自分のエネルギーの源について、考えた事はあるだろうか?
仕事が終わるとエネルギーが切れる。うつ病の始まりと聞くと、超多忙な働き方や、逃げ場のない人間関係の中で、周りが何も見えなくなり、目の前にある逃げられない現実だけが立ちはだかり、ぽきっと心が折れてしまう。そんな状況が目に浮かぶのではないだろうか?少なくとも私はそんな感じを想像していたのだが、仕事も忙しくはなく、週の半分は在宅で一人黙々とコードに集中できるような恵まれた環境で、私は最近、メンタルを壊しかけている。
金曜日は在宅作業の日だ。そして仕事が終わると一週間のエネルギーを使い果たし、息を吸って吐くことしかできない無気力な人形が生まれる日でもある。
とりあえず仕事モードを解きたいと思い、冷蔵庫を漁って夕食をこしらえる。何を食べても味が薄い。なんとなく感じる食べ物っぽい香りで、これはきっと美味しいのだろうと自分に言い聞かせながら咀嚼する。Youtubeで癒されそうなコンテンツを探す。楽しそうな画面の向こう側をぼーっと眺める。同じ人類の生活の一部なのに、なぜこんなにも現実味がないのだろうか。
最近はここで布団に潜り、一日を強制的に終わらせてしまう事が常なのだが、今週は少し賭けのつもりで、散歩に出てみる事にした。
歩いても歩いても進まない。誰一人いないのに、街灯だけがうるさく光る異様な景色。小さな雨が肌に当たる。痛い。外が楽しくないのなら、何をしたら元に戻れる?元の状態・・・雲が流れているのを見るだけで楽しくて、花の香りにワクワクしながら散歩をして、そして、風を浴びるだけでテンションが上がっている、あの感じ。まるで画面の向こう側のYoutuberだ。次元が違いすぎる。
しばらく歩いて、違和感が確信に変わった。あったはずのエネルギーが枯渇している。本当にうつ病な方は、外に出る事も、こうして文章を書く事も、とても難しくなるらしい。それが出来ている今の自分は、まだ病気ではないのだろう。それでも、仕事がすでに終わっているのに、何をすれば楽しいのかも知っているハズなのに、楽しいはずの散歩をしても時間が前に進まない現状に、ほんの少しだけ、目の前が見えなくなった。
エネルギーの源はどこにあるのだろうか?そのうちの一つが誰かと一緒に楽しい時間を過ごす事、という所までは把握している。これはあくまで私の場合だが、皆どこかしらに、それぞれの源があるはずだ。逆に、エネルギーを消耗する原因はどこにあるのだろう?今分かっている限りでは、身近な人間関係の歪みが大きかったんじゃないか?というところまでだ。把握できずに積み上げられた原因が、もしかしたら他にもいっぱいあるのかもしれない。
中途半端な仕事と形になりきっていない技術者の残像を捨て置いて「休みたい」と思ってしまうのは、甘えなのだろうか。逃げたくない。それでもキツいものはどうしようもない。もしかしてココは蟲壺?だとしたら会社を喰えば出れるのか・・・?
この文を読んでくれているあなたには、私のようにならないで欲しいと、切に願っています。
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