に作りました冊子を今回デジタルカメラで撮影し、ここに挿入したものです。
              2023年 3月 17日    けこ 
   

2006年に作りました冊子の表紙

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